chapter 3
サトルはそれからしばらく膝をついたまま動かなかったが、やがて立ち上がると早乙女に一礼し、無言で所長室を出た。
それから予め組まれたシフトに従って職務を全うすると(といってもただただ持ち場で突っ立っていただけだったが)、普段は使わない出入り口から、誰とも出くわさないように工場を出て帰路についた。
サトルの自宅は工場から徒歩四〇分ほどのところにある。
バスや電車などといった交通手段はない。
その長い道のりを、サトルはふらふらと歩いていた。
「僕は……いったいどうすれば……」
ボソッと呟く。
かなり小さな声だったが、周りがあまりにも静かだったので、その声がかき消されることはなかった。
公園の横を通り過ぎる。
しかし、SAKURAによる必要最低限の食料供給しか望めないこの時代に、子供を外で遊ばせて腹を空かさせる酔狂な家庭などない。
錆びたブランコの鎖と骨組みとが擦れて鳴る音だけが、キュッキュッと虚しく不快に響いている。
「よお」
聞き覚えのある声がした。
サトルは無気力に顔を上げる。
すると、そこにはベンチに腰掛けたあの侵入者、シキシマ秀典の姿があった。
恐怖し、身を引くサトル。
シキシマは立ち上がると、口だけの笑みをサトルに向ける。
「その様子じゃあ、どうやら真実を知らされたみたいだな」
「……あなたはどうして、サクラちゃんを救おうとするんですか? そんなことすれば、あなた自身や身の回りの人達だって……」
「俺は、あそこの研究員だったんだよ。そしてSAKURAを発見したのも、この俺だ。俺はあの物質をサクラに頼らず、機械的に生み出すことを可能にすれば、人類を饑餓から救うことが出来る。そう思って意気揚々とサクラの資料を上に提出したさ。で、結果がこの有様だ。上はそんな技術を開発している暇はないと、サクラから直接物質を抽出することを選択し、実行した」
「てことは、あなたはその償いのために?」
「そんなところだ」
「でも、あなたの発見のおかげで大勢の人が救われているじゃあないですか」
「そうかもな。でも俺はそれ以上に、自分のとった行動のせいで、なんの罪もない女の子が今も苦しみ続けている。その事実が耐えられない」
「けどそれって……」
「ああ、私欲だよ。でもさ、どんな聖人だって結局は誰かの笑顔を見たいだとか正しいことをしている自分に満足したいっていう欲のために行動している。欲そのものに善いも悪いもないんだよ」
だったら善悪はなんなんだ、と、サトルは反論したくなったが、彼の言わんとしていることは分かる気がするので、無粋な追及はやめにした。
早乙女とシキシマは、真逆のことをしているが、どちらかが善でどちらかが悪というわけではない。
今、彼らにも、もちろん自分にも、誰にも、完全に善なる行動をとることはできない。
まして心の中まで追及していたらキリがない。けど、
「そうかもしれないけれど……僕は……」
ではこのやり場のない気持ちはどうすればいいのか。
「俺はサクラを苦しみから解放してやりたい。その欲で動いている。だからお前も自分がどうしたいかで決めろ。俺を止めるにしろ止めないにしろ」
シキシマはサトルの肩をポンと叩くと、歩き去っていった。
満足のいく答えの得られなかったサトルは立ち尽くした。
「サトルか?」
振り向くと、私服姿のハルカがそこにいた。彼女の両手は、小さな男の子と女の子の手と繋がれていた。
「ハルカさん……」
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