chapter 2

 その日、サトルは施設の所長室に呼び出された。


 所長、早乙女ギンガはそこにいた。


「浅倉サトル君。君は勤め始めてまだ日が浅いが、あの男――シキシマ秀典が現れた以上、君には覚悟を決めてもらわなくてはならない。いや、その前に真実を知ってもらう必要があるのかな」


「真実、ですか?」


「そうだ。君は、SAKURAシステムについてどこまで知っている?」


「詳しいことはなにも。ただ、全人類に食糧を供給するための新時代の技術だというくらいしか」


「そうだね。それだけならばどれだけ素晴らしいことか……」


 早乙女は俯いて言った。


「え?」


「サクラというのは、一人の少女の名だ」


「それ、知ってます。たしかSAKURAの開発に貢献したとかで……」


「彼女は今も貢献し続けているよ」


「と、言いますと?」


「私の研究機関は、とある少女の脳がある特殊な物質を分泌していることを発見した」


「その少女が、サクラちゃん」


「そうだ。そして、その物質はそのままではなんの益も成さないが、地球上に存在するごくありふれた物質と反応させることで人間が生きていくのに必要な栄養を生み出すことが出来る」


「じゃあ彼女はその物質を抽出するために……」


「ああ。サトル君、サクラに会うかい?」


「はい」


 すると、床が開き、下から巨大な装置とそれに繋がれたカプセルが現れた。


 注視すると、小さな覗き窓の奥に少女の瞼が見える。


 驚きのあまり、サトルの目はカプセルに釘付けになった。

 小さな歩幅で後退する彼の脚は、暗闇で足の踏み場を探しているような調子だった。


「こ、これは」


「紹介しよう。彼女がサクラだ」


 サトルはあんぐり口を開けたまましばらく動かなかった。


「彼女の身体は装置に入れられてから全く成長していない。理由はよくわからんのだがね。当時彼女は十二……いや、十三だったから、今は十八歳か。ああ、するとちょうど、君と同い年ということになるのかな」


 つばを飲み込み、ようやく言葉を紡ぎだす。

 しかし、なにから聞けばいいか。

 疑問は山ほど浮かぶが、どれも的外れなものに思えてならない。


「……彼女はいったい何時までこうしているんです?」


 口に出した後でも、それが自分の聞きたいことなのか自信が持てなかった。だが、


「ずっとだ」


 早乙女のその答えに、ひとまず自分の問いはおかしくはなかったと安堵する。


「えっ」


 と、同時に、サトルは恐れた。

 眼前のサクラという少女の置かれている現状について、漠然と極めて残酷なものを予感したためだ。


「全人類の食料を賄うためには、彼女は絶え間なくこの装置に囚われ続けなくてはならない。そして……」


「そんなことが許されると思って――」



「そして、我々は彼女にキワミの苦痛を与え続けなくてはならない!」



 早乙女はサトルに背を向け、声を震わせて言った。


「極の……苦痛?」


「彼女が強い苦しみを感じることこそが世界を救う物質の分泌条件なのだよ。悲しいことにね」


 疑念は確信に変わった。


 いや、なんとなく辛そうだとか可哀そうだと思っていただけだった。

 そこまで悪趣味な想像をした覚えはない。

 サトルは彼女がそんな酷い目に合っているのは、断じて自分が悪い予感をしたせいではないと、わけのわからない罪の意識から自分を守ることで精一杯だった。


「だったらなおさらそんなこと……」


「分からないのか? もし今彼女を苦痛から解放すれば最後、全人類三億の命が失われるということが」


「そんな……でも……」


 早乙女はカプセルに手を触れた。


「君はそんなことが許されるのかと言ったね。その通りだ。この世界に神がいたとして、我々の行いは決して赦されるものではない」


 神……そう、神である。

 サトルは彼の罪悪感の正体は、神ではないかと感じた。


「だったら……」


 早乙女への追及は片手間だった。


「それでも! 我々はSAKURAを世界中の人々に供給し続けなくてはならないのだよ。大勢の人々の命を繋ぐためにも……」


 地に両膝をつき、項垂れるサトル。


 そうして悲嘆する自分を演出して、はじめてサトルの心は、現状の残酷さそのものを嘆きだした。

 少女を苦しみから解放してやりたい、役目を代わってやれるならそうしてやりたいと心の底から思えた。

 そこにはもはや、真実を知らされた自分を俯瞰する賢しいこころはなく、ましてそうして純粋に少女を思いやる今の自分への安堵や自惚れなんてものは欠片もなかった。


「……なぜ……なぜ僕にそれを教えたんですか!」


 サトルはポケットからSAKURAの紙パックを取り出し、


「そんなこと聞かされたら、もう、こんなもの飲めないじゃないですか……」


 それを握りつぶした。

 ストローの差込口を塞ぐアルミが破れ、中から多量の赤い液体がこぼれ出る。


 なにかのフリではなかった。

 サトルは、その手に付着したSAKURAが血の汚れのように思えて、より一層強く拳を握りしめた。


「すまない。しかしあの男が再びやってくれば、覚悟の出来ていない君を利用しようと考えるだろう。だからその前に知っておいて欲しかったんだ」

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