自然について
Mojarin_Baby
GALLIA〔ガリア〕
κατ᾽ ἀνδρῶν κράατα βαίνει
chapter 1
西暦二三〇〇年、人類は未知の病原菌によって絶滅の危機に瀕していた。
治療薬の完成によりパンデミック自体はおよそ一年半で収束したが、その爪痕はあまりに大きかった。一〇〇億あった世界の総人口は三億人にまで減少。数十か国の政府が崩壊し、各地で暴動が多発した。
そして、人類にはそれらの解決よりも遥かに急を要する課題が残された。人類が直接摂食するまたは加工することで蛋白源となり得る動植物の全滅である。治療薬は全人類に行き渡ったが、人間と同じようにその病原体に侵されるそれらの生物に対しては、政治情勢の混乱と生産力の問題から十分な措置がなされなかったのだ。
人々は飢えに苦しんだ。病害を生き延びたことを後悔する者も決して少なくなかった。が、この喫緊の課題はわずか数カ月のうちに解決されることとなる。
日本のとある研究所が開発した「SAKURAシステム」が、全人類に蛋白源の安定供給を可能とし、世界の食糧問題を一挙に解決してしまったのだ。人間による摂食とはおよそ無縁なありふれた物質を、万人が摂取できる赤色の液体SAKURAに変えてしまうその技術はまさに人類の希望であった。
それから五年。
人々は紅白色の紙パックに朝昼晩プラスチックのストローを刺し、その中身を吸引することになんの躊躇いもなくなっていた。
この青年、浅倉サトルも例外ではない。彼は今、大仰な迷彩服に身を包み、黒々としたアサルト銃を抱えてとある施設の廊下に立っている。
何を隠そう、彼が警備しているこの施設こそが全人類の命をつなぐSAKURAの世界でただ一つの生産拠点なのだ。
「暇だな~。ま、別にいいけど。おまんまは貰えるし、警備たって誰かが侵入してくるでもないし、それに……はぁー、そろそろハルカさんがシフト入る時間かぁ……」
サトルはぼんやりと天井を眺めて言う。
と、その時。
警報が鳴り、赤い光が頭上を駆け巡った。
侵入者の存在を知らせるサイレンだ。
しかも射殺許可の意味もある。
「ん? なんだ?」
廊下の向こうから悲鳴が聞こえた。
サトルは身構える。
迫る足音。
ガングリップを握る手が力む。
と、廊下の角から見知らぬ男が現れた。
もう何ヶ月も手入れしていないであろう長い乱れた黒髪、無精髭、ボロボロの黒いパーカー。そして、笑った口元と笑っていない目。
殺れる――が、この新米警備員には人を撃った経験などない。
それに所員全員の顔を記憶しているわけでもないサトルには、目の前にふらっと飛び出してきた男に即座に発砲する決心などつくはずもなかった。
しかし、男の右手にサブマシンガン。
駆けるために振っていたその腕をそのままこちらに向け、照準器の先のサトルを睨む。
そうだ。こんな風貌の男、一度でもどこかで見たことがあったなら絶対に忘れやしないだろう。
間違いなく警報はこの男のために鳴っている。
あの悲鳴もだ。
だがその確信ですら、サトルに引き金を引かせることはなかった。
サトルはまだ十八である。
まず間違いなく相手は侵入者で、撃たねばこちらがやられると分かっていても、なにかの思い違いである可能性を、懸念を、躊躇を、このほんの一瞬で拭い去ることなど――
「なんだこのオッサン!」
男はサトルの叫びに思わず脚を止めた。
撃たれると思った。
眼前の若い警備員は、十字路に飛び出した自分に凄まじい反応速度で銃口を向けた。
だがその表情は終始困惑していたし、なにより悲鳴や銃声だって聞こえていただろうに、こちらが姿を現すまで銃を構えてすらいなかった。
こいつは撃てない奴だ、そう思った。
他には誰もいないようだし……
「サクラを救いに来た」
と、男は答えた。
「SAKURAを救う? どういう意味だ、それは?」
「お前……知らないのか?」
困惑するサトル。と、そこへ――
「サトル!」
ほかの警備員が駆けつけ、一斉に男に銃を向ける。
サトルが密かに思いを寄せる女性、丸山ハルカもいた。
「チッ、流石に五対一じゃあ分が悪いか」
男は数歩後ずさりしたのち、彼らに背を向けて走り去った。
「大丈夫か?」
ハルカはサトルに聞いた。
「え、ええ。僕はなんとも……ハッ、それよりさっき向こうで悲鳴が!」
「お前ら行くぞ! サトル、お前も来い!」
「はい!」
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