第3話 ススミダス出会い
こうして1話の冒頭シーンに繋がる。
放課後になっても何もやることがない俺は、しかし寮に帰って誰かと出くわすことも嫌だったため、この日あてどもなく校内をうろつき、人気の少ない北校舎の9階男子トイレに導かれるように入った。
手洗い場の鏡には生気のない絶望の色を濃く映した自分の顔、その原因である学校・寮での生活、そのすべてがもうどうでもいい。
輝いていない人生なんて俺は歩きたくないんだ。地味で暗い生活をこの先3年間も続けていくなんて耐えられない。もう楽になりたい。
入口から強い風が男子トイレの中に吹き込み、俺の体は少し押された。
ろくに睡眠も照れていないからもともとふらついていたが、風でよろめいて2~3歩トイレの奥に押し込まれた。
ふとトイレの奥に目をやると、引き戸タイプのガラス窓が全開に開いている。
―――あそこから飛び降りたら楽になれるかもしれない。と、ぼんやりと確かな希望が湧いた。
トイレの入口を見る。ここから出たら戻らなきゃいけない。誰も俺を大切な生き物として見てくれない、辛く惨めな生活に。戻らなきゃ・・・嫌だ。
何も考えず走り出していた。もう、体が止まらなかった。
全速力で開け放たれた9階の窓に突進していく。
不思議と頭は冷静で、反対に爆発的な速度で動く心臓の鼓動を感じる余裕すらあった。
少しばかりサッカーをやっていなくても意外と体は鈍っていない。そのままの勢いで強く地面を蹴り、一歩で窓枠に飛び乗る。
飛び乗った足で窓枠を蹴り出した。目の前にはもう何もなかった。自由になれた気がして、少し笑った。
すぐに重力が俺の体を捉え、落下の感覚が下っ腹から全身に伝わる。この時、俺ははじめて「何やってんだ?おれ?」と思った。
―――飛び降りてんじゃん、俺!死ぬじゃん!
死にたくない!死にたくない!!死にたくないっ!!!助けてっ!!!助けて。
パニックに陥り、一瞬で4階のあたりまで落ちてきたことを認識し俺はまざまざとした死の感覚を味わった。
その時、ふと今から俺が叩きつけられるであろうコンクリートの地面を見ると、そこには真っ白な髪の青い目をもつ少女がいた。その少女は両手を広げ俺を待ち構えている様子だった。
「どいてェェェ―――!危ないっ!」
空気抵抗に邪魔されながら必死で叫んだところで、俺は気を失った。
朧げな意識が戻ってきた。俺は今どこにいるんだろう。
―――「×××きて」
何だ?誰か俺に話しかけているのか?
―――「はやく、×××きて」
よく聞き取れない。もっとはっきりしゃべってくれ。
―――「目を、開けて」
ハッキリとそう聞こえ、驚いて本当に目を開けていた。背中に柔らかい感触がある。今ベッドかソファーに横になっているようだ。
薄ぼんやりとした視界が段々クリアになってくる。そして目の前に、いや横たわる俺の胸の上に、女子生徒が正座してこちらを見ていた。
それも、とびっきりの無表情で。
「怖ぁっ!何ィィ??てか重い!重いから!おもももも」
「そうよ、よく分かったのね」
「何が??」
「私の名字はおも、なの。由緒正しいの緒、にマンモスの墓場、の墓。これら二文字をつなげて緒墓おも、よ。どうぞよしなに」
緒墓と名乗った女子生徒が丁寧に三つ指で頭を下げる。相変わらずむかつくほどの無表情に真一文字の口で、そして俺の胸の上で。
「お前が由緒正しい決闘者デュエリストであることはよーく分かったから。一旦落ち着け、そして降りてくれ、頼むから!」
「やぶさかではないから、やぶさかに降りることにするけど、5時間ほどかかるからそれまでどうぞくつろいでて」
「お前に5時間も人生の時間をくれてやれるかァ!」
奇妙なことに、緒墓という女子生徒は能面のような無表情にも関わらず、とても口数が多くて、むしろ積極的にボケようとしている節まで垣間見える。つまり、表情と発する言葉の数がミスマッチで頭が変になりそうなのだ。
「今、脳神経から足の筋肉に“動け”と電気信号で指令がでたところなの。あっ、今喉を電気信号が通過した」
「脳からの指令はそんな宅急便みたいに追跡出来ねェから!」
絶叫するように緒墓に向かって反論していたが、ふと正気に戻って考えてみると、自分と同じ年ぐらいの女子生徒が全体重をかけて俺の胸を押しつぶさんとしている割には、それほど痛みがオーバーなものに感じられない。これはいったい・・・?
「アッハッハッハ!良いキャラしてんじゃん、美名口亜介くん!」
急に男の声が聞こえ、声が聞こえた方を向くとだらしないロン毛を無造作に片手でかき上げながら、もう片方の手の親指と人差し指でつくった輪からこちらをニヤニヤ見る若い男がいた。年は20代前半といったところだろうか。
ロン毛の男を見るついでに、周囲の風景も目に入ってきて自分が今小さな部屋の中にいることが分かった。
部屋の中にはテレビゲームが繋がれた小型のテレビがあったり、なぜか壁沿いに一人暮らし用の小型冷蔵庫が縦に2台並べられていたり、その他もろもろツッコミどころ満載な部屋である。
「なかなかいないよ、出会って五秒で涼花すずかが意気投合する相手なんて」
「俺は意気投合してるつもりないんだけど」
「あらら、足の筋肉が電気信号を受け取り拒否しちゃったみたい。再配達する?」
三人がそれぞれに主張が強く、てんやわんやの室内であったが、俺の耳には別の音が聞こえ始めていた。遠くの方からドッ、ドッ、ドッ、ドッ、とイノシシが野山から水流添高校に下りてきて廊下を走っているような足音が聞こえてくる。その足音がものすごいスピードで自分のいる部屋に近付いてきている。
ついに自分が今いる小部屋の目の前まで足音が迫る。勢いそのままに足音の正体が扉を開け、部屋に入ってきた。
「今日もッ!!最ッ、高ォの!一日、だッ!!」と、比喩ではなく本当に扉をバァン!と蹴破って部屋の中に侵入してきたのは、170㎝はあろうかという高い身長に、短いスカート丈、ぱっちりアイメイク、そしてほぼ金に近い毛先ゆるふわの茶髪という風体の、見た目ド派手なお手本の様な白ギャルだった。
「おはよう、綺或雷きあら。テンションアゲアゲだね」
「上矢かみや先生、はよっす!もうね、全身が喜んでるって感じ!」と白ギャルは男にあいさつと短い会話をしたかと思うと、「あー、ジッとしてらんない!校庭10週ぐらい走ってくるわ!」などと意味不明な言葉を置き去りに部屋を飛び出して、また廊下をドドドドと駆けて行った。
「何だったんだ今の・・・」
「亜介に紹介する間も与えてくれなかったね。今の子は百々目どどめ綺或雷きあら、今は見た目派手だけど中身はとっても真面目なイイ子だから」
「はあ」と、明らかに納得していない気のない返事をしながら、「ていうか、あんたは何で俺のフルネーム知ってんの?」と、ふと疑問に感じていたことを口にする。
「へ?」
男は一瞬真顔になり俺の言葉の意味を理解しようと目を白黒させていたが、合点がいった様子でポンと手を打ち、また先程までと同様のニヤニヤ顔に戻った。
「知ってるに決まってんじゃ~ん!わたくし、水流添高校の先生でございます」
「ぅえ?」
今度は俺が不意を突かれる番だった。ニヤけた表情の男はどう見積もっても20代前半であり、教師と呼ぶには若すぎるのだ。戸惑う俺の様子に満足気な男が言葉を続ける。
「亜介は知らなくて当然だよ。だって俺特進科の先生なの、つまり特別な先生なんだよ」
「特進科・・・?水流添高校に特進科なんて、」
「ないよ。」と言いつつ、もったいぶるようにあごに手をやり、「でもあるんだよね」とこれまたもったいつけたように言葉を続けた。
水流添高校には俺が所属するスポーツ専科と、普通科の2コースしかないはず。入学前に何度も何度も読み込んだ、入学案内や様々なパンフレットにもそう記載されていたから間違いない。
普通科が2年から文系と理系でクラスが分かれ、前者が人文科、後者がスーパーサイエンス科(SS科)とに分かれるが、それでも男がさっき口にした特進科というものは絶対に存在しない。
余談だが、スポーツ専科は男子の割合が高いため、彼女にするならば普通科の女子だな、などと考えていた。
「いや、そんなのねェから!」
「ある!さらにここで朗報があります。発表するので亜介、ドラムロールよろしく!」
「・・・」
「うーわ!ノリ悪いぞ~。そんなんじゃモテませんよ~」とからかうように男が俺を指さす。その指をさっきの無表情女子生徒に向け、「じゃあ涼花!お手本見せちゃって!ドラムロール、カモーン!」とウキウキで指名した。
「僭越ながら、ウぉウ゛ン」と緒墓は品性のカケラも感じない咳払いを一つして喉の調子を整え、相も変わらぬ無表情のまま口を開いた。
「トゥトゥットゥ⤵、トゥトゥットゥッ⤴、トゥ⤵」
「それマリオだからッ!冒険が始まっちゃうだろ!」
「アラ失敬。でも私の故郷では、マリオがスタンダードなドラムロール音よ」
「ウソつけ!日本のどこにそんなスタンダードを醸成する地域があるんだよ!」
「任〇堂市」
「無いッ!そんで100パーウソなのによく真っ直ぐ俺の目を見つめられるな!」
「そこは私の美点、だと思ってるわ」
「ハイハ~イ、先生をほったらかしにしないでね。あと亜介は今日から特進科に入るから」
緒墓とのやり取りの最中に男から告げられたのは、まさかの俺が現在のスポーツ専科から特進科?に移るという衝撃の内容だった。事もなげにさらりと言ってのける神経が信じられない。まず特進科というクラスは本当に存在しているのだろうか。
「そんなの、できるわけないだろ。俺はスポーツ専科に推薦で入ってるんだぞ。入学後に科を変えるなんて認められないはずだ」
「とことんノリが悪い亜介には・・・よいしょ、これが目に入らぬか!」
男が胸ポケットから取り出したのは、クシャクシャになった1枚の紙。そこには水流添高校の現理事長である八兵衛門はちべえもん鴻冊こうさくの名義で発出された公的な事務連絡のようだった。
クシャクシャで読みづらかったが、紙に目を近づけて(なぜかこの時緒墓も紙に顔を近付けてきたので追い払った)、1文字ずつ解読していく。
「学園規則181条2項に基づき、水流添高校理事長八兵衛門鴻冊は、6月23日付で、下記の生徒にかかる一切の、教育における権利義務を、特進科に一任するものとする・・・?」
下記の生徒として、俺の名前がそこにはハッキリと記載されていた。
「これで理解できた?もう亜介は特進科の生徒だ!そして部活はサッカー部から水泳部に転部だから!あ、部室はここね」
「え?ちょっ、ちょっと待ってくれ・・・」
次から次に俺の知らない事実を突きつけられ、まるで食べ物を無理やり口に詰め込まれているような気持ち悪さが込み上げてきて、眩暈もしてきた。
立っていられなくなりさっきまで横になっていたソファーにドカっと座り込む。
何より眩暈の引き金となったのは、男が最後にねじ込んできた水泳部への転部という言葉だった。
ついにサッカー部をクビになったのか、と思ったのと同時に例によってパンフレット等でかき集めた知識が正しければ、この水流添高校には水泳ができるようなプール設備が一切無い。
理解できる物事の許容範囲を完全に超えてしまい、その後も男が何か嬉々として色々と話しかけてきたが、まったく頭に入らずただ適当に「ああ」とか「そうか」などと答えていた。
「ではでは来週からはそういうことで。今日は亜介も疲れただろうし寮でゆっくり休むんだよ。」男の話が終わったらしい。続けざまに緒墓の方に声をかけた。「じゃあ涼花、寮までの案内よろしく~」
「断らないわ」
緒墓がおもむろに俺の首根っこを掴んで、そのまま入口の扉から出ようとする。
「俺は子猫か!何するんだよ」
「私は母ライオンのつもりだったんだけど」
「何でもええわ!」
「亜介くん、先生の話をまるで聞いていなかったのね」手を後ろに回し、廊下を歩き始めた緒墓がこちらを振り向く。「今から特進科の専用寮に向かいます」
振り向いた緒墓の整った横顔にハッとなる。一連のドタバタで意識していなかったが、緒墓涼花は正直、美人の部類であることを認めざるを得ない。黙って緒墓の後ろに着いて歩いた。
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