第4話 特進科専用寮


「これが、寮?」




 反論する元気も尽き果ててきた。目の前には、小学生の頃にサッカー部の合宿で使っていたような、年季の入った木造のアパートが立っている。




 緒墓に連れられるままに北校舎を後にし、高校の敷地内を歩き次々と扉を開けて潜り抜けること約20分、今俺が立っている場所は学校関係者でも容易にその存在を知らないのではないかと思うほど、奥まった敷地の隅にひっそりと存在していた。




 正確には、最後に通った扉の向こうは周囲を赤レンガの壁で囲われていて、外部からの視線をシャットアウトされていた。




「ウキウキがクライマックスなところ悪いけど、これが寮よ」




「・・・ウキ―」




「正解。中に入りましょう」




 緒墓が手慣れた手つきで正面の入口にある引き戸をガラガラと開ける。引き戸の向こうには下駄箱が並んでいた。しかし、下駄箱に入りきらないのかだらしない奴が多いのか、靴を履き替えるためのスペースには靴が散乱している。




「たらいまー」と緒墓が気の抜けた声を発する。すると下駄箱の横、腰から肩あたりの高さにあったガラス戸がガラッと開き、「おかえり~」と中から綺麗な長い茶髪の女性が顔を覗かせた。




 女性は俺と目が合うとニコッと素敵な笑みを返してくれた。




「キミが新入りの美名口くんだね。嗣朗しろうから話は聞いてるよ。私はこの寮の管理を担当している禿かむろ惣子ふさこ、よろしくね」




 こちらに話しかけながら、女性はガラス戸を一旦閉めた。するとガラス戸ごと壁がバキバキッと軋みはじめ、ちょうど人一人が通れるぐらいのサイズに切れ込みが入り、ドアのようにグリンッとこちら側に開いた。




 中から、先ほど会話していた女性が顔を出し、次に首から下が順次俺の目の前に出現すると俺の視線は一転、右往左往してしまった。




 なぜならば女性はざっくりと胸の谷間が強調されたノースリーブニットに加え、太ももの半分以上を露出させた極めて丈の短いショートパンツという出で立ちだったからだ。




 いくらクールなキャラを構築していたとしても俺は思春期真っ盛りなチェリーボーイなのだから、刺激の強すぎる禿さんのスタイルに動揺しまくりだった。




「この特進科専用寮、通称蛇の目にようこそ。キミの部屋は1階だよ」




「2階は女子の部屋だから決して立ち入ってはいけないのよ、亜介被疑者」




「行くか!なんで既に犯罪の嫌疑をかけられてるんだよ!」




 またしても話に水を差してくる緒墓に反論していると、禿さんが「ウフフ」と艶やかに笑った。そして緒墓のおでこをつんとついて、「よかったね」と呟いた。




 そのまま下駄箱の奥に続く男子部屋エリアに案内してくれた。禿さんに着いて歩くが、視線を感じたので後ろを振り返ると、2階に上がる階段から緒墓の顔が横向きに飛び出ていて、俺と目が合って5秒ほどしてからスッといなくなった。




「面白い子でしょ緒墓ちゃん」




「すごい変な奴です。無表情なのに何というかこう、行動はひょうきんというか」




「ウフフ、仲良くしてあげてね」




 近くで見ると禿さんは本当に綺麗で太鳳やかな女性だと感じる。




 いけないとは思いつつついその体のラインに目が止まってしまう。ショートパンツから伸びた白くかつ健康的な肉感のある太ももは犯罪級ではないか。




 改めて、禿さんは本当に素敵な女性だと感じる。




「この部屋だよ」




「はいッ!」




 案内されたのはつきあたりの奥から2番目の部屋だった。部屋の番号などは示されていないが、恐らく2号室なのだろう。




 中に通され、水回りや据え置きの家具の説明を受ける。冷蔵庫やテレビなど最低限の快適な生活に必要なものは揃っていた。




 紙を1枚渡され、「ゴミや洗濯物はここに書いてある場所に持って行ってくれたら処理しておくから。読んでおいてね」とのことだった。自分のことはすべて自分でやっていたスポーツ専科の寮よりもずいぶん楽になる。




「食事は朝晩1階の食堂で提供されて、お昼は特進科の教室までお弁当が届くようになってるの」




「そうなんですね。あっ、もしかして禿さんの手作りですか?」




「ウフフ、そんなことしたら美名口くんが再起不能になっちゃう」




「えっ、それってどういう」




 俺の言葉をかき消すように、ドドドド、ドドドドと寮内に地響きが轟く。




 下駄箱のあたりで足音が一旦止み、ダンダンダンダンと硬いものをたたく音に変わった。たぶんさっき禿さんが顔を覗かせていたガラス戸を叩いているのだろう。




「帰った帰った帰ったー!」と騒がしく帰宅を告げる声も聞こえた。禿さんが「こっちよ~、ドドちゃん」と呼ぶや否や、再びけたたましい足音が俺の部屋の方向に向かって近付いてくる。




「房子先生ェ~!晩ご飯まだ??めっちゃお腹空いたんだけど!ウケる!」




 何がウケたのだろうか、自分の発言にキャハハハと楽しそうに笑うのは、先ほど水泳部の扉を蹴り倒して入ってきた白ギャルこと、百々目綺或雷だった。




 満面の笑みで「暑ゥ~!」と右手でおでこの汗をぬぐいながら、左手で制服の襟元をパタパタ前後させている。部室を出ていくときに校庭10週ぐらい走ってくるとか言っていたが本当だったのか。




 汗だくの百々目綺或雷があんまり無防備だから、俺はつい汗をぬぐう度にチラリと見える腋や、汗で背中に張り付いたシャツから透けるブラから目を逸らすのに必死だった。高校生なのに黒かよ、いや何でもない。




 部室では一瞬の嵐のように去って行ったため分からなかったが、百々目綺或雷は禿さんと並んでも負けないほどのスタイルで、スカート丈についてはむしろ禿さんのショートパンツよりも少し短いのではないか。




 そして汗だくだというのにほのかに甘い匂いがしていて、制服をパタパタさせる度にその匂いが強く俺の鼻に届いてくる。




「汗だくじゃない、ドドちゃんは先にお風呂入ってらっしゃい」




「お風呂好きー!んじゃっ、入ってくるね!」




 なぜか両手を挙げてバンザイのポーズをとり、なぜかそのままガッツポーズに移行し(腋が丸見えで俺は目を逸らした)、俺の部屋の扉をバチィンッ!と閉め終始騒がしいまま百々目綺或雷はドドドドと出て行った。




―――と思っていたら足音が戻ってきて、両足でズザーと滑りながら再度扉をバァン!と開けてズカズカ部屋の中の俺の方まで来て俺をビシッと指さし、「この人誰ェー?ウケる!」とまたしてもキャハハハと心底愉快そうに笑っている。




「ドドちゃん偉いね~、あいさつしに戻って来たんだ」禿さんが右手で頭をごしごし強めに撫でてやると、百々目綺或雷は「へへ」と嬉しそうだ。




 撫でていた手と左手を顎のあたりに添え、僕の方に頭をぐるりと向け、「今日からこの寮で一緒に暮らす美名口亜介くん。仲良くしてね」と若干扱い雑に紹介した。ああ、百々目綺或雷のほっぺたがむぎゅっとつぶれてタコみたいになってしまっている。




「よろしく」




「あしゅけ!」




「ブフッ」無抵抗にタコ顔のまま喋る姿につい吹き出してしまった。「タコのまま喋るな。俺はあすけ、な」




「亜、ぶしゅぅぅけ」




 ドS禿さんも楽しくなってきたのかグッと深くほっぺたを押し込む。ずっと無抵抗な百々目綺或雷の口から空気が漏れ出て、俺の名前がより変な風になってしまった。




そしてなぜか急に誰も喋らない、しかしぶしゅ、ぶしゅっと空気が口から漏れる音だけが部屋にこだまするというカオスな空間がそこに生まれた。




「え、あの、すみません。え?」耐えかねて俺が沈黙を破ると同時に、「あ」と変な声を百々目綺或雷が出し、下腹部のあたりから「クゥカァウオ」と異形のサウンドが飛び出した。腹の音か?屁か?屁ではないよな?




「・・・お風呂入っておいで」




「・・・うん」




 非常に不穏な空気を残しつつ、百々目綺或雷がトボトボゆっくりと部屋を立ち去っていく。今度はゆっくり扉を閉めて出ていった。「美名口くん」禿さんがギョロッと眼だけ動かし俺を見る。




「は、はい」




「何も聞かなかった、そうよね」




「え、何を」言葉の意味を理解しかねて返答に詰まると、グッと俺の目の前に近付いた禿さんが顔の目の前で、目を最大限に開けて「うん、またははいと返事をしなさい」と、どこから出ているのか分からないほど低い声で小さく俺に言った。




「う・・・は、い」




「よろしい」




 俺の返事を聞いてニッコリと表情を崩した禿さんは、先ほどまでの魅力たっぷりの素敵女性だった。


恐ろしい雰囲気はすっかり無くなり、止まっていた時間が動き出したかのように強張っていた体が弛緩していくのを感じた。




「じゃあ今日からよろしくね。基本的には下駄箱横の部屋にいるから、何かあったら私に言って」




「あ、はい。よろしくお願いします」




「特進科にようこそ、美名口くん」




 説明を一通り終えて禿さんは俺の部屋を出ていった。一抹の不安を残しつつも優しい管理人がいて、古臭いけれどもサッカー部の連中と顔を合わせなくても済むこの寮は天国のように思えた。




同居人にやや癖があり、それもまた懸念材料ではあるが、昨日まで腹の底に溜まっていた、不安や劣等感を混ぜ合わせた得体のしれない重いものが解消されている。




 部屋に一人になると、今日まで抱えていた悩みから解放された安堵感と、今日の疲れがごちゃまぜになって急激な眠気に襲われた。晩ご飯まで少し眠るか、そう思い部屋の畳の上にごろんと横になる。




 ふと横の押入れが気になり、横になったままの姿勢でふすまの取っ手に足を延ばし、つま先で開けると前のスポーツ専科の寮に置いていた俺の私物がたぶん全部収納されていた。少し驚いたが、俺の特進科への異動は動かしようのない確定事項なのだと実感した。




 匠な足さばきでふすまを閉め、目を瞑る。さあいよいよひと眠り、とその時ポケットの中の携帯電話がブルっと振動して何かの着信を伝えた。




 無視して寝ようとしたが、気になって携帯を確認すると、メールが届いており発信者は“上矢嗣朗”と表示されている。上矢?誰だ・・・?記憶の中を探ったところ、一人のロン毛の男のニヤニヤした表情が思い浮かんできた。




「あいつか・・・。なんで俺のメール知ってるんだよ、もう何でもいいけど」




 頭が極度に睡眠を欲しているため、事情はまたあの男を問い詰めるとして今はメールの中身だけ確認しようと画面をタップする。メールの文章は次のような内容だった。




『明日は待ちに待った土曜日だ!課外学習を行うので朝8時に校門前集合!(^o^)/』




 もう、ホントに何でもいいよ。


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