第2話 試合当日(回想)
当日、試合は水流添高校の第2グラウンドで行われた。今でも、当時の土の匂いや地面を駆ける感覚をはっきりと思い出せるし、あの日に戻れたらと何度考えたことだろう。
俺は1年生側のスタートメンバーに選ばれ、試合開始から暴れ回ってやるぞと心の中で決意を固め、ひとり士気を高めていた。
試合展開は大方の予想通り、序盤から上級生レギュラーメンバーが一方的に攻め立て、1年生側がそれを必死に防ぐ、といったもので、フォワードとして前線で点を取る役割である俺のところにボールがなかなか回ってこなかった。
逆にディフェンスをしていた上級生は、1年生がまったく攻めてこないものだから暇そうで、俺に話しかけてきたりもした。
「お前、残念やけど今日はこのままボール触れず試合終了やな」
「ハハハっ、それは困りましたね!」
おっと、俺は普段こんな話し方だったんだ。イメージとしてはマンガとかに登場する天才キャラを想像して欲しい。暑苦しい熱血スポーツバカではなく、あくまで俺はスマートで洗練されたキャラで通すつもりだった。
高校入学前に一番準備をしていたことといってもいいくらいに、高校生活を最高のものにするためにあらゆる設定を作り込んでいた。その一つがこのクールな天才くん、という俺の人物像だった。
上級生に対し、ブランディング戦略どおりのクールな返事をしたはいいものの、確かに一向にパスが回ってこない状況には焦りを感じていた。このままではサッカー部全員へのアピールもへったくれもない。
焦った俺がとった行動は、攻め込まれている自陣のディフェンスラインまで下がりボールを奪うことだった。
上級生たちもまさか背後から敵のフォワードがやってくるとは思っていなかったため、簡単にボールを奪うことに成功した俺は、踵を返して猛然と上級生側のゴールにドリブルを開始した。
まず最初に正面に立ちはだかったヤツを股抜きで華麗にかわす。
直後別のヤツが左側からスライディングしてくるのが目の端に見えたが、ボールごと軽くジャンプしこれもまた華麗にかわした。
こうなるともう目の前に進路を阻むものはいなくなり、一気にトップスピードで敵陣を切り裂いていく。
上級生側が完全に俺たち1年を舐めてくれていたから、ボールを奪われることなんて想定してなかったんだろう。明らかにディフェンスラインに隙ができていた。
さっき俺に話しかけてきた上級生が何か喚いていたが、気にせずぶっちぎり、ついにゴールキーパーとの一対一になった。
高速でドリブルをする最中、思考を巡らせた。さて、どうしてやろうか。キーパーとの一対一になった時点でゴールを決めることはもはや容易い。危険を冒さず、遠目からふわりとループシュートでキーパー頭上を抜いてやればいい。
しかし、この試合の俺の目標はチーム全員に俺という存在をアピールすることだ。僅か数秒の間で、いかに俺が目立つゴールパターンができるか脳内でシミュレーションする。
そうだ、キーパーも抜き去ってやろう。そして完全に無人となったゴールに思いっきりシュートを突き刺す。これだ、このプランが最も俺を輝かせるに違いない。
決定するやいなや、飛び出してきたキーパーに対し一度左に行くかのようにフェイントをかける。まんまとキーパーの体の軸が俺から向かって左に傾いた瞬間、一気に体を右に切り返し、数歩でキーパーをかわした。
もはや俺の覇道を阻むものはいなくなった。無人となったゴールが驚いたように俺を見ている、ように見える。さぞやこのゴールは恐怖に慄いていることだろう。今日は一切出番がなく、一本のシュートも喰らわないと安心していたのだろう、と見える。
すまないな、ゴールよ。今から俺の、特大スペシャル暗黒波動キャノンカタパルト重砲をおみまいしてやるぜー!と心の中で唱え、大きく右足を振り上げ、そして即座に振り下ろしボールを強烈にインパクト!!はできなかった。
この時何が起こったのか。とても簡単に説明すれば、俺は勢いよく地面を蹴っていた。
自分をいかに良く見せようかと頭がいっぱいになっていたせいなのか、直前のキーパーをかわした際に体のバランスが崩れていたのか、とにかく俺のつま先は地面に突き刺さり、それだけで済めばよかったのだが、何せ全力で必殺シュートを放つ体制だったから行き場を失った勢いに乗って俺の体はてこの原理で前方に吹っ飛んだ。
もしバイクに詳しい人がいるなら、『ハイサイド』と例えれば分かってもらえるだろう。そんな感じで見事な飛距離を記録した。
地面に着地した後もなお勢いは留まることを知らず、ゴロンゴロンとグラウンドを転がり続け、最終的に俺の体はゴールの中に吸い込まれていった。
ボールをゴールに叩きこむはずが、俺自身の体をもってしてゴールネットを揺らす結果となったのだった。
しばらく、グラウンドは静寂に包まれた。そして次の瞬間、サッカー部全員が大爆笑の渦に巻き込まれた。それはもうお笑いライブでも滅多に湧きおこらないんじゃないか、そんな風に思わせるほどの地鳴りにも似た轟音となって俺の耳に届いた。
ヤバい。すさまじくカッコ悪い状況に陥っている。そう判断した俺は速やかに体を起こし、プレーに戻ろうとした。しかし右足に強烈な痛みが走って、またしても地べたに崩れ落ちてしまった。
地面に顔をぶつけ、汗に砂がこびりついたせいで口の中にまで砂利が入り込んできた。
太陽の熱を帯びた地面は諸々で火照った俺の体温よりチリチリと熱かった。横向きの体制で、横向きのサッカー部全員が俺を見てゲラゲラ笑っている光景が俺の輝かしい高校生活の終わりを伝えている気がした。
立ち上がれない俺を見かねた1年生チームのベンチが交代を告げ、グラウンドを後にしたのだった。
その後、病院で検査を受けてみると、右足の親指骨折、そして右膝の靭帯損傷という結果だった。
医者が言うには、どちらも数ヶ月の治療とリハビリを適切に行えば日常の生活は送れるレベルに戻れるが、またサッカーで以前のようなプレーをすることは保証出来かねる、との診断だった。
何でも膝の靭帯は一度損傷すると、その後のどの程度まで影響を及ぼすのか予想が難しいのだそうだ。最悪の場合、もうサッカーをプレーすることができなくなる可能性も視野に入れておいて下さいね、と言われてもその言葉を受け入れることはとてもできなかった。
ケガを負った日から俺の高校生活はまったく光を失ってしまったように感じられた。
サッカー部のコーチからはケガが治るまで自主トレーニング期間だと言い渡され、いくつかトレーニングメニューを教えられただけで終わりだった。
俺の復帰を待ち望んでいるような様子はなく、水流添高校サッカー部における自分自身の存在のちっぽけさを思い知らされた。
普段の生活でも少しずつ変化を起こり始めていた。クラスメイトや廊下ですれ違うサッカー部員たちが俺を見ると少しニヤけた表情になるのだ。
どうやら俺は逆の方向性で目立ってしまい、ゴールに体ごと突っ込んだバカな面白いヤツとして認識されてしまったらしい。
噂で聞いただけだが、『核ミサイル』とか『でんぐりゴールマン』などと不名誉なあだ名をつけられているみたいだった。
自然とサッカー部が集まっているところは避けるようになった。
サッカー部以外の周囲の同級生たちにしても、日々それぞれの才能を伸ばし成長しているように見え、嫌でも自分の状況と比較してしまい、置いて行かれている引け目から学校での俺の口数は減っていった。
そのため教室内での俺の評価は何かオドオドしてる暗いヤツ、というこれまた不名誉なものになりつつあった。
四国のド田舎から京都の水流添高校にやってきた俺は、もちろん実家から通学できるはずもなく、高校の寮生活を始めていたのだが、これも良くなかった。
ただでさえ学校の中で寂しく過ごしているのに、心と体を休めるはずの家でさえもそこでは学校の関係性の延長であったため、俺はずっと孤独を味わう生活を続けていた。
サッカーしか知らなかった俺がいざサッカーをやらなくなると、1日はとても長く、そしてとてもつまらないものだった。
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