水流添高校水泳部の霊能力なセイカツ
一ノ瀬 水々
第1話 夏の魔物
夢を失った男とはこんな顔をぶら下げているのか。
俺は今、わざわざ放課後を狙って北校舎にやってきている。水流添高校の北校舎は、特別教室が多い関係もあり、放課後は一気に人が立ち寄らなくなる。そんな頃合いを見計らい、静かに9階まで上り、フラッと男子トイレに入った。
手洗い場の鏡の前で、一人ポツンと佇む自分の顔をまじまじと正面から見た時、およそ先月までの自分自身とは似ても似つかない存在がそこには映し出されていた。
「お前は、カッコよかったよな・・・」
問いかけるように鏡の中の自分に向かって言葉を漏らした。その一言は小さなつぶやきに過ぎないものだったが、まるで表面張力でいっぱいになったコップに最後の一滴を垂らしたかのごとく、心の中の何かが溢れるきっかけとなった。
誰もいない校舎の、それもシンと静まり返るトイレの中だから当然ではあるものの、とても、酷く孤独な気持ちで胸が締め付けられた。そんな最低な気分になったタイミングで、遠くのグラウンドからサッカー部の練習開始の掛け声が聞こえてきた。
ああ、俺はもうみんなと同じように夢を追いかけることは叶わないのだ。
四国のド田舎で生まれ育った俺、美名口みなぐち亜介あすけは、3歳の誕生日に父親からサッカーボールを買ってもらったことをきっかけに、サッカーの魅力にのめり込んだ。
幸か不幸か、運動神経も良かったため、小学生の頃には既に地元では名の知れた天才サッカー少年として有名だった。
中学に上っても俺の実力はとどまるところを知らず、メキメキと才能に磨きがかかっていった。中学1年の夏にはもう3年生を差し置いてレギュラーになること、などは当然として県のトレセンという、言わば強化指定選手のような制度にもしっかり選ばれるほどだった。
当然そんな俺を周囲が放っておくはずがなく、中学のチームメイトからは「プロ確実」とか「将来のスター候補」なんてもてはやされ、学生生活においても女子から絶大な人気を誇った俺は、中学の3年間で他の地区の学校も含めて100人以上から告白された。あの頃は毎年バレンタインの前日が憂鬱だったことを今では懐かしく思う。
中学3年の秋、他の生徒たちが受験だ就職だと浮足立ってきた中、俺は今の高校からサッカーのスポーツ推薦の指名を受けた。
我が水流添つるぞえ大学付属水流添高校は京都市上京区、京都御所にほど近い場所に存在する、一見ヨーロッパに迷い込んだかと錯覚するほど豪華絢爛な校舎を構えた私立の高校だ。
水流添高校を一言で表すと、『文武両道』という言葉がピッタリだろう。各運動部は俺のような選りすぐりのエリートが日本各地から集まり、また学問の分野においても数学オリンピックの日本代表から英検一級合格とTOEIC満点を毎年達成している猛者まで、日本中から多種多様な才能が集まり日々さらなる高みへの研鑽を積んでいる。
中学までド田舎の景色しか見たことがなかった俺は、最初この高校の校舎を見た時本当に開いた口が塞がらなかった。俺はまだ見たことはないが、上京した若者が東京タワーを目の前にして感動するような感覚に似ているはずだ。
都会の、それも一流が集まるこの高校に面食らいはしたが、それでも頭の奥の方で「俺の人生の花道が始まった!」とふつふつとした喜び、そして自分の才能に対するある種の全能感が全身を満たすのを感じた。
俺は他の誰とも違う、特別な人生を送ることを許された、一握りの特別な存在なんだ。恥ずかしげもなくそう確信していた。
そんな風に順風満帆となるはずだった俺の高校生活は、早々に叩き壊された。その出来事が起こったのは一学期の終わりごろ、夏が始まる前の頃だった。
水流添高校サッカー部では毎年恒例の行事として、上級生の現レギュラーメンバーと入部間もない新一年生のみで編成するチームで練習試合をするというイベントがあった。
上級生のレギュラーメンバーと言うと、全国大会上位進出は当然として、3年生の中には既にプロサッカークラブからも加入の打診が来ているようなのもいる。これと高校入学したての1年チームが対戦するとどうなるか、結果はもちろんダブルスコア以上の点差を付けられ1年生側が惨敗し、絶望を叩きこまれるといった光景が毎年繰り返されている。
一見ただの上級生からの下級生イジメのようにも思えるが、何も水流添高校サッカー部が陰湿なスパルタ教育の権化であるわけではない。
水流添高校サッカー部1年とは、俺のようにそれぞれの地元でサッカーにおいて天才であると自覚した自信過剰なヤツらが集まっている。そのプライドを早々にポッキリと叩き折ってやることで、謙虚さ、そして挫折への耐性を身につけさせておくために必要な洗礼なのだ。
ただし、俺は御多分に漏れず、というかむしろ強烈に自分自身のサッカーにおける才能に自惚れていたため、上級生と対戦できると知ったときは「俺の才能を全員にアピールするチャンスだ」と本気で高揚していた。試合でアピールし、他の1年生を差し置いて、自分だけは現レギュラーメンバーに抜擢されるに違いないとほくそ笑んでいた。
結果として、確かに俺はサッカー部全員に自分自身をアピールすることができた。
―――もっとも、それは悪い方向で、だったが。
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