第6話
朝。目が覚めると、かなり際どい時間だった。
「やばい、話しすぎた」
うっかり雑談に花を咲かせてしまって、お互いにログアウトするタイミングを見失ったのが原因だ。これを失敗と言いたくない自分に真央は気づいたが、とにかく登校しなければならない。
慌てて支度を済ませて家を出る。途中途中でダッシュすれば間に合うだろう、と真央は一旦歩調を緩めてスマホを確認した。時刻はだいたい思った通りで、余裕はないが切羽詰まってもいない。
ついでに、蒼井さゆりから連絡が来ているのに気づく。内容は『
レオとさゆりが並んでいる場面、大角牛の突進をひらりと躱した瞬間のレオ、治癒魔法を発現した瞬間のキラキラしたエフェクトを纏うさゆり、酒場でハープを奏でるソアラ。レオとレイナが並んで剣を抜いているツーショットなんかもあった。
『雄二くんから貰ったよー。いい感じの、ピックアップしてみました』
字面から、ふんわりと笑っているさゆりが容易に想像できた。
昨晩はレイナと話し込んでいたからスマホに反応できなかったが、登校してから話をすればいいか、と口端を持ちを上げ、真央は走り出した。
走る。歩く。また走る。
何度か繰り返して、学校が近づく。
時間的に、もうほとんど登校している生徒を見かけない。古いマンガみたいに校門を閉める教師なんかいないので、ホームルームまでに教室へ飛び込めばセーフだ。
安堵と共に校門を抜けようとした瞬間、正反対の道から同じように走ってくる人物に気付いた。
「げっ……会長……」
「白神真央! なにげ『げっ』よ! 遅刻寸前で登校するなんて、生徒会役員として恥ずかしいと思わないの!?」
思いっきり眉の角度をつり上げた源治まどかが、自らを綺麗に棚の上へ退避させて言った。清々しいまでの棚上げだ。
「会長こそ、朝からロードワークだなんて、随分と健康的ですね」
「うるっさいわね! 誰だって寝坊のひとつやふたつはするのよ!」
「だったら俺だってそうだ」
「普段から品行方正な私と、普段から不規則不真面目なあんたとじゃ、遅刻の価値が違うの――って、無駄話してる場合じゃないわね!」
結局、まどかと連れ添う形で校舎に飛び込み、遅刻は免れることになった。
顔を合わせた瞬間に真央が覚悟したよりも昨日の怒りを引きずっていないように見えたのは、少し意外に思えた。
◇◇◇
「そういえば豪雲寺くんから伝言があるぜ。『例の件に区切りがついた』ってさ。礼を言いたいから放課後に旧校舎に来てくれと。これでようやくオレの肩の荷も降りるってもんだ。大変だったぜ、まったく」
昼休みに学食でカレーうどんをすすりながら雄二がそんなことを言った。
ので、放課後になって旧校舎へ向かうことに。
ここ最近、放課後の旧校舎にはいい思い出がないのだが、放課後に本校舎へ残っていると生徒会長ではなく教師陣からの注意があるかも知れない――そもそも各教室は鍵が掛けられてしまう――ので、落ち合うとすれば校外か旧校舎になる。
はたして豪雲寺剛は、旧校舎の三階、科学部室近くの廊下に立ち尽くしていた。
これがなにかのゲームだったら「ここを通りたくば俺を倒していけ」とでも言わんばかりの仁王立ちで、真央は思わず表情を崩してしまう。
ひたすら厳つい巨漢で、成績も『落ちこぼれ』の側にいる。おまけに名前までごつい男だが、豪雲寺は別に不良というわけではない。
休日には『DC』にログインしたりもしていて、真央ともゲーム友達だ。
「お疲れ、豪雲寺くん。区切りがついたっていうのは、見つかったの?」
軽く手を挙げて、すぐに本題に入る。
豪雲寺は仁王立ちの状態で静かに頷いた。知らぬ者からすれば怒気を堪えている大男に見えるかも知れないが、普通に頷いているだけだ。
「うむ。白神には世話になった。俺の個人的な頼みを引き受けてくれて、本当に感謝している。この借りは、いずれ必ず返そう」
あまりにも男前な発言だったので、うっかり普通に照れてしまう。
「いいよ、いいよ。元はといえば俺と雄二が悪ふざけしてたのが原因っぽいし。金子先生の婚約指輪、見つかってよかったよ。こっちもほっとした」
それは先日の話だ。
科学部室の人体模型に服を着せてやり、発見したやつのリアクションを見るという本物の悪ふざけを敢行した真央と雄二だったが、ロッカーから飛び出た二人の方に発見者――金子真知子先生(二十八歳女性)――は驚いてしまった。
で、おそらくそのときに、婚約指輪を落とした。
学校にいる間は外しており、ネックレスに通して首から下げていたそうだが、驚いて尻もちをついた際に鎖が外れ、指輪を失くしてしまったという。
当然、科学部室を探したが、見つからず。
よく判らないところまで転がってしまったのであれば、もはや発見は困難……というより、不可能に近い。
落ち込んでいる金子先生に気付いた豪雲寺剛は彼女から事情を聞き、真央に相談を持ちかけた。生徒会書紀であり、ゲーム友達であり、豪雲寺を怖がらない数少ない人物だったからだ。
もしかすると、頼れると思ってくれたのかも知れない。
嬉しくないわけではないが、少々買い被りがすぎる、と真央は思う。
さておき。
「おまえの手際には感心するばかりだった。その日から旧校舎掃除で出たゴミを業者に回収される手前で止め、赤城雄二にゴミを改めさせた。もちろん俺の舎弟にもやらせたが、大変な作業だっただろう」
そこに関しては、原因である可能性の高い真央と雄二にもそれなりの良心が備わっていたからだ。さすがにそういうつもりじゃなかった。
「でも結局、回収手前のゴミからは出てこなかった。ってことは、豪雲寺くんたちが旧校舎の廊下を舐め回すように探して見つけたんでしょ? 俺は実作業してないんだから、大変だったのは豪雲寺くんの方だよ」
会長にもキャンキャン吠えられてたしね、と付け加える。
豪雲寺は眉の角度を変えて「むう」と唸った。
「こんなことなら雑巾がけのふりでもしていればよかったと今になって思うが、考えてみれば事情を聞かれたところで俺ではろくに説明できなかっただろう。上手いこと俺たちを逃してくれたのにも、重ねて感謝しよう」
きちんと頭を下げる大男に、真央は首を横に振って笑った。
しかし豪雲寺は頭こそ上げてくれたものの、感謝は止めなかった。
「今回の手腕には本当に感心させられた。おまえに相談してよかった。俺一人では義姉の失くした指輪を探し出すことなどできなかっただろう。落ち込む義姉を慰めることも、俺には向いていないだろうからな。さすがは『金獅子のレオ』だ」
「あはは。こっちでは白神真央だよ。ただの、平凡よりちょっと下の、間違って生徒会に入っちゃっただけのやつだ」
「そう卑下するものではない。俺はそう思ったのだ。やはり白神真央は『金獅子のレオ』だ。どちらにしても、頼りになる――」
ガタン!
と、不意に物音がした。
思わず豪雲寺と顔を合わせ、物音の方向を見る。廊下の曲がり角のあたりに、なにかが転がっているのが見えた。
たぶん、スマートフォン。
そしてそれを拾おうともせず、床にへたり込んでいる女生徒。
「そんな……そんなまさか……」
何事かを呟きながら呆然と真央を見ているのは、源治まどかだった。
反射的に真央は豪雲寺に振り返り、同様に真央へ視線を向けていた豪雲寺と目を合わせてアイコンタクト。
しゅたっ、と手を挙げて歩き去る大男の背を確認してから、真央は廊下にへたり込んでいるまどかに近づいた。
「会長、こんなところでなにやってんすか? まさか廊下の冷たさを確認したいわけでもなさそうですけど」
昨日の件を引きずってか、意図せず皮肉が口から出る。
しかしまどかは怒って反論するでもなく、近づいてくる真央の顔を呆然と眺めながら、ぶつぶつと何事かを呟き続けていた。
あるいは豪雲寺と真央の立ち話を聞いてしまって、自分の行いを悔いているのかも知れない……もしそうだったら、ちょっと悪かったなという気になった。
だって厳つい大男が取り巻きを連れて放課後の旧校舎をうろつき、人の落とし物を探し回っているだなんて、想像できるわけがない。
用事もないのに放課後に残るな、という注意それ自体は正当なのだ。
おまけに真央と豪雲寺がグルではないかという会長の疑いは、実際その通りだった。目的が後ろめたくないというだけで。
そんなふうに考えながら、曲がり角でへたり込む生徒会長に近づく。
物理的に距離が縮んだことで、彼女の呟きも耳に届いてきた。
「嘘。絶対に嘘。こんなやつがレオ様だなんて……師匠だなんて……でも、でも……だからこいつ、今日、遅刻しそうに……嘘よ。信じない……」
――うん?
なにか、聞き捨てならないことをまどかは言った。
脳が理解を拒否しそうになる言葉だ。いや、拒否したくなったのは自意識の方で、真央の脳は勝手に理解を進めていた。
暗算の得意なやつが、いくつかの数字を見せられたときには足し算が終わっているみたいに。真央が『DC』の中でモンスターを前にしたとき、有効な対処法とカウンターの取り方が無意識で判ってしまうみたいに……。
真央を――レオを『師匠』と呼ぶ者は、一人しかいない。
そして廊下に転がっているスマートフォンの画面には、レオとレイナのツーショットが写っていた。おそらく、サユリがレイナへスクリーンショットを送ってやったのだろう。そういうところは気の利く幼馴染なのだ。
もしくはレッドアイがレイナに送ったのかも知れないが、いずれにせよ雄二が撮った画像を、まどかが所有しているのは……、
いや、いやいや。
そんなまさか。
「会長が、あんなに素直で殊勝なレイナなわけがない!」
「あんたが師匠だったなんて、絶対に嘘よ!!」
二人は同時に叫んだ。
それがなによりの答え合わせだった。
ダブルチェイン/ダブルフェイス モモンガ・アイリス @momonga_novels
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