第3話
ヘッドマウントディスプレイを外すと見慣れた自室が目に映り、金獅子のレオは
数秒前まで演じていた二十八歳のイケメン騎士(設定)から、ただの平凡な高校生という自分を見つめ直すのにかかる時間は、コンマ五秒。
こんなものは慣れだ、と真央は身につけていたVR機器を定位置に戻し、スマホを手に取って連絡事項を確認する。
「あー……また会長が余計なことしてんのか……面倒くさ」
会長というのは、生徒会長のことだ。
真央も生徒会で書紀を務めているが、優等生では全くない。常連とまではいかないにしても顔なじみといった頻度で補習を受けているくらいだ。
どちらかといえば『落ちこぼれ』の側だろう。極北ではないにしても、無理矢理に二分すればそちらに入る自覚がある。
そんなやつがどうして生徒会なんかに入ったのか。風邪で欠席したらいつの間にか他薦されていて、そのまま選挙で当選してしまっただけの話だ。
「レオみたいにはいかないんだよなぁ」
はぁ、と溜息。
ゲーム内では『金獅子のレオ』として落ち着いた紳士的な人物を演じているが、それは単純に格好いいからだ。慇懃に話す沈着冷静な人物がめっちゃ強いのである。カッコイイじゃないか。
が、その中身はベッドに転がってスマホを眺めながら愚痴と溜息を半々の割合で垂れ流す、平凡よりも少し劣る程度の高校生だ。
さっきまで『
それはそれとして、ゲームの中で金獅子のレオになって、例えばソロでプレイし始めた初心者のレイナみたいなやつを手助けしてやるのも、楽しいのだ。なにしろ『レオ』はレベル上限まで上げてしまっているので、特殊なイベント以外ではほとんどやることがなくなっている。
「まあ、師匠だなんて言われて懐かれるのは想定外だったけど……」
つまりそれは、真央がカッコイイと思って演じている『レオ』が、他人から見てもカッコイイということである。悪い気はしなかった。
多少、面倒だとは思うけれど。
◇◇◇
「よう真央。おっはよーさん」
朝。登校して教室に入ると、やたらと元気で軽薄な男が真央に声をかけた。
隻眼の海賊レッドアイ――の中身、
小学校からの親友で、真央を生徒会に推薦した諸悪の根源である。
ちなみに補習仲間でもあった。真央と同じく成績の振れ幅が大きいタイプで、頭は悪くないのに補習に引っかかるところも一緒だ。
「うっす。雄二は今日も元気だな」
「おまえは今日もテンション低いなぁ。駄目だぜ、オレみたいにバイタリティ溢れてないと。男には七人の侍がいるんだからな」
「いねーよ」
「いなかったか?」
「男子家を出ずれば七人の敵あり、だね」
ひょい、と横から声をかけられた。治癒師のサユリ――とはあまり違いが感じられない、
ゲーム内のプレイヤー名を入力する際に本名を入力するものと勘違いしていたことから判るように、現代人のくせにネットに詳しくない希少種である。
「おはよう、真央ちゃん」
「ん」
「あはは~、今日も低燃費だねぇ」
「俺は現代的なんだ。時代はエコロジー。限りある資源を大切に」
「そんなこと言って、先週なんて雄二くんと人体模型に体操服着せてたじゃない」
「あれは楽しかった」
「ああ、そうだな。誰かに発見されるまでがセットだから、オレと真央の二人でロッカーに隠れてた。発見した金井センセーはむしろ人体模型よりロッカーから飛び出してきたオレたちに驚いてたぜ」
ぐっ、と握り拳を突き出してから親指を立てる雄二。
真央も同じようにした。
さゆりは呆れ顔で嘆息してから、仕方なさそうに笑う。
「そういえば、
教室内に吟遊詩人のソアラ――の中身である、
「あぁ、紫苑ならあのあと夜中に雑談配信してたから、たぶん寝坊だな」
「ったく、仕方ないな」
「人気のバ美肉バーチャル配信者だぜ? 昨日の配信でも結構な額のスパチャを稼いでた。ちなみにオレも百円スパチャした」
「男友達を相手に、おまえはなにやってんだ」
「紫苑のやつは友達だけどな、シオーネちゃんは別なんだよ。オレはそういうのを分けて考えられるからな。シオーネちゃんはカワイイぜ! こう、小悪魔っぽくてさ、いい感じの太ももをチラチラ見せつけてくるんだ……なあ、真央。あれは絶対に誘ってやがるぜ。オレにはわかるんだ。おまえにもわかるだろ?」
「わかんねーよ!」
思わず強めにツッコミを入れた。
低燃費からは遠い朝である。
◇◇◇
放課後。
用事がある雄二、部活に行くというさゆりに別れを告げ、真央は生徒会へ顔を出すことに。余談になるが紫苑空は三時間目に登校して来て、放課後にはさっさと帰宅した。あれで補習仲間じゃないのは要領の良さだろう。
なんとはなしに溜息をひとつ。
それから、真央はとりあえず旧校舎へ向かうことにする。生徒会室は本校舎の三階にあるのだが、気が向いた――というよりは、気になることがあったので。
一階の渡り廊下を抜け、文化部室や空き教室なんかを横目にひとまず旧校舎をぐるりと回る。つい先日、雄二と一緒に人体模型へイタズラをした科学部室も旧校舎にある。今日は部活をやっていないようで、科学部室には誰もいなかった。
――と、
そんなふうに旧校舎を歩いていると、廊下の奥で物音が聞こえた。
物音……いや、はっきりと揉め事の音だ。
人と人が言い合っている。
「だから、用事のない生徒は下校しなければならないと言っているでしょ! 部活や先生からの指示、そういう正当な理由がないと、校舎に残ってちゃいけないのよ!」
耳馴染みのある、高めの声音。
早足で現場に近づいてみれば、背の低い女生徒と『落ちこぼれ側』の数人が嫌な緊張感を高めながら対峙していた。
真央の方向からは女生徒の小さい背中が見えた。ふわふわの猫っ毛が肩甲骨の下あたりまで届いており、スカートから伸びる二本の足は小枝みたいに細い。
誰が呼んだかロリ会長――真央が務める生徒会の、会長である。
真央みたいな『落ちこぼれ側』からは疎まれることが多く、反対側からは規範意識の高さからそれなりの人気があった。容姿に関しては疎んでいる側の連中であっても認めざるを得ないくらいに整っている。
しかし、だ。
小さくてかわいい生物に正論を吐かれるのは、気分がいいものじゃない。
別に好きで小さくかわいい生き物になったわけでもないのだろうが。
「どーしたんすか、会長。それに……
内心では面倒なことになったと舌打ちしながら、見ないふりをするのもどうかと声をかける。
真央の声に振り向いた源治まどかは、おそらく一瞬前よりも表情を険しくした。逆にまどかと対峙している側の一人、真央に呼ばれたあまりにも厳つい男子生徒は、ほんのわずかな安堵を見せた。
ちなみに豪雲寺
そんなやつを相手に両手を腰に当ててふんぞり返って上から目線で説教できる推定百四十センチくらいの女生徒の方にこそ真央は驚く。
「白神真央……! あなた、どうしてこんなところに」
「いや、それはこっちのセリフでもあるんすけど」
旧校舎の三階に用件のある仕事など、なかったはずだ。
「あなたに言う必要はないわ。それより、彼らよ。用事がないなら下校しなさいと言っているの。あなたたちを楽しく遊ばせるために校舎が存在しているわけじゃないのよ。はっきり言って迷惑だし、さっさと消えてくれない?」
なんだってそんな言い方をしなければならないのか、真央には全く理解できなかった。豪雲寺らの雰囲気が剣呑なものになるのも仕方がないだろう。
「まあいいじゃないすか。豪雲寺くんたちも、これから帰るところだったかも知れない。言葉のトゲで他人を突き回すのは校則違反じゃないかも知れないけど、社会通念としてどうかと思いますけどね」
へっ、とわざとらしく鼻を鳴らしてまどかの注意をこちらへ向け、豪雲寺にアイコンタクト。引き付けておくから、今日のところは帰ってくれ。
「あなたに社会通念の持ち合わせがあったなんて驚きね! 白神真央、あなたこそ自分の仕事はどうしたのよ! 昨日の時点で処理しなきゃいけない事務仕事を申し付けたはずよ! 全部終わったの!?」
「期限までには終わらせますよ。期限を過ぎてもないのに怒られるのは筋が通ってないんじゃないすか?」
「うるっさいわね!」
動物なら「ガルル」と唸ってそうな感じで、まどかは真央を睨みつける。その後ろでは豪雲寺らが足音を忍ばせつつその場を離れていくのが見えた。まったく、こんな簡単なことをどうして揉め事に発展させられるんだ?
そのまま彼らの姿が見えなくなるまで、真央はまどかをキレさせないように気をつけながら舌戦を繰り広げることになったが、結局最後は一発殴られた。
会長のパンチは地味に重い。
なにか格闘技でもしているのだろうか、と真央は訝った。小さくて可愛くて獰猛な生物に戦闘技術を仕込むんじゃない。
真央の腹へ拳を叩き込んだ源治まどかは「ふん!」と鼻息を漏らし、生徒会室に戻るわよと真央を歩かせ、その何歩か後ろをついてきた。
真央としては獰猛な小動物を背後にしていたくなかったが、だからといって隣を歩かれても困るのが本音である。
源治まどか。
規範意識が強く、ルールを破る者に対してやたら攻撃性が高い。そのせいで本来無用な軋轢を生むし、トラブルを招くことになる。
低燃費を是とする白神真央としては、まったく理解の外にいる女だった。
生徒会室へ戻って事務処理をこなしている間、真央はまどかと一言も喋らなかった。他の生徒会役員、会計や会計監査なんかとは軽口を交わし合うこともあったが、真央がなにか話すたびに源治まどかの目付きが悪くなっていくのは、はっきり言えば辟易とさせられた。
――はあ? 私が間違ってるっていうの!?
とは、これまで幾度となく聞かされたまどかの言だ。
これを聞くたびに真央は「理念は正しくても手段が正しくない」だとか、あるいは「世に絶対の正しさなど存在しない」とか、もしくは「この世には真実などなく、あるのは解釈のみだ」などと反論を試みたものだが、源治まどかの性質に変化は訪れなかった。真央の言葉など聞くに値しない、ということだ。
そうして真央はまどかに対しては適当に受け流して、都度発生するトラブルを――どういうわけか、彼女が引き起こすトラブルに出会すことが多いので――可及的速やかに、丸く収めてしまうことが定例化した。
トラブル相手が真央に対して同情的になることが多いのが、救いといえば救いだろう。誰彼構わず恨まれ憎まれてまで、生徒会の書紀なんてやりたくもない。
が、任命されてしまった以上は、それなりにやる。
そういう奇妙な義理堅さが真央にはあった。
幼馴染の蒼井さゆりなら、ふんわり笑って「それが真央ちゃんだよ」とでも言うだろう。確認するまでもなく、それは当然のように想像できた。
なんだかんだ、良き幼馴染である。
いつまで経っても真央に「ちゃん」を付ける以外は。
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