第2話



 男の名は、レオという。

 青年という括りの中ではやや年嵩としかさといった外見で、毛量の多い金髪をオールバックにしている。体感型VRゲーム『DCダブルチェイン』においては古参のプレイヤーであり、知る者からは『金獅子きんじし』の二つ名で呼ばれることもあった。


 レオは走っていた。

 古代竜の皮を加工して作られた月白げっぱく色のコートをはためかせ、ログイン地点に設定してある街を抜けて草原を縦断し、さらに奥へ。


 ログインした瞬間、新着メッセージが二件あったからだ。

 一件は最近付き合いが出来た女騎士のプレイヤー。待ち合わせの時間に遅れることを外部ツールで伝えたはずなのに、ゲーム内のメッセージ機能で返信がきていた。


〈了解しました。私は草原に出てレベル上げをしています。ログインできたらメッセージをください〉


 現実の方で野暮用が発生したため、レオは彼女との待ち合わせに遅刻することになってしまったが、まあそれはいい。

 二件目のメッセージが問題だった。


〈レイナちゃんがピンチだ。黒狼のイベントを引いたっぽい。加勢するが、ちょいとマズい感じだ。急げ、レオ〉


 道すがらに出くわすモンスターは全て無視。手近なファストトラベル地点がないことに内心で舌打ちをしながら、レオは走る。その速度はまさに獅子の疾駆というべきか。上限に達したレベルによるステータス任せの走法である。


 走って、はしって、はしって――。

 間に合った。


 プレイヤー間で『黒狼の住処』と通称される荒野地帯のイベントだ。パーティの総レベルが既定値以下で、なおかつ群で出現するグラウ・ヴォルフとの戦闘時間が長引いた場合に限り、限定ボスモンスター『黒狼シュバルツ・ヴォルフ』が姿を見せる。


 やけに条件の厳しいイベントのようだが、そういった複雑な条件下でのみ発動するイベントというのが『DC』には多い。多すぎると言っていいだろう。エンドコンテンツまでやりこみ、レベルも上限に達したレオでも未見のイベントが多いのだ。


 ともあれ、ちょっとした物置小屋みたいな大きさの黒狼が、今まさに赤髪の女騎士レイナへ突進しようと牙を剥き出しにしているところに――レオは飛ぶ鳥が落とす影のような速度で滑り込んだ。


「すまない。遅刻しました」


 気取って言って、腰に収めていた中型の騎士剣『ナマクラ』を黒狼の鼻っ柱へ叩き込む。派手なダメージエフェクトと同時に狼の頭部が跳ね上がり、巨体が仰け反った。

 明確なその隙を逃すほど、金獅子は鈍くない。

 そして――ゲームの楽しみを奪うほど無粋でもなかった。


「レオさ……師匠!」


 窮地を脱した安堵からか、頬を紅潮させて驚くレイナ。

 金獅子の騎士は、そんな彼女の様子を一瞥して戦闘続行可能と判断し、ほんのわずかだけ口端をつり上げ、黒狼へ追撃を決める。


 神速の踏み込み、そして『鈍』による斬り上げ。

 文字通りのであるが故に、レオのレベルであっても耐久力をあまり削らない。ただしヒットバックは大きかった。生命力へのダメージではなく耐久力へのダメージを与えた際、このゲームでは大小はあれど確実にヒットバックが発生する。

 強く斬り上げた。

 だから、人間よりも巨大なサイズの狼が、上方向へ――、


「やれるだろう、レイナ」


 言って、わざわざ攻撃モーション後の残心をキャンセルせずにのんびりと剣を鞘に収めている間に、レイナが動いた。


「だああぁぁっ、りゃあ!」


 中空を舞う黒狼へ、追撃の斬り上げ、自身も跳び上がっての三連斬。さらに未だ滞空中の黒狼を足場にまた跳び、アクロバティックな回転斬り。

 ヒットバックの方向を任意に調整することで実現できる、空中連撃エリアル・チェインである。


 現実リアルさながらの質感ではあっても、幻想ゲームだ。

 だからレオは『DC』が好きだ。


 連撃が九回を超えたあたりで耐久力に対するダメージエフェクトが消え、剣戟が黒狼の肉体を斬り裂くようになった。

 こうなるとヒットバックは発生しない。

 そのことをレイナも理解しているので、即座に連撃用の技を中断して騎士剣を両手で握りしめ、強烈な一撃を繰り出した。


 空中で咲く血飛沫ブラッド・エフェクト。リアルすぎるせいで規制されており、飛び散る血はまるで光るミルク色といったふうだが、別にグロが見たいわけじゃないので構わない。


 どうっ、と黒狼の巨体が墜落し、半瞬だけ遅れてレイナが綺麗に着地した。

 表情に浮かぶのは、あからさまな昂揚。


「素晴らしい技の冴えだ。かなり練習しないとやれないだろう。これならば教えた甲斐もあったものです……いや、その前に謝罪が先ですね。約束しておいて、遅れて申し訳ありませんでした。少々野暮用がありましてね」


 思わず拍手しそうになったのを取りやめて、レオはきちんと頭の角度を下げて謝った。こういうプラスマイナスを放置するとろくなことにならない、というのがVRMMOの鉄則である。


「いえ……その……助かりました、師匠。それにレッドアイさん方も」

「いいんだよ~。ソアラたちにかかれば余裕余裕っ!」


 何故かモンスターには一ミリもダメージを与えていないはずのソアラがひらひらと手を振りながら言う。


「それにしても、どうして独りで『黒狼の住処』に? 草原でレベル上げをするといってましたし、このイベントに挑むには少々無理が過ぎるよう思いますが」

「……狩りをしようと思ったんです」


 言葉少なに答えるレイナは、なにかをごまかそうとしているように見えた。

 が、わざわざ追求する気にはならない。


「まあ、ゲームですからね。好きに楽しむべきだ。とはいえ、多少の忠告は許していただきたい。突出して無茶をするのは、失敗したときに面白くないですよ」


 逆に言えば成功すれば気持ちいいのだが、別に死んでもいいやという心持ちはレオの美学に反するものだ。

 これはゲームだから、死んでもいい。

 けど――死にたくない。

 だって幻想ゲームだから。

 そこが重要なのだ。


「はい、師匠。心に留めておきます。それで……その、こちらこそすみません、そろそろ時間なので、落ちます。では、また」


 ぺこりと頭を下げたままの姿勢でレイナの姿が虚空に消えていく。『DC』では戦闘状態でなければ何処でもペナルティなしでログアウトできるが、規定の場所以外でログアウトした場合、再開は復活地点に指定した場所リスポーン・ポイントからになる。


「やーれやれ。金獅子のレオ様に美味しいところもってかれちまった。なぁオイ、どうよレイナちゃんとの関係は? なんか進んだか?」


 赤髪の女騎士が消えたのを確認したレッドアイは、不意にニヤつきながらレオの肩に腕を回してきた。


「レベル上げは順調ですが、なんだってソロで『黒狼』のイベントに挑んだのかは、少し気になるところではありますね」

「あっ、ていうか、わたしたちも時間気にした方がいいかも」


 右上あたりに視線を向けながらサユリが言う。おそらく視界内に表示させている時計を確認したのだろう。邪魔なのでレオは表示をオフにしているが。


「そっか。明日も平日だ……レオは残るのか?」

「んー……いや、やることないし、落ちるよ」

「口調、戻ってるぜ、金獅子のレオ様?」

「おっと」


 ニヤつくレッドアイの指摘に思わず口元を手で抑える。


「そんじゃ、ソアラも落ちるね。ばいばーい」


 余韻もなにもなくさっさとログアウトするソアラを皮切りに、レオたちもログアウトすることにした。


 幻想から、現実へ。




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