3
陽は傾き、夜となった。私は「地球」の夕陽を眺めてみたが、沈みゆく「太陽」によって焼け焦げるように赤々と照らされる天地は不気味そのもので、まるで製鉄所の鎔鉱炉をすぐ近くから見下ろしているような感じであった。父と母は私におやすみを言って私のベッドルームから出ていった。私はドアが閉められるとすぐに宇宙服の準備をし、ベランダの周りをひと通り確認した後、読書をしながら父と母が眠るその時を待った。
時刻は十二時を過ぎていたように思う。私は物音ひとつ立てないように慎重に父と母が寝ているのをみとめると、すぐさま宇宙服を着てホテルを首尾よく抜け出した。深夜の「地球」は無音の世界だった。ただ私の足音だけが聞こえる。月明かりのおかげで幾分か地表は明るいが、懐中電灯で周囲を注意深く確認しながら歩いていく。
しばらく散策してみたが何か興味深い発見をすることはなく、だんだんとつまらなくなってきた。昼間に見た光景が全てだったのだ。それ以上のものは存在しないのだ。私はもう帰ることにした。そのときだった。
「あなたそこで何をしているの?」
暗闇から何者かに声をかけられた。私は咄嗟に懐中電灯を声の聞こえたような方向へその光を向けた。照らしだされたのは一人の少女であった。彼女は突然にその強烈な燭光を目に受け、目が眩んだのか顔を背けた。照らされる彼女の姿を見ると宇宙服を着ていないらしい。彼女は墓守の子のようだ。
「まぶしいから顔に光を向けないでちょうだい」
私は懐中電灯の明かりを下におろし、彼女とあらためて向きあう。私と同じ歳ぐらいの少女であった。彼女の右手には昼間墓場で見た墓守たちのように何か槍のような細長いものを握っていた。
「ありがと。で、あなたはこんな真夜中になにをしているの?」
「この星がどんなものか見ていたんだ」
「ふぅーん、あなたずいぶんと昼夜逆転しているようね。一度病院行ったほうが良いわ」
「きみこそ、ここで何をしてるんだ」
「わたしは巡回警備よ。あなたたちのお墓が動植物に荒らされていないか、宇宙海賊が潜伏していたりここを拠点としていないかとかいろんなことを確認しているの」
「きみみたいな子が?」
「失礼ね、夜間斥候中の海賊の少年偵察員を捕らえたことにして牢獄にぶち込むわよ?」
彼女は私に得物の先を突きつけてみせる。私はやれやれといった態度を見せながら両手を挙げる。少女は私のみせたそぶりに満足そうな表情を見せて得物をおろす。しばらくの沈黙が生まれる。私は会話を切りだそうと試みるが、言葉は音を媒体として意思を持つことはなく、のど元にまるでしこりのように違和感を抱かせながら焦ったく居座り続け、口がなんとかその状況を打開しようと懸命に、池の水面に餌を求めて口をあける鯉のようにもがいていた。彼女はそんな私の間抜けな様子をおかしく感じたのかニマニマといやらしい笑みを浮かべた。私は馬鹿にされたようで少し腹が立ったが、不思議と怒る気にはならなかった。よくよく考えれば母星を出立して一週間のときが経っているのだ。その間私の話し相手は父と母だけで、同年代の人と会話をここ最近全くしていない。私はどんな形であれこうして同世代の人、しかも異性と話せることが嬉しかったのだ。
「そういえば、あなたは何をさがし求めていたの?」
「そりゃもちろん、この『地球』にしかないものさ」
「この星は放射能と墓と死の大地しかないわよ」
「そうだな、その通りだ。だからちょうど帰ろうとしてたんだ、なにも見つけられなかったしね」
私がそう言うと彼女はちょっと俯いて何事かを考えているようであった。
「……ちょっとだけついてきてちょうだい。大丈夫、すぐ近くだから」
彼女はどこかへ歩き始めた。私は何も聞かずに彼女の後をついていく。地面の砂礫を二人の足が踏みしめるたしかなその音だけが、二人の存在をこの闇夜のなかにわずかながらの居場所を与えていた。
ほんの少しの時間だったように憶えている。彼女は小高い丘の上に腰を下ろし、そして大の字に寝転がった。私も同じように寝転がる。私は彼女の端正な横顔を見つめていたが、「ねえ、見て」と彼女は空に指差す。
視界一面に星々が煌めいていた。ところどころに星雲の花々が色鮮やかに咲き誇り、天の川のほとりで星座は瞬く星々の透きとおるような輝きと移ろう時間のリズムに合わせて可憐に舞い踊る。
「綺麗でしょ?ここがいちばんよく星が見えるの」
「すごいや、こんな数の星を今までいっぺんに見たことないよ」
「あなたの母星はどこ?」
「乙女座銀河団の方だったかな……たぶんあっちの方」
「遠くて見えないわね。アンドロメダ銀河ぐらいに住んでいたら見えていたでしょうに」
「しょうがないよ、ご先祖さまが乗ったのは最後の移民船団だったらしいから。それに、できる限りはこの星で過ごしたかったらしいよ……」
「けれども、結局は移住してしまったのでしょう?」
「それは……」
彼女は罪を咎めるような顔をみせるが、すぐに表情をもとに戻す。私に対して申し訳ないと感じたからだろうか、それとも私に嫌味を言っても非難を向けてもしょうがないと感じたからであろうか。どうであれ私はまるで存在を否定されたように思え、怒りこそしなかったが心に鋭い針を突かれたような心地になった。
「……いまさら言ってもしょうがないよね、そんなこと。どのみちこの星は人が住めなくなる運命にあったわ、でも……」
彼女は一度言葉を切る。私の方を見ることはない。視線は天球の星に向けられたままだ。
「あいつぐ疫病と戦災、とまらない放射能汚染と環境破壊によって人類がこの『地球』を捨てて宇宙に進出してから幾星霜、いまや世界は宇宙そのものと等しくなりこの星はただの考古学的遺物でしかないわ。でも、この星がたとえいまどうあろうとも、この先どうなったとしてもわたしたち人類にとって聖地であり、帰るべき故郷に違いないわ。わたしはいつかこの星に再び豊かな水を湛え緑溢れる大地を蘇らせ、あなたたちを見返してやりたい」
彼女は手を宇宙に伸ばす。のばされたその手は掌中の何千何百もの銀河や星雲を捻り潰すかのように固く握られる。私はただ黙ることしかできなかった。彼女たちの怒りや憎しみを受け止められるほど、彼女たちの人生と歴史を背負えるほど私は強くもなくそれを可能にする力もなかった。
私はもう一度満天の星空を見る。彼女とは同じ空を見上げているが、私のように感応することはない。彼女にとってこの夜空はいつもの夜空でしかない。だが、彼女と私は同じ「人」であることに疑いはない。そして私たちはその同じ「人」の記憶として統一の「歴史」を持つ。しかしそれからなにを、いつ、どのように、どうやって観想するかは曖昧な概念によって定義されるある特定の集団の帰属のありようによる。それが私たちを私たちであらしめるが、同時にまざまざと自分たちと相手とに決定的な断裂を生んでいる。
私は幼心に彼女と共にありたいと思った。ほんのひとときの時間しか過ごしていないが私はどうしようもなく彼女に惹かれていた。その気持ちは浅薄な好奇からかもしれないがそれでも私は彼女と同じ宇宙を見上げたかった。そして私はそう思ったときこの星と祖先たちとの確かな連続性を感じたような気がした。
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