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 私は母の声がするのに気がついた。私はもう起きなくてはならない。まどろみの中、私はここはどこかを確かめようとする。まず自分の身体があり、ベッドがあり、つぎにカーテンの開け放たれた大きな窓があり、そして小さな椅子とクローゼットの調度されたある部屋に私はいた。母がドアの側に立ち、慈悲深い温かな眼差しを向けていた。父の騒がしく何かをしている音がかすかに聞こえる。

「もうすぐ、着くそうよ。早く着替えて荷物をまとめなさい」

 母はそう言って部屋から出てしまった。私は起きあがり、窓の外を見る。辺りは深く水を湛えた洞穴の地底湖のように紺碧に澄んでいて、無限遠に拡がり、何万光年先の星々の瞬きの輝かしさと星屑の無機質さに私は時折心を奪われる。

『まもなく太陽系第三惑星地球、地球に到着いたします。下船されるお客さまはエントランスロビーにお集まり下さい。本日は星間定期航行貨客船「La Mer」をご利用いただき誠にありがとうございます』

 アナウンスがそう告げると母が再び私に「早く準備をしなさい」と声をかける。私は窓の外を眺めるのをやめて急いで身支度をする。ついに「地球」にやってくる時が来たのだ。私の遠く昔の祖先たちや歴史の教科書に彩られる様々な事象と偉人たちが存在した場所、そして私たちが捨てた場所にやってきたのだ。

 宇宙服を着て荷物を持ち、手続きを済ませて船の上甲板に出て周りを見渡すと荒廃した赤褐色の大地がどこまでも広がり、名も知らない異様な形をした植物のようなものがまばらに聳え立ち、かつて川や海だったらしいところは干上がってひとつづきの巨大な地溝帯を形成し、巨大な都市の朽ち果てた廃墟のビル群が私たちの祖先が「地球」にも高度な文明を築き上げた往時を偲ばせていた。宇宙服内蔵の周囲の環境情報を測定する機器は酸性雨と放射能を警告していた。私は教科書の写真そのままだ、と思いながらも実際に降り立ってみたこの死の大地の有様に少なからず動揺した。そしてより一層私たちの母星の豊かさに感謝と永遠の不滅を願わずにはいられなかった。おそらくこの場にいる私と同じくらいの歳の子たちも同じように思ったに違いない。一方で父や母や周りの大人たちの様子を伺ってみるが皆一様に、とくに老人ほどなにかを懐かしむ表情とどこか寂しげな面立ちを浮かべていた。私にはそれが不思議でならなかった。惑星移住の当事者世代ではないのに……


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