第2話 都内、鬼プロダクション、忘年会

 年末。年の瀬ギリギリに舞台装置の立て込みが終わる。


 本来ならば楽屋に置いておく予定だった衣装一式は、何かの間違いで燃える可能性があるため泉堂ビル地下一階の稽古場に避難させることにした。「年末年始はさすがに閑古鳥だから好きなだけ使っていいよ〜」という泉堂の言葉に甘えて、小道具もすべて移動させた。万が一年末年始にシアター・ルチアで火が出て舞台装置が炎上するようなことになったら──


「衣装と小道具があればどうにかできます。というつもりで俺は演出付けてるから安心して!」


 と珍しく不田房が演出家らしい発言をしたので、とにかく何事もなく年を越せるよう参加者全員が漠然と願いつつシアター・ルチアを後にした。刑事の小燕こつばめによると、警備員たちが不在になる期間も定期的に警察官たちが巡回をする予定は既に組んであるのだという。ありがたい話だ。


 年末。

 本当の年末。12月31日。きさらぎ優華ゆうかの父であるきさらぎ仙介せんすけが代表を務める鬼プロダクションの一室で、忘年会が行われることになった。事前に優華から「会社の会議室みたいなところやから気軽に来てな〜」と言われていたため鹿野と不田房は大量のワイン類を抱えて指定された会場に向かったのだが、


「豪邸じゃん!」

「に、日本家屋っ……!!」


 鬼仙介が自身の自宅の一角を会社の事務所として使っているなんて、知らなかった。憧れの俳優であった仙介の自宅に上がることになった不田房は緊張のあまり長い廊下で何度も転びそうになり、あまりに危険なのでワインの瓶はすべて鹿野が持った。


「鹿野さーん! 不田房さんも! ようこそ〜!!」


 これのどこが、会議室なのか。完全に宴席だった。だだっ広い和室に円形の座卓が幾つも置かれ、鍋の準備がされていたり、甘味が置かれていたり、好きなだけ酒が飲めるコーナーがあったりと──


「ああ、不田房くん。久しぶりやね」

「ヒッ! せ、仙介先生……!」


 部屋の隅で手酌で飲み始めていた銀髪の男性が、声をかけてくる。鬼仙介だ。鹿野は一度しか彼が舞台に立っている姿を見たことがないが、今でも『伝説の舞台俳優』と呼ばれる理由は良くわかる。凄まじい圧がある。先方は、フレンドリーに声をかけているつもりなのかもしれないが。


「うちのが世話んなって……なんや幽霊騒動やとか、色々起こっとるらしいやん」

「は……はひ……」


 固まる不田房の手に、鹿野はそっと紙袋を押し付ける。鬼仙介の好物だということで、今日のために急遽取り寄せた日本酒──『夜明け前』が入っている。


「ああああああのこれ、仙介先生お好きだって聞いて……!!」

「お、『夜明け前』! 純米大吟醸やないの。悪いねえ」

「恐縮ですっ」

「まあ、今日はゆっくりしてってや。うちん家ぃは毘沙門天のご加護があるさかい、その辺の幽霊には邪魔されへんから」


 ニコニコと笑みを浮かべて紙袋を受け取る仙介に最敬礼をした不田房はそそくさと座卓の方に移動しようとして、その場ですっ転んだ。「もう酔っ払っとるんか?」と優しく尋ねる仙介に、なぜか鹿野が「そのようで……」と謎のフォローをする羽目になった。


 窪田くぼた広紀ひろきが「デパ地下めちゃくちゃ混んでた〜!」と言いながら大量のケーキを持って現れ、穂崎ほさき星座せいざは「お酒飲めない子、こっちのジュースでいいかな?」と駅の物産展で買ってきたというご当地リンゴジュースやサイダーを抱えて登場し、その後も次々と『花々の興亡』の関係者が鬼プロダクションの一室──鬼仙介邸に現れた。薄原すすきはらカンジ率いる大道具班は伝説の俳優・鬼仙介の姿を見てもまったく動じることなく「カッコいい!」「DVD持ってきたんでサインください!」「ツーショ撮ってください!」という盛り上がり方をしていて「俺だってツーショ撮りたい!」と畳に倒れて両手で顔を覆う不田房を無視し、鹿野は目の前の牡丹鍋に箸を伸ばす。別の座卓にはすき焼きもあるし、サラダもスイーツも食べ放題。最高だ。『花々の興亡』の稽古が始まってからこんなに楽しく食事をするのは、そう──和水なごみ芹香せりかが銀座の個室料理店に連れて行ってくれた時。あれ以来だ。


 シアター・ルチア専属のスタッフたちは、鬼邸にはやって来なかった。ルチア、或いはイナンナの何某かの会があるのだろう。急遽代打としてキャスティングされた劇団歪座ゆがみざ所属・澄田すみたウグイスも、実家に帰るということで今回の忘年会には不参加だった。打ち上げで飲むこともできるし、と不田房は大して気にしていない様子だ。遅れて宍戸クサリがやって来た。和水芹香と、彼女のマネージャー・元家もとやろんを連れている。「俺は今日飲まないから」と宍戸が元家に声をかけている。


「好きなだけ飲んでいいっすよ」

「いや、自分も和水の見張りをしないといけないので……」


 いつの間にか仲良くなったらしい男ふたりを他所に、和水は笑顔で鬼仙介に暮れの挨拶をしている。鬼仙介は、和水が以前所属していた劇団怪獣座とも縁がある。

 暫く経って、チャイムの音が聞こえてきた。「檀野だんのさんやな」と鬼優華が座布団から腰を上げる。


「寒い中ようこそ──って!? 檀野さん!?」


 宴会場、廊下のはるか向こうから、優華の裏返った声が聞こえる。鹿野は座布団から立ち上がり、


「大丈夫ですか、優華さん!」


 また何か起きていては堪らない。宍戸クサリから無限供給される市岡神社のお札を握って廊下に飛び出し、そうして鹿野も絶句する。


「……なによ?」


 カシミヤと思しきグレーのマフラーで顔の下半分を覆った檀野が、訝しげに形の良い眉を顰めている。彼女の背後には、ルチアで何度か顔を合わせた女性マネージャー──かつら美沙みさ、という名前だと紹介された──が立っている。

 檀野創子は豊かな栗色の髪をベリーショートにし、鬼邸の玄関に立っていた。


「だ・か・ら! 変なやつに髪を……焼かれたでしょ? ど素人にあんな風にざくざくやられちゃ、さすがに長さを維持するのは無理。舞台にはウィッグで出る。何か問題が?」

「いや……問題はないですけど思い切りましたね」

「似合うやん!」


 不田房が呆気に取られた様子で言い、鬼仙介が明るく声を上げた。「ありがとうございます」と優雅に微笑んだ檀野は、


「でさ、思ったんだけど。ほら花々の中盤で、レネが拘束されてる弟たちの命乞いのために、ジェルメーヌに自分の左手首を贈るシーンがあるじゃない? あそこに、ウィッグの髪も添えようかと思って」

「髪を!?」

「そう。レネって、ジェルメーヌに対して美貌でも張り合ってる感じがするな〜って思ってたから、敢えて大事な髪を切り落とすことで鬼気迫る雰囲気が出せるんじゃないかなって……さすがに自分の髪を切るのは無理があったけど、今ほら、ベリショでしょ? ウィッグだったらいけるっぽくない?」

「ははあ、なるほど……ウィッグ、どうですかね薄原さん?」

「いけると思いますよ! 年始即手配します!」


 忘年会中であるにも関わらず新しい案を繰り出してくる檀野と、即座に受け入れる不田房、それに小道具の手配に躊躇いがない薄原。雑談と年明けの本番が混在している、ここはとても良い空間だ、と鹿野はしみじみと噛み締める。


「髪」


 と、声を上げたのは和水だ。


「あの時……」

「ああ、気にしないで」


 奈落でのあの一幕。何もかもを知っているのは檀野、和水、それに鹿野と不田房だけだ。

 野上葉月は──野上葉月を名乗る得体の知れない『』は。和水を狙っていた。和水を守ろうとして、檀野の髪は焼き落とされた。


「きみが顔に怪我でもしたら、初日が開かなくなる」

「……まあ、私が美しすぎるせいで自警団のリーダーに見染められる展開なので?」

「調子に乗るんじゃないよ和水芹香」

「乗ってませーん。ふーん、レネが髪を差し出す展開か……いいっすね。じゃあジェルメーヌは、受け取ったその髪を客席に放り投げたりしようかな」

「雑扱い腹立つ。でもありかも」

「待って待って! リアルにウィッグの髪を撒いたら掃除が大変になるから、放り投げる用の髪の束を用意しますんで……おい、誰か飲んでないやつ! メモ取ってメモ!」


 檀野、和水、それに薄原。盛り上がる姿を見ながら「いいねぇ」と不田房が呟いた。


「初日が楽しみ。まあ劇場が燃えなければだけど……」

「あ、それ」


 檀野が声を上げる。畳に仰向けに寝転がった不田房の顔を真上から見下ろして、檀野は言った。


「ちょっとさ、全員に言っておきたいことがあるんだけど」

「ちゅーされるのかと思った……」

「いや絶対しないし。ねえ、いい? 一応年明けまで情報は出さないってことになってるんだけど、『花々』のメンバーには関係のあることだから今言うわ」


 檀野創子の良く通る声が、広い宴会場に響き渡る。


、内海清蔵が

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