第8話 回想、大嶺舞③

 暗い場所にいる。

 葉月に連れられてここに来て、いったいどれほどの時間が経っただろう。

 ここは『●●』だ。シアター・ルチアの中だ。それだけは分かる。


「ここにいてね。私が『』って言うまで、ずっとよ」


 葉月はそう言って、笑って、ドアを閉めて、外から鍵をかけた。

 お腹は空かない。喉も乾かない。ただ、ぼんやりとしている。

 暗闇に目が慣れることもない。私はいつまでここにいればいいんだろう。

 葉月はいつ、『良い』って言ってくれるんだろう。

 『花々の興亡』はどうなるんだろう。


 私は良いスタッフじゃなかったから、不田房先生は大して困っていないだろうな。むしろ、私がいなくなったことであの──鹿野とかいう名前の、長い付き合いの彼女を堂々と起用できてラッキーって思ってるかもしれない。それは、半分は、私が悪いんだけど。


 ここルチアで『花々の興亡』を上演するって決まって、葉月は絶対に出演したいって主張した。オーディションも行うことにはなっていたけど、キャストの半分はエグゼクティブ・プロデューサーの伯父──灘波祥一朗の独断で決めた。そういうのが、イナンナうちの会社では当たり前のことしてまかり通っている。


 10年前、私が高校生の時にシアター・ルチアは完成した。でも、シアター・ルチアの持ち主である祖父の会社──株式会社イナンナが率先して公演の企画を立てたことはなかった。正確には、柿落としの一回だけだ。イナンナは、舞台を持っているくせに舞台に向いていない。所詮は内海うつみ清蔵せいぞうの自己満足で建てられた劇場だって悪口を言われているのは知っていた。祖父が、それにめちゃくちゃキレてることも。

 だから今回、ルチア10周年の記念として、10年前の『タイタス・アンドロニカス』の翻案作品である『花々の興亡』を上演するっていうのは、異母兄で現社長の内海真琴まことの希望である以上に、今は前線を退き相談役として仕事を続けている前社長、祖父、内海清蔵の意地だったんだと思う。


 葉月がオーディションに参加したかどうかは知らない。気が付いたら、ゾエ役として出演が決まっていた。私も本当はアガト役として出演予定だったのだけど、オーディションで決まったきさらぎ優華ゆうかとかいう女優が優先された。兄に文句を言いに行ったら「仕方ないよ」と言われてすごく嫌な気分だった。私の演技力じゃ足りないってこと? 私の何がいけないの?


「いいじゃない、演出助手」


 不貞腐れる私に、葉月は微笑んだ。彼女はその頃、私の部屋に住み着いていた。ソファの上で私に膝枕をしながら、


不田房ふたふさっていうのがどういう演出家なのか知らないけど、舞が骨抜きにしちゃえばいいのよ」

「何それ……」


 『花々の興亡』の演出を担当するのは、不田房栄治。男性の演出家だ。私は男の人、全然好きじゃない。もうって決めた。葉月だって知ってるのに。


「舞に骨抜きになったら、私が食べてあげる」


 葉月は、平然とそういうことを言うようになった。もう何も隠していないんだろうな、と思う。たとえば、自分が人間じゃないこととか。


「食べるの?」

「うん」

「不田房って、そんな価値ある?」

「うーん……顔付きはそんなに好みじゃないけど、演出の才能があるのは、いいよね」


 陶器のようにつるりとした白い顔。真夜中の星みたいにぽつんと光る黒子を指先で撫でながら、葉月は呟いた。


「葉月は」


 こんなこと聞いちゃだめだ、と思いながらも、問わずにはいられなかった。


「みんなを食べて、何になりたいの?」

「……知りたいの? 舞」


 葉月が笑う。白い犬歯が覗く。


「これはね、仕返しの仕返し」


 私の髪を撫でながら、葉月は呟く。


「舞にだってどうしても我慢できないことって、あるでしょう?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る