第7話 渋谷区、シアター・ルチア⑦

 株式会社イナンナ──正確にはシアター・ルチアに関わりを持った人間の中から、定期的に失踪者が出ているという。


「内勤者、マネージャー、俳優、営業担当者……性別も年齢も仕事の内容も関係なく、年に数人、姿を消しています」


 宍戸とともにロビーに戻ってきた刑事・小燕こつばめがその場にいる全員に向かって言った。


「そして今回の公演でも、ふたり」

「ちょっと待ってください」


 不田房が、小燕の言葉を遮った。


「たしかに演出助手だった大嶺おおみねまいさん、それに出演予定だった野上のがみ葉月はづきさんは現場に現れなくなりました。演出助手については僕と長く仕事をしている人間がいたので特に問題はなかったし、野上さんに関しては──僕はオーディションに関与していないので、勝手に代役を立てました」

「その話は先ほど、こちらの宍戸さんに伺いました」


 セルフレームの眼鏡をかけた小燕は平然としている。


「彼女たちは、失踪したんですか? 単に降板したわけじゃなくて? 僕は、イナンナからは何も聞かされていない」


 不田房の主張はもっともだ、と傍らで彼の言葉を聞きながら鹿野は思う。株式会社イナンナ及びシアター・ルチアから、定期的に失踪者が出ている? そんな話を事前に聞かされていたら、不田房は今回の仕事を引き受けはしなかっただろう。

 不田房だけではない。きさらぎも、窪田くぼたも、それに和水なごみも。

 40代後半と思しき刑事、小燕は小さく頷き、


「10年」


 と短く言った。鹿野と不田房は思わず顔を見合わせる。10年?


「この建物──シアター・ルチアが出来上がった年から、失踪者が出始めたと記録に残っています」

「どういう意味です?」

「10年前に失踪したのは、俳優の沓木くつき水穂みずほさん──」

ここシアター・ルチアこけら落としでタモーラを演じた俳優だね」


 檀野が口を挟み、小燕が驚いたように薄い眉を跳ね上げた。


「ご存じなんですか? ……檀野創子さん」

「会社の大先輩ですから。でも、失踪したって話は聞いてない。柿落としで『タイタス・アンドロニカス』の主演・タモーラを演じて──実質それが引退公演になったって話は私たちの世代の人間ならみんな知ってるし、私も千秋楽で沓木さんに花束を渡したし……」


 小燕の傍らに立つ宍戸が小さく頷いている。不田房も「そういえばそうだったね」と小さく呟いている。10年前。鹿野はまだ大学生だった。シアター・ルチアという劇場が新しく建ったということも、柿落とし公演が『タイタス・アンドロニカス』だったということも知らずに過ごしていた。


「沓木さんについては、その後の足取りが不明なんです。故郷の新潟に帰られたという話でしたが、新潟の……沓木さんの地元の警察に、捜索願いが提出されている」

「そんな」


 和水が息を呑むのが分かる。ソファから立ち上がった檀野が和水の肩をぎゅっと掴み、


「他には誰が? 私の知ってるイナンナの関係者で失踪した人間がいるなら、顔と名前を知りたい」


 小燕が静かに息を吐き、「煤原すすはら」と呼んだ。長身で面長、年の頃は小燕と同じぐらいの短髪の男性がタブレットを手に駆け寄ってくる。


「どうぞ、確認してください」

「どうも」


 と、煤原刑事からタブレットを受け取った檀野が──次の瞬間大きく眉を顰める。「大丈夫?」といつの間に近くに移動して来ていたのか、窪田が尋ねた。


「大丈夫……いやでも刑事さん、これはちょっと、いくらなんでも」

「え、何これ」


 檀野の手元を覗き込んだ窪田が、丸い目をさらにまん丸にする。


「マジでこの10年以内に引退したり廃業した俳優……ばっかり……」

「だけじゃないよ、窪田さん。うちイナンナに新卒で入ったマネ候補の子、衣装部のトップ候補だった子、それに舞台監督補佐としてルチアに配属された子──」


 指の腹で液晶画面を操作しながら、檀野が唸る。


「この子たち全員失踪してるんですか!? どういうこと!?」

「檀野さん、落ち着いてください」


 小燕が言った。


「仰る通り、そこに名前が上がっている方は。それも、株式会社イナンナを退職後地元に戻ったり──東京を離れて別の場所で事業を始めたり、と、元職場とはまるで関係のない場所で姿を消している。捜索願いを出された方もいれば、そのまま無かったことにされた方もいる」

「無かったことに?」

「誰も探さなければ、警察は動くことができません。だから、そのリストに入っていない失踪者もいるかもしれない」

「待って待って」


 タブレットを睨みながら仁王立ちになる檀野の左側に窪田が立っており、反対側から和水芹香が顔を覗かせた。


「檀野さん、私にも見せて」

「いいけど。きみ大丈夫なの」

「大丈夫だよ。タブレット見たぐらいでおかしくなったりしない」

「じゃあいいけど……」


 と俳優三人は額を突き合わせるようにして液晶画面を覗き込み、


「10年か……10年のあいだに一緒に仕事した人全員を思い出すのは無理だけど、たとえば窪田さん、ルチア1周年のこの公演──能世のぜ春木はるきが戯曲書き下ろして演出もした『いまわ』」

「ああ、怪獣座の俳優が何人か参加してたよね。俺が前に世話んなってた劇団の連中も参加してたわ」

「主演してた俳優さんの名前思い出せます?」

「えあ……えっとたしか俺と同い年の……はら瑠璃夫るりをさん、だったっけ?」

「そうそう、そういう名前だった。……もしかして引退してないです?」

「待って、えっと──鹿野ちゃん!」

「原瑠璃夫さん。最終の所属事務所はイナンナではありませんが、『いまわ』主演を最後に俳優業を廃業されています! とWikipediaに書かれています!」


 自身のスマートフォンで『原瑠璃夫』と検索をかけながら、鹿野は声を上げて応じる。刑事たちの佇まいに、動揺の色が見えた。


「煤原、原瑠璃夫っていうのは……」

「今確認取りました。捜索願いも失踪届も出されていません」

「待て待て、待て」


 煤原の応えに、小燕が頭を抱えている。


「イナンナに所属していない人間も、消えている? ……原因は、ここルチア、か?」

「可能性は高いですね」


 宍戸が応じ、デニムの尻ポケットから白い紙を取り出す。


 お札だ。


「あー」


 文字が、

 祈りが、

 守護が、


『_ _ _ _ _ _ 之攸』


 食われていく。

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