第5話 回想、大嶺舞②

 デビューのために祖父に紹介する、と言ったら葉月は首を横に振り、


「おじいさまは嫌」


 と、きっぱりと拒んだ。それで、葉月は株式会社イナンナの取締役社長が祖父から異母兄・真琴まことに代わってすぐの新人オーディションに参加することになった。私がはたちの時だった。葉月はオーディションに受かり、彼女の経歴を確認した兄に「高校の同級生にあんな綺麗な子がいたなんて知らなかったな。もっと早く紹介してくれれば良かったのに」と肩を叩かれた。私には、曖昧に笑うことしかできなかった。


 そう、葉月は、綺麗だ。


 でも、高校の同級生は誰も、葉月の美しさを知らない。


 葉月は体育祭にも文化祭にも修学旅行にも参加していなくて、先述した通り卒業式にも出なかったから、写真の一枚すら高校には残っていない。個人的に葉月の写真を撮った同級生なんかも、たぶんいないと思う。高校生。高校時代なんて、学業よりも恋愛とか、あの子が好きとか、部活の先輩に片想いとか、そういう話題で盛り上がる時期だと思う。もちろん、そうじゃない子もいるって知ってるけど。それで──私の周りにはとにかく取り巻きが多かったから、その中にはいわゆるヤリチンって呼ばれてるような男の子もいて。セックスに興味がある同級生とか先輩とか、さらには彼女たちの紹介で出会った部活のOBとかとヤりまくってる男子で。私も誘われたことがあるけど、当時は未経験だったから断って、二度目に「おまえ彼氏できたの?」って訊かれながら誘われた時には私には葉月がいたからどっちにしたってその男子と寝ることにはならなかった。


 でも彼は、葉月を誘っていない。


 葉月はあんなに綺麗なのに。すっと通った鼻筋、切長の眼、長いまつ毛が影を落とす白皙の頬。くちびるにはいつも柔らかな微笑みを浮かべていて、背が高く、ぱっと見ただけではそうだと分からないかもしれないけれど胸も大きいし、腰はくびれていて、お尻は柔らかい。気付かない子は、気付かないだろう。でも、ああいうタイプの男の子が──葉月に見向きもしないということを、高校時代の私は少しも不思議に思っていなかった。


 葉月は、

 美しい?


 株式会社イナンナに入社した葉月は、映像の仕事を中心に活動した。とはいえいきなり主演を掴めるはずもなく、看板女優である檀野だんの創子つくるこさんのとして現場に入ることが多かった。檀野さんは昔歌手をやったりタレントっぽい活動をしていたという経験もありバラエティ番組にも強かったが、葉月はそういうのはどっちかっていうと苦手みたいだった。


「あーあ、舞が私のマネージャーになってくれればいいのに」


 葉月は時々、そんな風に愚痴をこぼした。


「向いてないよ、クイズ番組とか、バスに乗って食べ歩きとか、そういうの」


 気持ちはまあ、分かる気がする。私も一応イナンナ所属の女優で、バラエティ番組に出演した経験もあって、私はそれなりに楽しめたけど、


「なんか、葉月、っぽくないよね」

「でしょ? 私の美貌が勿体無い」


 くちびるを尖らせた葉月は、平然とそんな風に言った。


 美貌。


 葉月の美貌は、まだ世の中に知られていない。


 葉月はいつも脇役で、檀野さんとの抱き合わせで売られることがなくなっても、映画やドラマ、それに舞台の主演になることはなかった。なぜだろう。葉月はあんなに美しいのに。演技力だってある。葉月は何にでもなることができた。彼女の実力は特に、舞台の上で発揮された。少女から老婆、男にも女にもそれ以外にも、何にでも化けることができる葉月を、兄──イナンナの社長も、それに舞台の企画を頻繁に持ち込んでくる伯父も、全然気付いていないようだった。


 おかしい、と。

 気付くのが遅れた私も、悪かったのだ。


 外部から演出家を呼び、シアター・ルチアで公演を行うことになった。どこでその噂を聞きつけたのか、葉月が私の家に押しかけてきた。イナンナに所属するようになって借りたひとり暮らしのマンション──いや、そこには、がいて──


「誰この男」


 同居人──私の恋人を見て葉月は吐き捨てた。彼は別の芸能プロダクションに所属しているデビューしたばかりのアイドルで、私とは、それこそバラエティ番組の現場で知り合った。仔犬のような可愛らしい顔をした、ふたつ年下の男の子。


「どういうことなの舞」

「待って、葉月、聞いて……」

「信じられない! 約束を破るの!?」


 葉月が、聞いたこともないほど太い声で喚いた。葉月の声ではない、と思った。私の知っている野上葉月はもっと、可憐で、美しくて、それで、


「こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの? こんなのがいいの?」


 葉月の声が、頭の中に直接流れ込んでくる。頭蓋骨が割れそうだ。許して、と口走っていた。ごめんなさい。許して。葉月を裏切ってごめんなさい。私には葉月しかいないの。葉月だけなの。だから。こんな男いらない。葉月の好きにしていいよ。葉月、葉月。


「──最初からそう言ってよ」


 気付くと私は玄関に座り込んで泣いていて、葉月がその私の頬を優しく撫でていた。

 あの子は──彼氏の姿はどこにもなかった。

 ただ。


 葉月の右目のすぐ下にがあるのが分かった。


 あの子のチャームポイントだった黒子。


 葉月の顔はつるつるの白い陶器みたいで、学生の頃からニキビができたこともなければ、シミも黒子もひとつもなかった。

 それなのに。


「ああこれ? 


 葉月が笑う。


「それよりさ、今度シアター・ルチアで公演があるんでしょう? 私絶対出演したいの。舞、なんとかしてくれるよね?」


 食べられちゃった。

 そう気付くのに、長い時間は必要なかった。


 数週間後、あの子がアイドルグループから脱退する、という公式からの告知があった。海外に留学するため、という建前だったが、その裏で事務所が警察にあの子の捜索願いを出したと耳にした。


 あの子は今も、どこにもいない。

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