53 江郷逢衣は其処に居た。

 江郷大助が目覚めると見知らぬ景色が広がっていた。天国か何かかと思ったが、どうやら現実世界らしく、背中にひりつく痛みが襲い掛かってきた。


「江郷大助、だな」


 声のする方へ顔を見上げると、警察手帳を提示したスーツの男がベッドの傍に立っていた。起き上がろうと力を込めたが、全身が突っぱねて満足に動く事が出来なかった。


「此処は……何処だ?」


 大助は刑事から此れまでの状況を聞き、これまでの経緯を把握する事にした。まず、自分は爆風に巻き込まれ気絶していた所を確保された。その爆風を受けた背部の大部分が深度Ⅱの火傷と全身打撲を負っていたので緊急搬送された。入院してから丸三日間、このベッドで眠っていたらしい。そして現在に至る――。


「貴方には例のアンドロイドの事件に関与している疑いがあるとみて、治療が終わり次第、拘束させていただく」


 愛依が裏で情報操作し、指名手配された事を思い出した。もう日の目を見る事は出来ないのかもしれない。だが最後に確認しておきたい事があった。


「刑事さん、その、アンドロイド達は――」

「アンドロイドは全機廃棄処分した。理由は……聞くまでもないだろう?」


 一縷の望みは完全に断たれた。大助は言葉を失い、目を伏せた。もう何もかもどうだっていいと感じた。


 約一ヶ月程の治療を経て、大助は完治した。その後は予定通りに逮捕状が出され、身柄を拘束された。大助は黙秘する事無く、事実を全て供述した。


 事の発端は入間雄一郎である事。自分は雄一郎の元養子であった事。雄一郎が実娘、入間愛依を生き返らせる為にアンドロイドの開発に身を粉にしていた事。雄一郎が開発したナノマシンによってアンドロイドが暴走した事。アンドロイドの暴走によって雄一郎は死亡した事。

 質問された事は包み隠さず話したがそれでも未だに首謀者かどうか疑っている始末であった。

 

 更に其処から一ヶ月程の留置所生活を過ごしている間、緻密な家宅捜査と現場調査、研究センターの研究員の聞き込み等、慎重に慎重を重ねた捜査の結果、大助の身の潔白が証明されて無事釈放された。


 晴れて自由の身となったが、男の顔は終始曇っていた。行く宛も無く、生きる意味も無く、大助は娑婆を彷徨う。

 荒れ果てて閑散としていた東京は短期間で急速に再興されており、何喰わぬ顔で人々は行き交っていた。まるでアンドロイドなんて最初から存在していなかったかのように。


「皆様!! どうか真摯な態度で、改めて考え直してください!!」


 初冬の寒空の中、白衣を羽織った男が街頭演説を繰り広げており、十数名程が集まっていた。興味無さそうに素通りするつもりだったが、話している内容が内容だった為に思わず立ち止まってしまった。


「確かに我々はAIという高度なテクノロジーを制御出来ず、二か月前にこの東京を火の海に変えてしまったでしょう!! しかし、だからと言ってAI開発の禁止は本当に正しい判断と言えるでしょうか!?」


 外の世界から断絶されていたので未だ詳しくは分かっていなかったが、噂は本当らしい。アンドロイドの叛乱により甚大な被害を受けた事により、日本は汎用人工知能の開発を全面的に禁止する法案が可決された。それに伴い、ロボット工学は大打撃をを受け、失職する者が続出しているとか。恐らくは科学者上がりの抗議団体、と言った所だろうか。


「包丁が凶器として用いられても包丁に購入の規制が掛かりましたか!? ガス爆発が起きて死傷者が出てもガス使用の撤廃を考案しましたか!? 同じようにAIも同じ轍を踏まない様に改良を重ね、正しい用途で使うとすれば問題無いとは思いませんか!? 臭い物に蓋をし、現実から目を背け、技術の進歩を大きく妨げている今の政党を許してはいけません!!」


 どれだけ熱弁しても、人々の反応は冷ややかなものであった。言っている事は分かるが、アンドロイドという危険な兵器による被害を受けた者からすれば不穏分子以外の何者でもなかった。

 現に警察に通報されて団体一同の弁解も聞かずに即お縄となった。どうやらアンドロイドが遺した傷痕は相当根深いものらしい。だが、大助にとってはもうどうでもよかった。


 あれほどに情熱を注いだアンドロイドの研究と開発。最初にして最後の完成体である逢衣が居なくなった以上、大助の心の炎は燃え尽きてしまった。もしAI開発が規制されてなくても、創り直す事なんて微塵も考えていない。今まで過ごしてきた逢衣との経験と記憶を蘇らせる事なんて出来ないから。


「ほんと、やーねぇアンドロイドなんて野蛮なモノ」

「アンドロイドの開発者って確か入間雄一郎だっけ? とんだクソヤローだな」


 一時は偉大な人物として名を挙げていた雄一郎も、今となっては歴史に刻まれる程の最低な人物として晩節を穢す事となってしまった。彼へと浴びせられる罵声から逃げる様に、大助は早足で去っていった。



 気が付くと大助は新幹線に乗って山形にまで来ていた。それでも大助は留まる事を知らず、只管歩き続けた。覚束ない足取りの余り、擦れ違う人とぶつかりスマホを落とす。拾い上げるついでに電源を入れてみた。

 起動を終えると、何百件とばかりに不在着信とLINEの通知が届いていた。大助の唯一の友人、天堂琢磨からであった。そう言えばずっと会ってなかった事に気付き、電話を掛けてみるとワンコールで繋がった。 


『もしもし大ちゃん!? 今何処!?』

「琢磨……」

『そうだよ僕だよ琢磨だよ!! ……で、今何処なの!?』

「……ごめん。琢磨……俺……」

『そんなの後でいいから!! 今何処なのって聞いてるの!!』

「……山形」

『山形ぁ!? 僕との約束ほったらかしにして一人で何処行ってるのさ!?』

「……ごめん」

『別にいいって!! 兎に角、山形に居るんだね!? じゃあ絶対山形に居てよね!! 直ぐに迎えに行くから!!』

「琢磨……俺……アイと一緒に帰るって……」

『何もかも全部分かってるって!! いい!? 迎えが来るまで大人しく待っててよね!! それじゃあね!!』


 一方的に話し終えて琢磨は電話を切ってしまった。大助は心苦しかった。何で何一つ約束を守れない男にこんなに優しくしてくれるのか。失望されても、罵声を浴びせても仕方の無い過ちを犯したというのに。


 雪が降り頻る中、無意識のまま足を動かし、彷徨い続ける。最終的に辿り着いた先は、以前愛依の面会後に行った墓地であった。何の因果かは知らないが、大助の両親の墓の隣に愛依と雄一郎の墓石が建てられていた。


 冷たい牡丹雪の群が世界を凍てつかせる。冷え切った大助は呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。もう身も心も限界に近かった。そろそろ琢磨から電話が掛かってくる時間だが、その前にこの世界から消えようかと考えていた。そんな中、降り積もった雪を踏みしめて誰かが墓参りに来たようだ。つくづく神様というものは人の邪魔をするのが好きらしい。


「マスター」


 聞き覚えのある声。忘れる筈が無い声。密かに待ち焦がれていた声。大助は思わず声のする方へと振り返った。


「やっと追いつく事が出来ました。マスター」


 目の前には大助が魂を込めて創造したアンドロイド、江郷逢衣が居た。これは夢なのか現実なのか。何が何だか分からず、大助は言葉を失っていた。


「……帰りましょう、マスター」


 大助はゆっくりと歩み寄り、そっと逢衣の頬に触れた。触感は間違いなく逢衣で、姿形も間違いなく逢衣そのものであった。

 居なくなってしまった筈の逢衣が確かに其処に居る。その事実を知った瞬間、止め処無く涙が溢れてきた。


「ありがとう……!! 本当に……ありがとう……!!」

「……私からもありがとう、です。マスター」


 強く抱きしめて大助は泣きじゃくる。逢衣も抱き締め返し、あやす様に背中を擦る。



 —―空から一際大きな雪が逢衣の瞳に落ち、それが雫となって彼女の頬を伝った。まるで逢衣も泣いているように見えた。

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