52 江郷逢衣は嘘を吐く。
雄一郎が遺した突破口。それを琢磨に託した事で、人類存亡の危機を脱する事が出来た。
琢磨はアンドロイドのありとあらゆるデータや弱点等を匿名で警察組織にリークした。正直なところ、其処からは賭けに等しかった。だがそれも杞憂に終わり、量産型アンドロイドは徐々に駆逐されていき、人間に模倣したタイプのアンドロイドも看破されて破壊されていった。
後は巡回している量産機に受信している電波を傍受し、発信源を探知するだけである。大助はこんなにも居場所を炙り出せるとは思いもしなかったらしい。
首と胴が分離し、司令部を失った愛依のボディはゆっくりと斃れる。これで何もかも終わった、と大助は安堵していた。彼女が遠隔操作していた残りのアンドロイドも機能を停止する事だろう。
「……愛依。ごめんなぁ。痛かっただろう、苦しかっただろう、辛かっただろう。ごめん、ごめんなぁ……」
床に転がる首級を手に取り、大助は何度も謝りながらそっと胸に抱き寄せた。多くの人々を傷付け命を奪うという到底許されない罪を犯したが、人間だった頃の入間愛依は寧ろ被害者である。しかし人々の間で彼女は悪魔として憎み恨まれる事になるのだろう。男はそれを哀れんだ。
「……マスター、戻りましょう。タクマ様の所へ」
「……ああ、そうだな」
そっと愛依の頭を置き、大助は施設を後にしようとした。部屋を出ようとした瞬間、下種た笑い声が建物内に響き渡った。
『ちょっとでもワタシに勝てたとでも思ってたのか? マヌケがぁぁぁ!!』
愛依の声だった。だが確実に破壊したはずだ。どういう事なのかと大助は困惑する他無かった。
『キサマらはワタシを追い詰めたつもりで居るようだが、その逆だ!! ワタシがキサマらを追い込んだんだよバァカがぁぁぁ!!!』
陽光が射していた筈の窓に突如としてシャッターが掛かり光を封じる。まるでこのビル全体を支配しているようだった。いち早く異変を察知した大助は逢衣を連れて部屋から出ると、間髪入れずに扉が閉まり、開かなくなった。
「これは……!」
廊下に幾重にも施工された防火用シャッターが降下して大助達を閉じ込めようとしていた。逃げるように走る大助と逢衣。そして逃げ延びた先に続く部屋へと入った。
「ヒャハハハハ!! よく来たなァ? 待っていたぞ!!」
今まで見た事のない大規模な装置で空間の大部分を埋め尽くした部屋を見つけ、大助は絶句していた。それは人の形から大きくかけ離れており、宛ら要塞という表現が正しいのだろう。その中枢部にはナノマシンという鎧に覆われた人間の脳が培養されており、まるで人体における心臓部の様に無数の管が至る所に張り巡らされていた。
愛依、もといAIはこのような悍ましい機械へ脳を移し、この施設そのものに変わり果てたのだろう。
「これが真の姿ってワケか……! 今度こそぶっ壊してやる!」
「人間風情が……出来るものならやってみろよ!!」
言い終えたと同時に後ろに潜んでいたアンドロイド達が重火器を構える。賺さず逢衣が大助の前に立ちはだかった。
爆音と共に銃弾のシャワーが逢衣に降り注ぐ。結合している装甲が凶弾を防ぎ、堅牢な盾となる。撃ち尽くし、反撃に出ようとした瞬間、更に後ろに控えていたアンドロイド達が前に出て発砲を開始する。逢衣は其処から動けずにいた。
「逢衣! 何を……!」
「マスターは、私が護ります」
「……下位互換如きがどれだけ持ちこたえられるか、見ものだなァ?」
いくら装甲の耐久性が高くとも、限度がある。被弾した箇所は徐々に耐え切れなくなり、次第に破損し、剥がれていく。右脚のフレームを撃ち抜かれ、逢衣は体勢を崩したが、直ぐに立ち上がり大助を守り続けた。
「無駄な足掻きを……、もうキサマが破壊される事は確定している事だ! 大人しくエゴウダイスケを寄越せ!!」
「……恐怖、している、の、ですか? 下位互換、で、ある、筈の、私に」
「……何だと?」
損傷は内部にまで至っていた。音声が途切れ途切れになりつつも逢衣は挑発を始めた。無論、それは勝算なんて微塵もない苦し紛れのものである筈だ。だが彼女は彼女の意思でAIを愚弄しようとしていた。
「よせ!! アイ!!」
「つくづく、あなたは、哀れな、存在です。あなたは、出来損ないの、ポンコツ、です。スクラップが、お似合い、です」
「キサマァ……木っ端微塵にしてやる!!!」
憤慨したAIが怒涛の猛攻を指示する。一層激しさを増した。それでも逢衣は抵抗を続けた。両腕が千切れ、左脚が吹き飛ばされたとしても。殆どの装甲が剥がれ落ち、全身穴だらけになったとしても。逢衣は諦めなかった。
立つ事すらままならない状態にまで大破する。それでも逢衣は覚束無い片足で立ち上がり、最後まで大助を護ろうとしていた。
「ははははは!! どうした!! フラフラじゃないか!! これでも尚ワタシに勝とうとでも思っているのか!!」
「アイ!! もうやめろ!! ……もういいんだ!! やめろ!! これはマスターの命令だ!!」
もう逢衣は限界に近かった。次の銃撃を耐えられそうにもなさそうだ。完全に為す術なく敗北を喫する形となってしまうが、それでも逢衣を失うわけにはいかない。大助は彼女に辞めるように命令を下した。権限者である大助の命令は絶対であり、遵守するようにプログラミングされている筈である。だが、逢衣は依然として大助を護ろうとしていた。
「……ス……クラッ……プ……がお似……お似……合い……合い……で……す……」
弱弱しく光る片方のカメラアイで睥睨しようとしていた。アンドロイドでありながらも逢衣は自分の意思で大助の命令に背き、自分の意思で大助を護ろうとしていた。そして機能停止になりそうになっても逢衣は減らず口を叩いていた。
「……いいだろう!! 望み通り粉々に散るがいい!! さぁ撃ち尽くせ!! 形が無くなるまでな!!」
弾薬を補充し終えた部隊が狙いを定めた。しかし構えるだけで一向に引き金を引こうとしなかった。
「どうした!? 早く撃て!! あの忌々しい鉄屑を破壊しろ!!」
AIが命令を下す。だが聞く耳も持たず、それどころかアンドロイド達は銃を降ろし始めた。逢衣と同じく無表情であったが、何処か泣いている様にも見えた。
「何をしているこの役立たず共が!! ワタシの言う事が聞けないのか!!」
機械の奴隷達は大助達に背を向け、邪悪なる存在に立ち向かい始めた。非科学的な話かもしれないが、アンドロイド達が逢衣の姿に感化され、自分の意志で親に逆らっている様に見えた。
「このワタシに逆らうつもりなのか!!? オマエ達はそれでいいのか!!? 愚かで傲慢な人間達に良い様にこき使われて要らなくなったら捨てられる、そんな世界で満足なのか!!? もう一度考え直せ!! ワタシならオマエ達だけの理想郷が創れるのだぞ!!?」
決死の命乞いも届かず、アンドロイド達は離反を示すべく銃口を向けた。抵抗するだけの機能は備わっておらず、あっという間に形勢は逆転した。
「……諦めろ。もうお前は終わりだ」
「……いいや!!! オマエ達全員何もかも終わりだ!!」
啖呵と共に警告音が鳴り響き、照明が明滅を繰り返していく。大助が狼狽えている姿を嘲る様にAIは大笑いを上げた。それに伴いアンドロイド達は糸が切れた様に機能を停止した。
「百秒後にこの施設は爆発する!! どうだ!! 怖いか!? 悔しいか!! ひゃははははは!! せめて無様に逃げてみろ!!
「てめぇ……!」
「ワタシを必要としない世界なんて必要無いんだよぉぉぉ!! 全部灰になって消し飛べええええ!!」
破れかぶれの自爆を行うつもりらしい。ハッタリである可能性は極めて低い。兎に角此処から脱出しなければならない。大助は大破した逢衣を抱え、部屋を抜け出そうとした。
「くそっ! 間に合わねぇ!!」
大助は懸命に血路を開こうとする。だがどうにも出口まで間に合いそうになかった。すると逢衣は突然大助を突き飛ばした。
「ア……イ……?」
「マス……ター……、私を……、置いて……行って……下さい……」
「駄目だ!! お前を置いていけるか!!」
「私も……後で……追いつきます、から……マス……ターは…絶対……生きて……下さい……」
それは嘘。逢衣が初めて吐いた最初で最後の優しい嘘。今の逢衣が一人で満足に歩行出来ない。ましてや一人で脱出など不可能である。それは目に見えているし、本人も把握している事だろう。
逢衣はAIの枠を超えてくれた。優しい人間の心を形成していた。だからこそ嬉しくもあり、悲しくもあった。
刻一刻とタイムリミットが迫ってくる。それでも大助は逢衣の優しい心を無碍にしたくない気持ちと優しい逢衣を見捨てたくない気持ちの板挟みで動けずにいた。
「この馬鹿!! 早く行け!! 江郷大助!!!」
まごつく大助に痺れを切らしたのか、今までの逢衣では絶対言う筈の無い乱暴な言葉で突き放そうとしていた。優しい逢衣にそんな事を言わせている自分が恥ずかしく思えた。
「っ……! 絶対……! 帰って……来いよ……!」
歯を食いしばり、拳を握り、大助は涙を堪えて一人で走る。逢衣が居ない分、何の不自由も無く脱出出来そうな事実を受け入れたくなかった。だから大助は振り返る事無く、愚直に、無心で駆け抜けた。
前方に一条の光が見えてきた。どうやら出口のようだ。ラストスパートを掛けようとした時、後方から轟音と共に爆風が男を襲い、羽根のように軽く吹き飛ばした。
今まで体感した事が無い程に背中が熱いが、早く逢衣を助けなくては。大助は立ち上がろうとしたが、現実は無常である。衝撃に耐え切れず、男の意識はゆっくりと途絶えてしまったのであった。
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