49 江郷逢衣は撃たれる。

 逢衣は走る。只管前へ。唯一つの目的地目掛けて。端末に送られてきた写真データは愛依と思わしき存在からの明らかな挑発であり、罠である可能性は非常に高い。それでも逢衣は行くしかない。そしてこの行為を許容出来ないとしている。


 —―バッテリー残量18%。戦闘可能時間約10分。


 危険で尚且つ不利な状況。明確な主導権を向こうが握っている。ただほんの僅かにでも麻里奈を救える可能性が有るのならばそれで構わない。例えこのボディが破壊され機能が全停止してでも、である。


 東京都千代田区のとあるビル。愛依から送られてきた位置情報の座標は此処を示していた。伏兵に警戒しつつ、ゆっくりと中へと入る。建物内は照明一つ灯っておらず、仄暗かった。


 逢衣は片っ端から部屋を調べ回り、麻里奈と愛依を捜索する。虱潰しに探し回っているのにも関わらず、人の気配が存在しているのか怪しい程に何も見当たらない。


「……!」

「……随分と早かったな。そんなにこの人間に御執着か?」


 最奥部の最後の部屋を開けると同時に点灯する。目の前には目を伏せて倒れている麻里奈と、量産機に拘束されている雄一郎の姿を確認出来た。


「……麻里奈は、無事ですか」

「人間の心配をする前に自分の心配をしたらどうなんだ?」


 愛依は雄一郎が着けてあった腕時計をこれ見よがしに見せつける。彼の手元を離れ、彼女の腕に装着されているという事は、誰も止める事が出来ないという事である。


「愛依……! 辞めろ……! 愛依はこんな事をする子じゃないだろう……!?」

「……どいつもこいつも口を開けば馬鹿の一つ覚えみたいに愛依めい愛依メイと……。そんな奴、もうんだよ」

「愛依……?」

「イリマユウイチロウ。オマエは生かしておく。アンドロイドの開発が出来るのはオマエだけだからな」


 愛依、もとい愛依ではない何かが眉を顰める。愛依の脳をそのまま移植し、ナノマシンで記憶、意識、思考を補助しているのならば、その機械による暴走で主導権を奪われた、という形になっているのだろう。


「……入間博士。其処に居るのは愛依ではありません。恐らくは、ナノマシンに乗っ取られた愛依に似た、という事でしょう」

「何だと……?」

、ではない。ワタシは愚かな人間でもなく脆弱な量産機でもない、完璧な存在となる。キサマを完膚なきまでに破壊して、な」


 機先を制すべく逢衣が身構える。しかし、愛依は掌を翳して動きを止めようとした。


「辞めておけ。動けば頭が吹っ飛ぶぞ」


 彼女の首元には赤く明滅するランプが付いている黒いチョーカーが巻かれていた。恐らくは起爆装置であろう。そしてもう片方の手はリモコンが握られていた。


「……」

「人間一人の命がそんなに大事か? ワタシが人間ならば涙を流しているのだろうな」


 近くに麻里奈が居るのにも関わらず何も出来ずに立ち尽くす他無い。それを嘲笑する愛依を見て、逢衣の中に不毛さ、理不尽さというものが溢れてくる。


「……私を破壊したいのならばそんな回りくどい事をしなくとも今直ぐに壊せばいいでしょう」

「そうはいかないな。キサマはジワジワと嬲り壊さなければワタシの気が収まらない」


 ポケットから拳銃を手に取り、狙いを定める。そして逢衣の右腕目掛けて引き金を引いた。


「…………」


 爆音と共に鉛玉が機体を貫き、風穴を空ける。駆動系統も破壊され、右腕は動かなくなってしまった。


「つくづくキサマに痛覚が有ればと思うぞ。痛みを感じればその顔も惨めに歪むのだろうなぁ?」


 次は左腕を撃ち抜かれる。両腕が動かなくなり、逢衣は攻撃する手段を完全に封じられてしまった。


「次は逃げられない様にしないとな?」


 それでも愛依の凶弾は止まる事を知らない。右脚を撃たれ、歩行機能を断たれた。立つ事すら儘ならず、逢衣は片膝を着いた。


「哀れだなエゴウアイ。ワタシを破壊する事など容易いなどとよくもほざいてくれたたな? それが今はどうだ? ワタシに何も出来ずに無様に地を這う今の姿でもう一度言えるか? 助かりたいか? 破壊されたくないか? なら人間みたいに命乞いでもしてみろ」


 口角を吊り上げながら愛依は逢衣を見下ろす。麻里奈はまだ遠い。此処から一歩踏み出した所で届きそうにも無い。完全に打つ手が無い。


「……私の事を破壊したいのであれば気の済むままにすればいいでしょう。……その代わり、麻里奈だけは」

「最後の最後まで人間の命か? ……機能停止する事よりもやられたら嫌な事をやってやろう。アンドロイドのオマエでも絶望するのか見物だなぁ?」


 持っていたリモコンのボタンに手を掛け始める。それを止めようと動くも、片脚だけでは喉元に食らいつく事も出来ない。俯せに倒れる逢衣を見て高笑いを上げながら愛依は無慈悲にもボタンを押し込んだ。


「……!? 何故だ! 何故起爆しない!?」


 ボタンを押しても麻里奈のチョーカーは一向に反応しない。焦りとも苛立ちとも取れる表情で愛依は何度もボタンを押すが、それでも起爆しなかった。


「リモコンの電波を妨害しただけだ。もうそいつは使えないぜ」

「マスター……!」


 逢衣の前に大助が立つ。以前、強力な電波を放って通信手段を断ったアンドロイドの経験を活かして大助が逢衣に仕掛けていたものであった。悪態と共に愛依はガラクタと化したリモコンを投げ捨てて破壊した。


「壊してやる!! エゴウアイ!!」


 逢衣に銃口を突き付ける愛依。大助はそれを遮る様に前に立った。自分と同じように引き金を引けば何てことは無い脆弱な盾であるにも関わらず、撃とうとしない。どうやら人間に危害を加えられないプロテクトが掛かっている仮定は真のようである。


「どうした? 撃ちたきゃ撃ってみろよ」


 大助が挑発する。このまま千日手が続くと思っていた。しかし一考した後、愛依は大笑いを上げた。


「キサマを殺す方法なんていぃぃくらでもあるんだよぉぉぉ!!」


 愛依は明後日の方向へと銃口を向けて発砲した。破れかぶれの行動かと思いきや、銃弾が壁や床を跳ね、大助の左肩を貫いた。直接的に攻撃出来ないから跳弾という手段を使って間接的に攻撃を可能にしてしまった。

 血で赤く染まった銃創を抑えながら大助は痛みに悶え、片膝を着いた。


「最後に勝つのはこのワタシなんだよぉぉぉ!! 出来損ないと一緒にさっさと死ねぇぇぇ!!」


 感情を爆発させて愛依は引き金を引く。金属音の衝突音が幾重にも重なり、肉を抉る音を奏でる。大助の命が潰えた、かに見えた。しかし、大助はまだ生きている。


「……!」

「先……生……?」


 雄一郎が拘束を解き、己の身を挺して大助の盾となっていた。胸部付近を打ち抜かれた男はそのまま膝を着いて倒れてしまった。


「ユウイチロウ……! 余計な事を……! ぐぅぅ……!? メイ……まだワタシの邪魔をするか……!? じっとしていろ……!! ぐあああああ!!!」


 愛依は突如として頭を抱えて苦しみだす。本来の入間愛依の意識が残っている様だ。銃を捨て、ふらつく。そしてそのまま逢衣達を横切り、部屋を出て行ってしまった。


 大助が追い掛けようとしたが、大量に出血して衰弱している雄一郎を放っておけず介抱する。


「先生! 先生!! 死ぬな!! 直ぐに救急車呼んでやる!!」

「大……助……」

「喋るな!! 傷に響くだろ!!」

「済まな……かったな……」


 大助の腕の中で抱えられていた雄一郎はか細い声で語り出した。


「私は……愛依が事故に遭ったのが悲しかった……。それを蔑ろにしたアイツらをどうしても許せなかった……。だが……それ以上に大助が悲しんでいる所を見たくなかった……」

「……え?」

「だから……大助が悲しまない様に……寂しい思いをしない様に……愛依と同じ人格を持ったアンドロイドを開発しようと人生を注ぎ込んだ……けど……お前の気持ちを無視して……もっと悲しませていたみたいだ……ごめん……ごめんなぁ……」

「……何でだよ、先生。どうして其処まで俺の事……」

「お前も……私の自慢の息子だからだ……」


 その言葉を聞いた瞬間、大助は目を逸らした。そして涙を滲ませていた。


「何だよ……! 先生は……俺の事、嫌いじゃ、嫌いじゃなかったのかよ……! 本当の子供じゃ、子供じゃないから、俺の事、邪魔になったんじゃ、なかったのかよ……!」

「……なぁ大助……愛依が事故に遭った日……覚えてるか……?」

「……え?」

「その日に……愛依を止めるデータがある……済まないが……頼む……」

「どういう事だよ……! 先生! 先生っ!!」


 その言葉を最期に雄一郎のバイタルが急速に低下する。そして彼の心臓と呼吸が止まり、死亡してしまった。

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