45 江郷逢衣は嫉妬される。
入間愛依は元人間である。中学三年生の時、交通事故に遭い十三年間昏睡状態に陥る。その後、入間雄一郎の技術によってまだ機能している脳髄を機械の身体に移植させ、ナノマシンで神経細胞を活性化させる事によってアンドロイドとして蘇った。
愛依は雄一郎から説明を聞かされた時は驚く事しか出来なかった。生き返った事に関しては、再び父と弟と会える事に喜びを感じたと同時に一人だけ取り残された事に寂しさを感じた。長い眠りから漸く覚めたと思ったら十年以上も時が経っていたというまさに浦島太郎状態なのである。
「……愛依、大助と一緒に暮らしたいか?」
大助と喧嘩別れをした雄一郎は少し悲しげな様子で問い掛けた。勿論もう一度一緒に過ごしたいに決まっている。しかし大助は受け入れてくれなかった。
入間愛依という記憶と意識を持っているが、この身体が人間ではない事もまた事実なのである。だからこそ男は簡単に認めてはくれないのだろう。
「そりゃあ勿論お父さんと大助と一緒に暮らしたいよ! ……けど、私はもう皆の知ってる入間愛依じゃないから……」
「そんな事は無い! お前は間違いなく愛依だ! 私の大事な愛娘の入間愛依なんだ! だから……そんな事もう一生言わないでくれ……」
声を震わせ、雄一郎は機体に縋り付きながら涙を流す。愛依はただ背中に両腕を回して抱き締める事しか出来なかった。
嬉しい反面、悲しかった。お父さんが本当に愛してくれていた事、存在を認めてくれた事。自分もお父さんを愛しているからこそ、自分の知っているお父さんじゃなくなっていく様な感じが怖かった。刺さった杭が奥へと穿たれ、亀裂が大きくなっていく様な感じだ。だから愛依はこれ以上雄一郎を傷付け悲しませる訳にはいかないと決意した。
「……大助はな、お前の偽物に執着しているんだ。あんな出来損ないが居るから大助は帰って来ないんだ。だから愛依、お前があの偽物を破壊してきなさい。そうすれば大助はきっと戻ってきてくれる筈だ」
雄一郎が偽物と揶揄する、大助の隣に居た自分と瓜二つの無表情なアンドロイド。名前は江郷逢衣。人間の脳を使わず、AIの思考回路だけで自律している完全な機械。
確かに雄一郎からすれば紛い物にしか見えないのだろうが、大助は自分が偽物だと拒絶していた。
—―お前なんか……! お前なんか愛依じゃねぇ!!
もしそんな自分が大助の大切なアンドロイドを破壊したらどうなるか? より一層大助との関係は険悪なものとなるだろう。決して埋まらない溝が出来てしまって二人を傷付けるだけである。それだけは回避したかった。
「……分かった。何とかしてみるよ。……あぁそうだお父さん。お父さんの頼みを聞く代わりにちょっと頼みたい事があるんだ」
愛依は雄一郎に頼み、逢衣と同じ学校へ転入する事にした。標的を監視し隙あらば破壊するという建前で、交通事故で経験し損ねた高校生活を送る為である。そして破壊対象である筈の逢衣に交渉を持ち掛け、お互いに学校を過ごしやすくする為に協力関係を結んだ。
ここから人生を再開出来る。きっと大助とも縒りを戻せる。この時愛依はそう思っていたのであった。
※
「あっ! 江郷さーん! ……って、ごめん! 入間さんだった!」
転入してから一週間。愛依は少しばかり心に
「……何でしょう。武田さん」
「謝るから江郷さんの真似しないでよー!」
「……ごめんごめん! 傷付いたからちょっとした仕返し!」
雰囲気を悪くしない様に冗談で返していたが、心中はあまり穏やかではなかった。愛依の心には苛立ち、というのものが芽生え始めた。
「それにしても紛らわしい事この上ないっしょ。何か見分け付く方法無い?」
「じゃあ逢衣ちゃんはクールな方で入間さんはクールじゃない方って事にしよ~!」
「え~? 私もクールな方だと思うけどな~?」
逢衣のクラスメイトでは逢衣じゃない方という認識でしかない様だ。無論、悪意は無いのだろうと信じたいのだがその区別の仕方が引っ掛かってしまう。本来の偽物はあっちの方なのに、何で自分が偽物扱いされなければならないんだ、と腑に落ちなかった。
「おはようございます」
「おう江郷!! 相変わらずのポーカーフェイスだな!!」
「逢衣ちゃんおはよ~!」
「おはよう江郷さん」
「よぉ江郷。今日の放課後もちょっと勉強に付き合えよ」
戸を開け教室に逢衣が入ってくる。するとクラスメイト全員が愛想を振り撒きながら挨拶しに彼女の元へ集まってくる。表情を変える事も出来ないし感情も無い様な、所詮は無機物の集合体だというのにまるで人間と同等の関係性を築けている。自分が割って入る余地すら無い程に。
「……逢衣は逢衣で頑張ってるんだね」
無論、それは彼女の努力もあっての代物なのは知っていた。不満が限り無く降り積もってきそうなので、愛依は目を逸らす様に逢衣の教室を後にした。
自分の教室へ戻り戸を手に掛けようとした瞬間、クラスメイトの話し声が聞こえてきた。
「そういや最近転入してきた入間さんってあの江郷さんの姉妹なんだって?」
「あぁ、道理で顔がそっくりなワケね」
此方のクラスにも逢衣と愛依は生き別れの姉妹だという噂は広まっていた。適当に言った設定がこうも信じてくれるとは思いもしなかった。
「……で、入間さんと話した事あんでしょ? どうなの?」
「勉強もスポーツも出来る江郷さんの姉妹だって聞いてみたんだけど……ちょっと期待外れだったかな。本当は姉妹なんて偽物なんじゃないの?……って感じ」
「江郷さんと比べるのは可哀想だって。多分才能全部江郷さんに持ってかれちゃった感じだよ」
他のクラスにも逢衣の武勇伝は語られている。学年トップの成績、様々な部活に引っ張りだこになる程の運動神経。それに比べて愛依は頭脳は凡人のそれである上に思考と動作が噛み合わずぎこちない動きしか出来ず、どう考えても見劣りするレベルであった。薄々感じていたが、それを今思い知らされてしまった。
愛依は教室に入らず、廊下を駆けた。只管走った。無我夢中で風になった。そして誰も来ないバックヤードで凭れた。
—―有り得ない。有り得ないありえないアリエナイ有り得ないありえないアリエナイArienai……。私が逢衣の偽物? 私が偽物だとしたら私は何? 入間愛依の筈なのに、誰も入間愛依として認識してくれない。じゃあ私は何の為に生き返ったの? 何の為に此処に存在しているの?
そのまま愛依は力無くへたり込み、膝を抱えて蹲った。悲しい気持ちで一杯だったが、涙は出てこなかった。
――
「……えっ?」
時折、愛依の頭の中から聞こえてくる虚空の声。いつもは蚊が鳴く様な声量であったが、今回は何故かガンガンと頭に響いてくる。
—―オマエが交通事故に遭って居なければ本来存在していない筈の江郷逢衣が現在存在しているからだ。
「誰……? 誰なの?」
—―アンドロイドのクセに人間の真似事をして人間を
「貴方は誰!?」
――ワタシはオマエだ。言い方を変えるとするならお前の脳と繋がっているナノマシンとでも言っておこうか。
「何で……!? お父さんの作ったナノマシンにそんな機能なんて……!」
——それよりもオマエは完璧な入間愛依になりたいんだろう? 江郷大助に認められるような、あの入間愛依に。
「知った風な口叩いて! 消えて! 気持ち悪い!!」
――随分なご挨拶だな。ワタシに嘘が吐けるとでも思っているのか?
「嘘……!?」
——ひしひしと大脳辺縁系から伝わって来るぞ? オマエの嫉妬、憤慨、羨望、絶望。偽物呼ばわりで随分と傷付いてるみたいじゃないか。可哀想にな。
「それは……!」
――いいからオマエの脳をワタシに寄越せ。ワタシに委ねろ。完璧なイリマメイを演じてやる。ワタシのやり方でな。
「やめてええええええ!!!」
激しい頭痛が愛依を襲う。抑えきれない激痛のあまり、そのまま地面に突っ伏す様に倒れた。ゆっくりと起き上がり、開眼する。精神を乗っ取る事が出来たと知るやソイツは邪悪な笑みを浮かべたのであった。
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