42 江郷大助は傷心する。
大助の目の前で交通事故が発生した。赤信号に気付かなかった運転手がブレーキ痕が付かない程の猛スピードで横断歩道を渡っていた愛依を撥ね飛ばし、そのまま対向車線で停車していた大型トラックへ目掛けて正面衝突して漸く沈黙した。目の前の起こり得ないであろう光景の余り、少年は動く事はおろか、声を出す事すら出来なかった。
通報が入り、忽ちけたたましいサイレンと共に救急車が現場へ到着し、愛依と運転手の老人はストレッチャーに乗せられ、病院へ搬送された。
「君! 大丈夫か!? 怪我は!?」
放心状態に陥っていた大助を見掛けた救助隊が心配そうに声を掛ける。大丈夫、と言おうとしたが上手く口が動かない。唇は震えっぱなしだった。
「愛依……愛依が危ない……!!」
精神はグチャグチャだった。
炎天下の日中を我武者羅に走り続けた事もあって、病院に辿り着いた頃には汗だくになっていた。エントランスで呼吸を整えていると、丁度電話が掛かって来た。雄一郎からであった。
「大助? 学校に来てないと連絡が来たぞ。愛依も一緒なのか?」
「せ……先生……愛依が……! 愛依が……!!」
「……今何処に居る!!」
愛依が交通事故に遭った事、病院に搬送された事、自分も其処に居る事、しどろもどろながらも全て雄一郎に伝えた。五分も経たない内に雄一郎が病院へ到着し、一緒に愛依の元へと向かった。
「愛依は……愛依は無事なのか!?」
「……何とか命を取り留める事は出来ました」
まだ死んでいない。まだ生きている。その事に二人は歓喜し、互いに目を合わせて顔を綻ばせた。
「……命に別状は有りませんが、脳への損傷が大きく、いつ目覚めるかは……そして、ずっと生きていられるかというのも……」
言葉を濁しつつも下された医師からの診断を聞き、二人の表情は曇った。愛依は確かに生きている。しかしそれは心臓と肺が機能しているだけであり、生きているとは言い難い状態であった。
「あ……あああ……何でだ愛依……! 何でだああああ!!!」
機械に繋がれ眠っている愛依を目の当たりにし、人目を
※
後に判明したが、愛依を撥ねた運転手は高級官僚の男であった。本来は運転適正を優に越した年齢でありながらも運転を続け、その結果がこの事故である。
男も大怪我を負い、入院しているがその身内が愛依の見舞いに来る事は無かった。傷心中の入間家に届いたのは、膨大な額の慰謝料のみであった。まるで金さえ払えばいいんだろうと言わんばかりに謝罪の言葉も、後悔の言葉も無かった。
「……先生、ちょっとはメシ食わなきゃ死んじゃうぞ」
「……すまない」
雄一郎は憔悴し切っていた。仕事にも手に付かず、ずっと家に籠って酒を浴びる程呑んで寝るだけの毎日になっていた。そんな父の姿を直視出来ずに、大助は面会と言う面目で愛依の病室を逃げ場にしていた。
「大助君、来てたんだ」
愛依が事故に遭ったと聞きつけてクラスメイトの女子達も面会に来てくれた。昏睡している愛依を目の当たりにして、少し涙ぐんでいった。
「愛依ちゃん絶対起きてね! ウチら毎日来て応援するから!」
彼女の動かなくなってしまった手をしっかりと握りしめ、女子達が呼び掛けた。それでも、愛依は起きる様子は皆無であった。
最初こそは愛依を心配する者や哀れむ者が毎日見舞いに来てくれていた。だが一向に目覚める事は無い。復活する事が絶望的だと思い知るや否や、次第に見舞いに来る者は居なくなり、大助だけとなってしまった。
そしていつの間にか退院していた犯人の老人は、人知れず誰にも裁かれる事無く姿を消していたのであった。
「すまない大助。今月生活費振り込んでおくから何とかやってくれ。足りなくなったらまた連絡してくれ」
受験が終わり、大助が高校に入った頃。雄一郎は何かの開発を開始していた。施設に入り浸り、偶に帰って来たかと思いきや着替えを取ってまた施設へ出ていく。愛依をほったらかしにしてまで大事な物は何なのかと疑問に思った大助は雄一郎の施設に行ってみた。
「先生、これは……?」
「アンドロイドだ。どうだ。まるで人間みたいだろう?」
大助が目にしたものはまるで人間をそっくりそのまま映し出した様な顔を持った機械であった。首から上は人間であるが、下は鋼で創られた骨格であり、それが動き回っている。端から見れば不気味な光景である。そして一つ引っ掛かる点があった。
「……愛依の顔、そっくりだ」
「当然だ。愛依を創るのだからな」
一瞬何を言っているのか分からなかった大助であったが、直ぐに理解してしまった。雄一郎はアンドロイドとして愛依を蘇らせようとしている。無論、そんな事は不可能である。だが男は本気だった。酔狂だという事に気付いていないのかもしれない。
「愛依をこんな目に遭わせた世界を一緒に直していこう。……頼む」
「……ああ。考えとく、よ」
雄一郎の眼に狂気と復讐の炎を燃やしている事に気付き、大助は畏怖した。そして愛依しか見えておらず、其処に自分は居ないのだと気付き、大助は疎外感を感じてしまったのであった。
※
それ以降、大助と雄一郎の溝が深くなっていき、大助は大学入学を控えていた。相も変わらず愛依は寝たきりで、雄一郎はアンドロイドの研究に明け暮れる日々であった。
「……先生、これにサインしてくれないかな」
大助が雄一郎に渡したのは養子離縁届であった。この家に自分の居場所は無く、自立出来る歳になったら養子を解消する事は決めていた事だった。
「……今まで有難う、先生。此処まで育ててくれた恩、いつか返すよ」
「……気にするな。お前の気が変わったらいつでも戻ってこい」
少し寂しそうにしながら雄一郎は署名した書類と一緒に通帳とUSBメモリを渡してきた。
「一人暮らしするには何かと要り様だろう。……それと、私に恩を返したいと思うのならば、後でこれに目を通しておいてくれないか?」
真意が分からないまま、大助は新居でUSBメモリの中を見てみた。其処にはPDF化されたアンドロイドの設計図が入っていた。
「……馬鹿馬鹿しい」
このデータは愛依と雄一郎の負の遺産とも言える。大助は何度もデータを放棄しようとしたが、捨てられずに居た。情けない事だが、人間と瓜二つのアンドロイドというものに惹かれていたのである。
これは愛依の為でも、雄一郎の為ではない。あくまで自分が創りたいから創っているのである、と言い聞かせて大助はアンドロイドの研究に勤しんだのであった。
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