40 江郷大助は決別する。

「辞めて大ちゃん!」


 床に倒れ込む雄一郎に更なる追撃をお見舞いしようと拳を振り上げた。しかし琢磨に取り押さえられた。それでも大助は怒りを抑えられず、友人の制止を振り切ってでも二撃目を放とうとした。


「辞めて下さい、マスター」


 引いた腕が止まった。自分の愛娘が間に割って入って止めてきたからだった。彼女はいつもの様に無表情であった。しかし、何となくではあるが、何処か悲しそうな怒ってそうな感じがしていた。

 やり場のない怒りに大助は咆哮を上げながらテーブルを殴りつけ、理性を失っていた自身を戒めた。


「……お前も本当は怖かったんだろう? いつかは目覚めてくれるという淡い希望を持ち続けられない事を。そしていつかは死んでいくかもしれないという底無しの絶望が近付いている事を」


 盾として近くに立って庇っている逢衣を眺めながら雄一郎は立ち上がる。口角から滲んでくる血を拭いながら、減らず口を叩き続ける。


「その試作機プロトタイプがいい例だ。実に愛依に似ているよ、中身は空っぽだがな」

「違う!! 逢衣はそんなんじゃない!! アンタのと一緒にすんな!!」

「大助、お前は其処で満足する様な男じゃないだろう? 科学者にゴールなんて無いって事を忘れたのか? という通過点で満足する理由が何処にあるんだ?」


 だから、だから何をやってもいいって言うのか。愛依が本当にそれを望んでいたのか。心の底から生きたいと、機械仕掛けの身体になってでも生きたいと願っているのか。

 彼女の真意は肉体と共に葬り去られたので分からない。けれど目の前に居る男が詭弁を口走っている。大助はそれだけ何とか理解出来た。


「ただいまー! お茶買ってきたよー!」


 知らぬは本人ばかりなりとでも言うのか、愛依が呑気に買い出しから帰ってきた。無論さっきまで衝突していた事など露知らず、のこのことビニール袋を提げてリビングに現れたのである。


「……どしたの? 皆して突っ立っちゃって」

「……研究の議論でつい熱くなってしまってな。気にしないでくれ」

「まったく、お父さんも大助も相変わらず研究バカなんだから。お客さん困ってるでしょうに」


 呆れた様子で溜息を吐くと、袋の中から様々なペットボトルの束を次々にテーブルへ並べていく。


「何飲むか聞くの忘れちゃったから色々買っちゃった! 好きなの選んで!」


 彼女だけが蚊帳の外だった。重苦しい空気の中、各々が好きな飲料を手に取り、喉を潤していく。そんな中、愛依は大助に直接手渡してきた。


「はい! 大助、これ好きでしょ?」


 差し出されたのは紙パックのアイスココア。学生時代、毎日馬鹿みたいに買って馬鹿みたいに毎日飲んでいた。目の前に居る存在はその記憶を明確に覚えていた。それが堪らなく不快だった。


「……大助?」


 辞めろ、辞めてくれ。それ以上近付くな。それ以上愛依を騙るな。例え上手に似せようとした所でお前は愛依じゃない。愛依のフリをしているアンドロイドだ。愛依を侮辱するな。愛依を冒涜するな。


「どうしたの? やっぱり今日変だよ――?」

「!!!」


 愛依の様な何かが心配そうな表情で此方を覗き込んできたので、咄嗟に大助は突き飛ばしてしまった。尻餅をついた彼女は一瞬驚いた素振りを見せていたが、直ぐに不機嫌そうに眉を顰めてから立ち上がった。


「ちょっと! 痛いじゃない!」

「……痛みなんか感じてねぇだろ。アンドロイドのクセに痛がってるフリなんかよせ」

「な、何なの大助!? アンタ口も態度も悪いけど、そんな本気で人の嫌がる事言う様な子じゃなかったでしょ!?」

「黙れ!! お前なんか……! お前なんか!!」


 その言葉を放った瞬間、愛依の動作に異変が起きた。困惑していた筈の彼女の表情が忽ち消え失せ、虚無となる。そしてゆっくりと膝を着き、大きく痙攣し始めたのである。


「わ、たし、は、イリマメイ、である、イリマメイじゃないことはない、イリマメイ、はわた、し、である、であるデアルである出あるデアルであるデアルデアル——」


 支離滅裂な言葉を延々と放ちつつも振動が止まらない。ずっと綽然しゃくぜんとしていた筈の雄一郎がそれを見るや否や血相を変えて彼女に駆け寄った。


「やはり何かしらの不具合が生じるか……!」


 直ぐにポケットからペンを取り出し、その先端を愛依のうなじに当ててボタンを押した。すると瞬時に動きが止まり、彼女はそのまま俯せに倒れた。

 これで大助は確信した。愛依は生き返ってなどいない。目の前に居るのは、操り人形に過ぎず、ナノマシンという名の糸が切れると忽ち崩壊してしまう紛い物なのだと。


「……なぁ大助。人を生き返らせる事はそんなに悪い事か? そんなに唾棄される事なのか? 世の中には死んだ方がマシだって奴がごまんと居る。そんな奴がのうのうと生きて、生きたくても生きられない奴が死んでいく。そんな世界は間違っていると思わないか?」


 動かなくなったアンドロイドに調整を施しながら雄一郎はぼやく様に大助に問い掛けた。


「——俺だって、愛依には生きて欲しかった。生き返るのだったら生き返って欲しかった。何で愛依がこんな目に遭わなくちゃいけないんだって思った」

「大ちゃん、何を——!」

「けどな、先生。それは俺達だけがそう思っているワケじゃない。誰だって辛い事、悲しい事を抱えてでも生きてるんだ。今のアンタはただ目の前の現実から逃げてるだけなんだ。だから先生、お願いだ。もう辞めてくれ——」


 精一杯の気持ちで大助は雄一郎を諭す。今ならまだ引き返す事が出来ると思ったから。愛依はもう居ないけれどまたりを戻せると思ったから。


「それは出来ない。私は前に進むしかないのだ。例えお前の頼みであってそれだけは聞けないな」

「……残念だ、先生。分かってくれると思ってただけに猶更だ」

「それは私もだ、大助」


 同じ境遇、同じ経験、同じ過去。一緒であっても想いは平行線のままだった。大助は諦めた。そして完全に袂を分かつべく、琢磨と逢衣を連れて家を出ようとした。すると雄一郎が呼び止めた。


「この家の土地をお前の名義で譲渡する。好きに使え」

「……いらねぇよ。家くらい東京にある」

「東京は駄目だ。お前を危険な目には遭わせたくはない」


 何が言いたいのかがさっぱりだった。思わず大助は怪訝そうな表情で振り返った。


試作機プロトタイプとは言え流石はお前が作ったアンドロイドだと言っておこうか。私のアンドロイドを破壊するとは思わなかったぞ」

「……やはりあのアンドロイド、先生のだったのか。あんなの作って人間を襲わせて、何が目的なんだ?」

「言っただろう? この世界は間違っていると。間違っているのなら正せばいい。その為のアンドロイドだ」


 頓珍漢な回答を繰り広げる雄一郎。だが大助は嫌な予感を察知した。杞憂である事を期待して問い質してみる事にした。


「……先生、帰る前にもう一つ、いやもう二つだけ質問いいかな」

「何だ?」

「五月四日の事件の犯人。先生はソイツの脳にナノマシンを入れたのか?」


 少しばかり面食らった様な表情をしていたが、直ぐに雄一郎は少しばかり微笑んでから頷き、左の袖を捲って腕時計を見せた。


「ナノマシンの操作と制御を可能にした。これ一つで人間を意のままに操る事が出来る。無論、脳のもな」

「破壊……? もしかして裁判のアレは入間博士が……!?」


 以前ニュースを見ていた琢磨が“口封じの為に殺されたみたいだ”と語っていたが、まさか本当になるとは思いもしなかった。それ程に彼が開発したナノマシンは脅威的なものであると知れた。


「……もう一つの質問だ。華無鬼町の連続行方不明事件。先生がアンドロイドを使って人間を攫って実験体にしたのか?」


 雄一郎は肯定した。数年間警察が捜査を続けているのに被害が増える一方で明確な犯人像すらも掴めていない事に合点がいった。彼は結局、アンドロイドをとして使っているに過ぎなかった事が分かった。


「元同志としてのよしみだ。早々に東京から避難しておけ。私が腐った国を破壊し、ナノマシンによる統制を行う。そして悪と言う名の劣等種を滅ぼし、誰も傷付かない世界にさせる」

「本気で言ってるのか?」

「冗談や嘘が嫌いなのはお前がよく知っている事だろう?」


 堕ちる所まで堕ちた。最早救いようのない化け物に変わり果ててしまった。大助達は怒りを露にした。だから彼の言っている事は只の狂言であると信じたかった。


「その時は俺が殺してでも止めるぞ。先生」

「そうか。……ならを完膚なきまでに破壊するまでだ。愛依や私にとっては目障りな機体だ。入間愛依は二人も要らない」


 大助が愛依の存在を認めていないのと同様に、雄一郎もまた逢衣の存在を認めていないようだった。


 不倶戴天の敵となった雄一郎に背を向け、大助達は家を後にしたのであった。

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