39 江郷大助は激怒する。
大助と雄一郎との間に一人の少女が割って入ってきた。彼女の容姿はまるで逢衣の生き写しの様であった。しかし決定的な違いが一つある。それは感情が有るという事であった。
「そうだよ、入間愛依だよ。もしかして私の事忘れちゃった?」
「な、何で……? もしかして先生、完成させたのか? 愛依そっくりのアンドロイドを?」
「そっくりではない。愛依そのものだよ。……話せば長くなる。場所を変えないか?」
雄一郎は愛車を指して乗るように催促した。葬儀が終わり次第速やかに東京へ帰るつもりであったが、雄一郎の真意と愛依に酷似している存在の正体を知る必要があると判断し、不本意ながら乗車することを決めた。
「君もどうだい? 科学者なら興味位あるだろう?」
親子水入らずの会話に割って入るべきではないと気を遣っていたであろう琢磨が逢衣を連れて先に帰っておこうとしていた所を雄一郎は逃さなかった。
巨漢は判断を仰ぐべく大助に目を合わせた。正直、平然と居られる自信が無かったので同伴してくれる方が有難いので男は大きく頷いた。
大助達を後部座席に乗せ、雄一郎が車を走らせる。老人は運転する事に専念していて口を開こうとしない。大助は今の現状が非現実過ぎる余り気持ちの収拾が付かなくなっていた。きっと琢磨も同じだろう。彼に至っては緊張で身体を強張らせていた。
「ねえねえ大助! ずっと気になってたんだけど、その子誰?」
赤信号で停止した際、助手席に居た少女が振り返って訊ねてきた。もし彼女が本当に愛依だとしても、死んだ筈の人間が同じ姿で生まれ変わってやって来たという事であり、大助は目の前に居る存在を受け入れたくなかった。
「大助! 聞いてるの?」
「あ……? あぁ、悪い……何だっけ……?」
「ねぇお父さん、何か変だよ大助?」
「久々にお前と会えたから
見た目、声、喋り方、立ち振る舞い、表情。否定すればする程に入間愛依と認識してしまう程に完ぺきだった。まるであの交通事故で止まってしまった時間が動き出しているかの様だった。だからこそ違和感しか無いのである。
「……よく俺が分かったな」
「分かるよ! 中学の時から全然変わってないみたいだからね! それにしても十数年経ってもこの景色は変わらないね!」
浦島太郎程ではないが、自分だけが取り残されているのにも関わらずそれを受け入れて、何処か他人事の様に口走る彼女に対して不気味だと感じた。本物か偽物かは最早どうでもいい。今の愛依は思い出の中の愛依ではないからだ。
車で走らせる事、十数分。見覚えのある一軒家が前方に見えてきた。郊外に出た時点で実家に連れていくのだろうと何となく察していた。愛依は帰るべき場所を見つけて目を輝かせていたが、大助にとってはあまり思い出したくない負の遺産である為に渋い顔を浮かべていた。
「少しばかり汚れてるだろうが、入ってくれ」
解錠してゆっくりと扉を開けると、家の中から腐敗と刺激が協奏しているかの様な異臭が大助達を襲った。そして玄関先に黒光りする素早いあの虫達が陰に逃げていく姿も確認出来た。
「……お父さん、此処を最後に掃除したのいつ?」
愛依が鼻を抑えながら訊ねる。相当立腹の様子だったので雄一郎は目を逸らし、言葉を濁して答えようとしなかった。大きく溜息を吐いて彼女は袖を捲った。
「流石に汚過ぎるから掃除するよ!」
こうして愛依の指揮の下で掃除をする事となってしまった。生前の愛依も家事を手伝わせていたっけ、と大助は少しばかり懐かしく感じていた。
「ちょっと! えーっと、其処の!」
「……?」
「そう、貴女! 名前は?」
「江郷逢衣です」
「逢衣ちゃんね! 逢衣ちゃんはあっちを掃除してくれる? えっと……、そこのふくよかな人! 貴方はそっちをお願い!」
初対面だと言うのにも関わらず物怖じしない性格はきっちり再現されていて、本人と錯覚する程であった。すると、それを察したのか雄一郎が自慢げに背後から話し掛けてきた。
「私の集大成だ。凄いだろう?」
「……そうだな。愛依じゃなけりゃ最高なのにな」
「大助! お父さん! サボらない!」
無駄口を叩く暇も与える事なく、愛依は馬車馬の如くこき使っていく。腑に落ちないまま大助は布巾で埃がこびり付いている壁を拭いていくのであった。
※
「まぁこんなものね!」
数時間掛けてゴミや埃、虫の死骸や蜘蛛の巣といった不衛生な環境を作っている物質を除去し終え、愛依は満足げに鼻を鳴らしていた。
時刻は十六時七分。早く新幹線に乗らなければ明日の業務に支障が出るので手短に話を終わらせなければ、と大助は少しばかり焦っていた。
「……愛依、ちょっと近くのコンビニに行ってきてお茶を買ってきてくれないか? お釣りで好きなの買っていいから」
「うん分かった! 行ってくる!」
雄一郎は一万円札を握らせて愛依を外に出させた。彼女の背中が小さくなるまで見送ると、リビングに置かれているテーブルに座らせた。
「……さて、何から話そうか」
邪魔者は居なくなったとばかりに雄一郎は神妙な面持ちで話を切り出した。いざ聞こうとしても、聞きたい事がごまんとあるので何から聞き出せばいいのか分からないでいた。大助が言葉を詰まらせていると、痺れを切らしたのか自ずと語り始めた。
「お前はまだ愛依の存在を信じていない様だな?」
「当たり前だろ、さっきのが愛依っつったってアンドロイドだろ?」
人間に限り無く近いアンドロイドを作るべく奮闘していたのは知っていた。しかしそれは飽く迄近付けるだけであってアンドロイドが人間に成り得る筈が無い。永遠に一へ到達できないカンマ九の様なものである。
「言っただろう、愛依そのものだと。確かに器としてはアンドロイドだろうが、中身は本物だ」
「どういう……意味ですか? イマイチ要領を得ないんですが……」
琢磨の疑問は尤もだ。雄一郎の言っている意味が分からない。すると男は待ってましたとばかりにポケットから何かを取り出した。
「私が開発したナノマシンだ。これのお陰で愛依は愛依足り得ている」
それは一本の試験官の様に見えるペンであった。しかしそれでは何の答えになっていないので大助達は怪訝そうな表情を隠せずにいた。昂揚しているのか雄一郎は徐々に饒舌になっていく。
「このナノマシンは脳の
「犠牲? ……先生! 人間を実験体にしたって言うんじゃないんだろうな!」
その意味を察した大助は憤りと共に問い掛ける。雄一郎は断りも入れず更に語り続けていく。答えは肯定という事だろう。
「ネズミやサルを実験体として使う事と何が違う? 命の価値は同じだろう?」
「人殺しを正当化出来ると思ってんのか!」
「無駄になんかしない。ゴミは
「ふざけんな!!」
大助は身を乗り出し、詭弁を語る雄一郎の胸倉を掴んだ。それでも彼は悪びれる様子は無かった。
「今のアンタを見てあの世の愛依が悲しむとか思わねぇのかよ!!」
「……だから言っただろう? あの愛依は本当の愛依だと」
「……まさか!」
「脳死する前に愛依の脳髄を機体に移植し、ナノマシンを投与させた。つまり身体はアンドロイドであっても記憶と意識は愛依そのままだ。愛依は生き返ったんだよ。科学に不可能は無い事が証明出来たんだ。喜んでくれたか? 大助——」
堪忍袋の緒が切れた大助は、怒り任せに父の頬を思い切り殴りつけ、床に叩き伏せたのであった。
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