35 江郷逢衣は逃亡する。

 激しい雨に打たれている男が此方へ振り向く。男の表情は死んでいた。顔色一つ変えず人間をあやめ、死体に目も暮れず二人の元へと向かっていく。逢衣は直ぐにこの男が普通の存在ではないと看破した。


「な、何なの……もうどうにかなっちゃいそう……!」

「麻里奈、逃げましょう」


 怒濤どとうの出来事続きの余り、平常心を保てずに居た麻里奈の手を引き、後ろへ下がる逢衣。到底振り切れる筈が無く、謎の刺客は大きく脚を踏みしめ、手首の関節付近から二本の突起物を展開した。


「電気ショック作動。目標を鎮圧する」

「!!」


 このままでは危害が及ぶと判断し、麻里奈を思い切り引っ張って距離を取らせた。一方で逢衣は回避が間に合わず、咄嗟に右腕で防いだ。掌底が装甲に当たった瞬間、人間の安全限界を優に超した電流圧を検知した。彼女のボディは通電する事によって人間の皮膚を再現しているが、表面上だけ絶縁体になっているので電気を通す事も流す事も出来ないのである。


「……!?」


 男は表情を一切変えなかったが、驚いている様な素振りを見せた。逢衣はこの機を逃さないとばかりに全身を使って思い切り体当たりをして突き飛ばし、相手を勢いよく転ばせた。


「立って下さい麻里奈。今の内に逃げましょう」

「ご、ごめん……!」


 尻餅を着いたまま動かなくなっていた麻里奈を立ち上がらせ、土砂降りの中を駆けていく。当分は止みそうに無い。二人はずぶ濡れになっている事すら厭わない程に豪雨の中を走り続けた。


「逢衣! 交番へ行こう!」


 何とか二人は警察の管轄内である派出所へと到着出来た。此処まで来れば追い掛けてこないだろう。引き戸を開けると、丁度警察官が暇を持て余しながら待機していた。


「君達、一体どうしたんだい? 傘も差さずに——」

「助けて下さい!!」


 混乱してはいたが何とか事情を明確に説明出来た麻里奈。それを聴いた警察官は半信半疑の様子であったが、彼女の鬼気迫る表情からして放っておけないと判断したのか、匿ってくれた。


「……取り敢えず応援を呼ぶから、君達座って待機しててくれる?」


 警察官が無線機を取り、連絡を取ろうとしていた。その間、麻里奈はずっと俯いたまま身体を震わせていた。隣で見ている限り、今にも泣き出しそうな表情をしていた。彼女の精神を安定させるべく、逢衣は麻里奈の肩先に触れた。


「麻里奈、もう大丈夫です。よく頑張りました」

「逢衣……!」


 せきを切るかの様に麻里奈は涙を流し、逢衣の胸に顔を埋めた。彼女の背中を擦りながら、時刻を見るついでに大助にも連絡しようとスマートフォンを取り出した。スリープモードを解除すると、電波は圏外を示していて、電話が使えなくなっていた。


「……あれ? おかしいな、無線が繋がらない……?」


 カウンターの奥で警察官が色々なボタンを押したりして何度も試しているが、向こうも連絡が届かない様である。ある程度落ち着けた麻里奈もスマートフォンを取り出して画面を見てみると、彼女のにも電波が繋がっていない様である。


「……どういう、事?」


 怪訝そうな表情で麻里奈は直ぐに近くに置いてあった固定電話の受話器を取って電話番号を入れてみた。


『お掛けになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていない為、掛かりません』

「何で……!? どうして!?」


 アナウンスが交番内に虚しく響く。危険な状態が継続しているのにも関わらず、連絡出来ない状況は非常に芳しくない。どうにか打破しなければならない。

 パニックになっている麻里奈を尻目に、逢衣は此方に近付いて来る足音を察知し、彼女の手を引き、未だに無線機を弄っている警察官の付近へと逃げ込んだ。


「……」

「お、お巡りさん!! あの人です!!」


 男が引き戸を開け、ずぶ濡れになったまま中へと入る。摺り硝子の様な双眸で周囲を見渡し、逢衣達へと目線を合わせる。


「目標変更。を破壊し、一人を確保する」


 男は逢衣達の方へと向かおうと一歩踏みしめる。只者ではないと判断した警察官が次の足を踏ませまいと不審者の前に立った。


「ちょっと待った。悪いんだけどお兄さん、ちょっと詳しい話を聞かせても——」


 男を制止させようと警察官が声を掛けた瞬間、胸倉を掴んでそのまま壁へと放り投げる。障害を取り払った悪漢が逢衣達へじわりじわりと詰め寄ろうとしたが、警察官は直ぐに体勢を立て直して男の前へ立ちはだかると、腰のケースから拳銃を抜き取り瞬時に構えた。


「動くな!」


 日本では滅多にお目にかかれない本物の銃。引き金を引けば容易く命を奪う武器。そんな危険な物を突き付けられているにも関わらず、男は顔色一つ変えずに足を動かす。


「撃つぞ!」


 最終警告だと言わんばかりに撃鉄を降ろして胸部付近に狙いを定めた。それでも尚、男は臆する事無く近付く。


 発砲む無しと、銃声が交番内に響き渡る。突然の轟音により麻里奈は悲鳴を上げながら耳を塞いでしゃがみ込んだ。確実に銃弾は命中した。しかし、男は物ともしていない。その上、胸部を穿った孔から血液が出てこない。


「う、うわああああ!!!」


 脅威的な存在を目の当たりにし、恐怖した警察官が絶叫しながら銃を乱発する。全て当たっているのに一切怯まない。最後に放たれた銃弾が左頬に命中する。致命傷を与えたのかと思いきや、頬に埋まった銃弾を周囲の皮膚ごと引き千切って摘出した。


「……!」

「何……あれ……!?」


 皮膚の下には骨が無く、代わりに銀色で出来た金属が露出していた。逢衣は漸く確信出来た。この男は自分と同じアンドロイドである。そして自分とは異なり、人間を殺すプログラムが施されている。


「障害を排除する」


 弾切れを起こし、丸腰になってしまった警察官は徒手空拳でアンドロイドと孤軍奮闘する。そんな人間の気骨を嘲笑いながらへし折るかの如く、機械は片手で首を締め上げ、そのまま身体を宙に浮かせた。


「麻里奈、こっちへ」


 このままでは麻里奈にまで危害が及ぶ。逢衣は直ぐに彼女の手を引き、アンドロイドが警察官に気を取られている隙に奥の部屋へと入り、窓を開けて交番から脱出する。

 後ろで断末魔が聞こえたが、今は麻里奈を逃がす事が先決である。再び雨の中を走っていき、殺人アンドロイドから逃げようとするも、麻里奈の歩幅はどんどんと小さくなっている。


「逢衣……! アンタ、あたしを置いて……早く逃げなさい……! 後から……追いつくから……!」


 心身ともに疲労困憊していた麻里奈の運動機能は著しく低下していた。当の本人もそれは気付いている様で、足手纏いにならない様にと逢衣に気を遣っていた。後で合流するとは口で言っているものの、相手がアンドロイドである為、内臓バッテリーが尽きるまで執拗に追跡してくる。つまり不可能に近いという事である。


 この状況下で逢衣の導き出した答えというものは唯一つ。アンドロイドを機能停止させる、である。


「……麻里奈。絶対に私が守ります。だから、もう少し辛抱して下さい」


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