34 江郷逢衣は遭遇する。

 夏休みも刻一刻と終わりに迫っていく。誰にも止める事が出来ず、最終日の八月三十一日を迎えた。逢衣は大助達の朝食を配膳し終えると直ぐに着替えを始めた。


「……そうだアイ。今日は俺と一緒に何処かへ——」

「申し訳ありません。今日は野上さんとデゼニーランドに行きます」


 着替え終えた逢衣は大助の誘いを一蹴する。少しばかり寂しそうな顔をしつつもこれ以上言及してこなかった。


「アイたん気を付けてね。……遅くなる時は?」

「連絡します」

「何かあったら?」

「連絡します」


 炒め過ぎて硬くなっているナポリタンを頬張っている大助と琢磨に見送られながら逢衣は地上へと上がる。

 いつもの様にビルを抜けようとすると、向かいの路地裏に何者かが此方を見ていた。逢衣が目線を合わせようとすると、直ぐに踵を返して去ってしまった。このまま追い掛けようと考えたが、待ち合わせの時間に遅れてしまうので直ぐに最寄りの駅へと向かい、麻里奈が待っている東京駅へ。


「おはよっ、逢衣!」

「おはようございます、麻里奈」


 合流出来た二人はそのまま舞浜駅行きの電車へ乗り継ぐ。日本で一、二位を争う程の大人気レジャー施設に向かっているのだが、麻里奈は何故か浮かない表情であった。


「……何処か調子が悪いのですか?」

「え? あぁ……何かね、あたしの思い違いであって欲しいんだけどさ。誰かに付け狙われてる様な気がするんだよね」

「それは危険です。警察には?」

「警察がイチイチそんなのに対応するワケないって。大丈夫だって! 今日は目一杯楽しもうよ」


 そう言うと、麻里奈は痩せ我慢するかの如く作り笑いを浮かべた。彼女の周囲を厳としなければならない、と逢衣は今日のタスクを追加したのであった。


 舞浜駅を降りると直ぐにデゼニーランドが二人を出迎えてきた。夏休み最終日だからなのか、ごった返す程に来客数は多くなく、それほど待たずに施設を楽しめそうである。


「ほらボーっとしてないで行くよ逢衣!」


 目を輝かせながら麻里奈は逢衣の手を引き、勢い良く入園する。園内には世界で有名なキャラクターの着ぐるみ達がそこら中を闊歩しており、麻里奈が手を振ると向こうも愛嬌のある反応を返す。


「ねぇ! あれ乗ろうよ!」

「分かりました」


 母親に代わって家事全般を任されたり、妹を失って自暴自棄になっていたりしていたが、今の麻里奈は歳相応にはしゃいでいる高校生であった。大人ぶっていた少女は逢衣を連れ回し、色々なアトラクションに乗っていく。


「これさっき乗ってた時の写真だって! 逢衣ってジェットコースターに乗ってても真顔じゃん! 怖くないの?」


 レールの上を高速で駆け抜ける絶叫マシーンの出口で、最後に勢い良く急降下して水飛沫みずしぶきを浴びせる直前を撮影した写真が販売されていた。麻里奈は勿論の事、他の同乗者も恐怖で大きく顔を歪ませている中、逢衣だけが無表情であった。


「よく分かりません」

「アンタってほんっとたまーに意味分かんない事言うんだから」


 この後も逢衣と麻里奈は様々なアトラクションを巡っていく。そうこうしている内に時刻は二十時三十二分。閉園時間が差し迫る時刻となった。そろそろ帰ろうと出口に向かおうとした時、曇った夜空に鮮やかな光が差し込んできた。振り返って見上げてみると、色とりどりの花火が何発も打ち上がっている。


「……また一緒に来ようね」

「はい。麻里奈がそれを望むのならば」


 名残惜しそうにする麻里奈の手を引き、逢衣はデゼニーランドを後にする。出口を出た瞬間、一滴の雫が頭上に落ちてくる。二滴、四滴、八滴、瞬く間に本降りの雨となってしまった。


「嘘でしょー!?」


 二人は雨に打たれながら駅へと走る。今日の天気予報では降水確率三十パーセント程しか無かったので傘を持ち合わせていなかった。


「ほんっと最悪……! びしょ濡れになったじゃない! ほら、逢衣もこっち来なさい!」


 麻里奈は紙袋からお土産で買ったタオルを取り出して頭を拭くと、ついでとばかりに逢衣も拭き始めた。


「……麻里奈、家まで送ります」

「えぇ? 大丈夫だってそんなの」

「駄目、ですか?」

「……別にいいけどさぁ」


 雨中は視界が悪く、足元も滑りやすくなる。万が一の危険性も備えて逢衣は麻里奈の自宅まで送る事にした。門限は二十一時である為、大助にも少しばかり遅れる連絡は入れておいた。


「……ありがと、逢衣。ほんっとうに楽しかった。あたしね、こんなに楽しいって思えたの、久しぶりなんだ」

「……」

「アンタと出逢えて良かったって、心から思ってるよ」

「……私の方こそ、有難う、ございます」


 電車を降り、駅の購買で一本の傘を購入し、逢衣は麻里奈と共に家まで向かっていく。雨の勢いはどんどんと増していき、雷鳴が聞こえ始める。急いで帰った方が良いと、麻里奈の背中を押して急かした。


 麻里奈を送り届けた後、直ぐに駅まで引き返して研究所まで戻り、学校の準備を整えてから大助達にボディのメンテナンスをして貰い、九月一日の明朝まで待機する。そしていつもの学校生活へと戻っていく。逢衣の立てたプランに狂いは無かった筈だった。


「……ねぇ。逢衣。誰か、後ろからついて来てない?」


 不安そうな声で背後を見ながら麻里奈は逢衣に問い掛ける。後ろを振り返って見ると、確かにこの豪雨の中、傘も差さずに此方を見ている何かが居た。もしかすると、以前遭遇した様な不審者かもしれない。


「……どうしますか?」

「家までつけられたらヤだし、あの道通って交番の所まで行って匿って貰おうよ」


 麻里奈の指示通り迂回し、細く暗い道に入っていこうとする。すると、尾行してきた何者かの足音がどんどんと大きくなっていく。再び雨に濡れてしまうが、二人は更に速度を上げて路地裏に入ってそのまま突っ切ろうとした時、謎の影は形振り構わない勢いで急接近してきた。


「きゃあ!?」


 突進してくる何かが鋭利な刃物を持っていると検知した逢衣は直ぐに麻里奈を突き飛ばし、凶刃を回避させた。標的を外し、水溜まりに足を取られて滑ったは、直ぐに立ち上がって此方を振り向いた。


「……河原、先生」

「随分と楽しそうだなぁ……? えぇ?」


 ずぶ濡れたフードの下には、二人の策略により失脚していた河原元教諭の蒼白してやつれていた顔があった。そして両手には肉をも簡単に切れそうな包丁が握られてある。


「江郷……お前は俺を裏切った……そして野上……お前は俺をこんな目に遭わせた……殺してやる……!」

「あ、アンタの自業自得でしょうが……! それに逢衣はアンタのモンじゃないし……!」


 濁り切った双眸はしかと逢衣達を捉えている。麻里奈は恐怖で声を震わせながらも減らず口を叩きつけた。それは火に油を注ぐ行為だったらしく、河原は更に柄を強く握り返し、突き刺す構えを取った。


「……お前ら、本気で死にたいようだなぁ……!?」

「麻里奈、逃げて下さい」

「あ、逢衣こそ逃げなさいよ!!」

「逃がすワケ無いだろぉ……!?」


 直ぐに逢衣は麻里奈を守るべく前に出て、逃がそうと後ろへと押すが、彼女はすっかり竦んでしまって動かなくなってしまっていた。

 容赦なくじわりじわりと距離を詰めてくる。逢衣が制限リミッターを解除して時間を稼ごうと目論んでいた時、ゆっくりと横切り、前に立ち塞がる者が現れた。


「何だテメェ!? ぶっ殺すぞ!!」


 逆上した河原が勢い良く突っ走る。逢衣の状況判断が間に合わないまま、謎の存在の腹部にナイフが刺さる、筈だった。しかし寸での所で御していた。それも片手で。


「なっ!?」


 河原は大きく動揺した。その隙を逃さないまま、身体を一回転し、殺人的な上段蹴りを側頭部へお見舞いする。鈍い音と共に悪漢は白目を剥き、血が混じった泡を噴きながら倒れ、そのまま動かなくなってしまった。


「……対象の一人が死亡。残り二人は確実に捕縛する」


 目の前のは平然と人を殺した。心が無いかの様に人の命を奪った。河原が死んだと分かった瞬間、麻里奈は雷雨にも負けない程の悲鳴を上げた。ゆっくりと此方へと振り返ったそいつは、逢衣と同じく感情が無かったのであった。

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