32 江郷逢衣は屯する。

 夏はまだまだ続く。三日間を費やし、麻里奈達と共に宿題を全て終わらせた逢衣。後顧の憂いを断った彼女は、次に織香達の勉強を教える為に、逢衣が指定したファミリーレストランで落ち合った。


「全っ然分からねぇ!! マジでちょっとでも授業聞いとけばよかった!!」


 期待を裏切る事無く、元不良三人組は今の授業に追いついていない程に勉強が出来ていなかった。赤点と言う名のボーダーを常に反復横跳びしている三人は補習こそ不本意ながら出てはいたものの真面目に受けていなかったらしい。どういう風の吹き回しか、彼女達は教材を広げて懸命に問題を解いていた。


「助かるよ江郷。ウチらだけじゃ勉強ちっとも捗らねーからさぁ」

「私で良ければいつでもお教えします」


 ノートと問題集を広げて頭を抱える織香達。逢衣がそれぞれ分からない所を見ていき、懇切丁寧に解説していく。そんな中、一人の店員がフライドポテトを盛った皿をテーブルの真ん中目掛けて乱暴に置いた。


「お客様、飲食以外での長時間のご利用はご遠慮下さいっしょ」

「げ、茨木――」


 目線の先にはアルバイトとしてこの店舗で働いている莉奈が怪訝そうな表情を浮かべていた。以前、彼女の勤務先を聞いていた逢衣は丁度シフトが重なっている日時を狙って来店したのである。


「何でお前が此処で働いてんだよ?」

「何処でバイトしようが私の勝手っしょ。ていうか江郷さん、何でわざわざ私がバイトしてる所で勉強教えてるっしょ?」

「バイトしている茨木さんに会いたかったからです」

「!? か、揶揄からかわないで欲しいっしょ!」

揶揄からかっていません。本当の事を言いました」


 逢衣はいつもの調子で、いつもの無表情で言い放つ。特に他意は無い筈だが、莉奈は少しばかり照れ臭そうにしながら少し早足で厨房へと戻って行ってしまった。


「……江郷、アンタ絶対男にそんな勘違いされるような事言わない方が良いよ。しまいには刺されるよ」

「刺される……? 何故ですか?」

「ホントそう言う所。ストーカーに襲われてもウチら知らないからね」


 三人は思わせぶりな発言を無自覚の内に繰り広げる逢衣に呆れ果てていた。彼女だけは何が何だか分かっていない様子であった。



「てゆーかマジで全然分かんねー! 巷で噂のって奴を入れて貰おっかなぁー!」


 少しばかり逸脱してしまっていたりしつつも引き続き勉強していた織香達だったが、全然捗らずに頭を抱えていた。その中で紗仁がフライドポテトを頬張りながら呟いた。


「ナノ……何?」

「ナノマシン! どっかのすげー頭良い人が実用化出来るかもってニュースで言ってた! それを首の所に打ち込んだら脳ミソがすげー事になるんだって!」

「へー、そもそもどういうモノ?」

「さぁ……マシンは兎も角、ナノって何だろう?」

「ナノは十億分の一を示す単位です。ナノマシンはナノメートルサイズの機械装置の事を示します」

「じゅうおくぶんのいち……!? そんなちっちゃい機械何の意味も無いっしょ!」


 ナノマシンについて会話を続けていると、いつの間にか制服から私服へ着替えた莉奈がテーブルまで来て話に割り込んで来た。


「何だよ茨木、アタシらの邪魔してないで働けよ。どやされるぞ」

「暇過ぎて休憩になったから別に問題無いっしょ。……ていうかアンタらガラにも無く勉強してるけど急にどしたのっつー感じっしょ」


 怪訝そうな表情を浮かべていた莉奈は暇を持て余しているのか、ソファの側面に凭れながら話を続けた。


「私は琢磨さんの隣でも恥じない様な女になる為、かなぁ?」

「琢磨さんって誰っしょ?」

「安藤さんが好意を抱いている方です」

「おい何チクってんだよ江郷!!」

「……へぇ、いいじゃんか。応援してるっしょ」

「絶対馬鹿にしてるだろその顔!!」


 逢衣が悪気無く言いふらした発言を莉奈が見逃す筈が無く、口角を吊り上げて顔をほころばせていた。紗仁は赤面しながら肩に回している莉奈の手を振り払った。


「ウチは力以外で喧嘩に勝つ方法を知る為だな!」

「つくづく血の気が多いヤツっしょ」

「布江さんは最近怒らなくなっています」

「まぁな。短気はって言うからな」

ではなくなのでは?」

「だーかーら! 人の揚げ足ばっか取るなっての!」


 向かい側に座っていた黒子は身を乗り出して逢衣の頬を軽く抓って引っ張る。以前の彼女ならば理性を抑える事が出来ずに握り拳辺りが飛んできたであろう。そう考えると目覚ましい進歩とも言える。


「アタシは家族を見返す為、だね」

「家族?」

「アタシん家、昔から続いてる医者家系なんだよね。勉強出来ないアタシは真っ先に切り捨てられて勉強できる方の妹を可愛がるモンだからさ。居心地悪くて殆ど家に帰ってないんだよ」

「ウチか紗仁の家にローテで泊まってるよね」

もそれで好都合なんだろうよ。定期的に小遣い替わりの金をアタシの口座に振り込んでそれで終わりだからね」


 織香は家族と仲が悪いらしい。血縁の筈なのに相容れない関係にまで拗れてしまった彼女。家族とは何だろうか、と逢衣は考えた。

 自身はアンドロイドであり、大助とは社会的には父親に該当するので血縁関係は無い。しかし、彼は琢磨と共に何も知らない自分を此処まで育ててくれた。織香と自分、その違いは何だろうか。


「……何ぼーっとしてんだよ?」

「……申し訳、ありません」


 逢衣が思考回路をフル稼働させていると、隣に座っていた織香が微笑を浮かべながら指で頬を突っついて来た。

 本当の家族に疎まれ、その家族に居場所を取り上げられて、一時期は自暴自棄にもなっていた彼女であったが、今は前向きに生きようとしている。今も尚、妹を失った悲しみから立ち直る事が出来ない麻里奈とは対照的であった。


「そういや江郷、野上に何かされたりしてないよな?」

「何か、ですか?」

「アイツめっちゃ性悪だろ? 何かあったら言えよ。そんときゃ本気でシメてやっから」

「江郷困らせる様な真似しでかしたらマジで許せねーから」


 織香達と麻里奈との間には根深い軋轢あつれきが残っている。確かに彼女達に行った様々な悪事を鑑みれば当然の評価である。しかし本当はとても繊細で、とても傷つきやすい心の持ち主だ。と言っても聞き入れてはくれないだろう。


「……有難うございます。ですが早舩さん達では野上さんに勝てませんので辞めておいた方が賢明だと思います」

「コイツ! アタシら本気で心配してるのにそんな事言いやがって! ポテト食えオラ!」

「全部食え! その減らず口叩けない様にしてやる!」

「茨木! ポテト追加!」

「あーもう辞めなってアンタら!」


 また麻里奈に酷い目に遭わされる可能性を考慮した逢衣が謹んで断った。それが彼女のプライドを傷付ける事になるとは気付かなかった。織香は片手で彼女の首を絞めながら、小さな口にフライドポテトをどんどんと突っ込ませる。それに便乗する形で黒子と紗仁も隙間を埋める様に詰めていく。


 騒がしくなってきた面々を静粛にするように莉奈が奮闘するも、結局店長まで現れて店を追い出されてしまったのであった。

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