30 江郷逢衣は休みである。
七月十九日。月曜日。十四時七分。東京地方裁判所にて五月四日に発生した墨田区スカイツリー前包丁通り魔事件。その初公判が開廷される。被告人の名前は
三十一歳まで某ファストフード店の正社員として働いていたが、アルバイトの大学生と無理矢理関係を結んだ事が発覚し、懲戒処分を食らう。再就職もする事無く一年間ほど実家に引きこもっていた。三十二歳のある日、突然行方をくらまし、更に一年間ほど経ってから今回の凶行に及んだ、とされている。
「被告人、前へ」
叫び声と共に凶器を振るっていた事件の時とは打って変わり、被告人は暗い表情のままずっと俯いたままであった。裁判長から黙秘権の告知を受ける時と被告事件に対する陳述の時に微かに頷くのみで、男は全く喋ろうとしなかった。
そのまま
「――此処に居る皆さん。今の世の中をどう思いますか?」
思いがけない問いかけに、傍聴人達が騒めき始め、検察官も弁護人も怪訝そうな表情を浮かべていた。直ぐに裁判長はガベルを叩いて静めさせた。
「被告人、その質問はどういう意味でしょうか」
「俺はね、世の中に巣食うゴミは
突如として支離滅裂な発言を繰り広げる渋井拓也。またしてもざわつき始めたので再びガベルを叩いて静めさせた。
「……華無鬼町での行方不明事件。実はアレ、やったの俺なんですよ。今までずっと捜査してるのに犯人も被害者も見つからない理由、皆も知りたいでしょう?」
下衆た笑みと共に意味深な事を言ってのける被告人。裁判長では止められない程の大騒ぎとなってしまった。
「静粛に! 静粛に! そして被告人は以後不必要な発言を慎む様に!!」
「私達を、否定する、この国を、地獄の底に叩き落としてや——」
控えていた裁判所事務官が無理矢理退廷させようと近付いた瞬間、男が突然頭を抱えて苦しみ始め、この世のものとは思えない程の苦悶に満ちた表情を浮かべる。法廷内に響き渡る程の断末魔と共に男は大量に血を吐き、絶命した。至る所から悲鳴が飛び交い、裁判所は大混乱を極めたのであった。
※
七月二十日。火曜日。今日は比較的食べられる部類の朝食を摂りながら大助と琢磨はテレビのニュースを眺めていた。
『勤務校で女子生徒複数人に性的暴行を加えたとして東京都立殿羊高等学校の主任男性教諭(41)が書類送検されました。調べによりますと——』
「……この学校ってアイんの所の学校じゃねぇか」
「えぇ!? アイたん大丈夫!?」
「問題ありません」
河原の動かぬ証拠を手に入れた麻里奈が手回ししたらしい。男は学校に来れなくなり、今の所、謹慎処分を下されているらしい。
ボディに損傷を与えられる事はされていないので、逢衣がそう答えると二人は安堵の表情を浮かべていた。
「……琢磨。お前分かってると思うが——」
「天地がひっくり返っても有り得ないって」
「でもお前、アイの同級生と連絡取り合ってるじゃねぇか」
「紗仁ちゃんとはそんなんじゃないって!!」
ゴールデンウィークの事件後、逢衣から連絡先を知った紗仁から通話が良く掛かって来るらしい。最初は救助してくれたお礼を兼ねた付き合いだったらしいが、現在ではお互いに趣味が合う事から頻繁に通話をしたり秋葉原を一緒に練り歩く仲になったらしい。
「安心しろ、その時は俺がキッチリ引導を渡してやるから」
「だからそんなんじゃないってば!!」
いつもの様に大助と琢磨の小競り合いが始まろうとした時、ニュースキャスターは次のニュースの原稿を読み始める。
『続いてのニュースです。通り魔犯人、法廷中に謎の死。昨日、東京地方裁判所で被告人である渋井拓也が裁判中に大量の血を吐き、倒れました。直ぐに搬送されましたが、死亡が確認されました。警察は事件の可能性があるとみて——』
思わず二人がテレビに注目する。五月四日の通り魔事件の犯人で間違いない。その被告人が死んだと告げている。法廷画と共に死亡までの流れを報道しているので大助達は清聴する事に。
「……何か、口封じの為に殺されたみたいだよね」
「……誰が? 何の為に?」
「知らないよ、そんなの。……電話? こんな時間に誰から?」
琢磨がスマホを手に取り、相手を確認すると、血相を変えて通話ボタンを押した。
「もしもし紗仁ちゃん!? もしかしてさっきのニュースを……!? ……うん、うん。大丈夫。大丈夫だから。もし学校に行けそうにないんだったら一日だけでも休んでおいた方が——」
どうやら相手は紗仁の様だ。通り魔に斬られた腕の傷は完治したが、心の傷は癒えていなかったらしい。麻里奈が逢衣に縋り付くのと同じように、紗仁も琢磨に助けを求めて電話をした、という事になる。
「……え?明日から夏休みだから今日絶対行く? ……分かった。じゃあ放課後一緒に何処か気分転換でも行こうか? ……了解。じゃあ電気街口で待ってるよ。じゃあまたお昼に」
通話を終えた琢磨が恐る恐ると大助の方を見やる。目線の先には、冷ややかな目をしている男の姿があった。
「琢磨……見損なったぞ。弱ってる女子高生をホテルに連れて行ってあんな事やこんな事をしようって魂胆だな?」
「いやいやしないからね!? ただ僕は紗仁ちゃん元気づけようと——!!」
大助と琢磨の小競り合いが再び始まる。時刻は七時三十一分。逢衣は鞄を持って一学期の終業式へと向かう。
一学期の間だけでも色々な出来事があった。そしてそれらが逢衣に大きな影響も与えただろう。
「おはよう、江郷さん」
「おはようございます。城戸さん」
電車の中で城戸隆司と出会う。彼がまだ不登校児として出会った時とは見違えるほどに明るい表情を浮かべていた。
「よぉ江郷。夏休みは何するんだ?」
「たまにはウチらとも遊んでくれよな」
「それよりも江郷。琢磨さんの事なんだけども……」
「おはようございます。早舩さん、布江さん、安藤さん」
廊下で駄弁っていた早舩織香、布江黒子、安藤紗仁と出会う。最初は険悪な雰囲気であったが、今では仲良く会話し合える仲となっていた。
「よぉ江郷!!! 明日から夏休みだな!! 俺も気合を入れて剣道の練習するからお前も気が向いたら見学に来てくれ!!」
「おはようございます。日野さん」
教室に入ると、学級副委員長である日野雄太が真っ先に話しかけてきた。いつも通りの馬鹿でかい声量である。
「じゃあね江郷さん。夏休みでも遊ぼうね」
「バイトの合間なら遊べるから気軽にラインして欲しいっしょ」
「ウチも皆とどっか行きたい~!」
「武田さん、茨木さん、飯田さん。さようなら」
閉業式が終わり、帰りのHRも終わった放課後の教室。昼食を共にしている武田沙保里、茨木莉奈、飯田美也子が帰り際に話しかけてくれた。麻里奈との付き添いで付き合っていただけだったが、いつも一緒に居る事が多かった。
「逢衣、一緒に帰ろ」
「分かりました。麻里奈」
そして誰も居なくなった教室。厳密に言えば、学級委員長の仕事を終えた野上麻里奈以外誰も居なかった。逢衣と麻里奈は閑散とした校舎を抜け、いつもの帰り道を歩いていく。
「そういや河原のニュース観た? ざまぁないよね」
「……」
「あたしの逢衣に手を出すからこうなるんだよね」
「……」
一方的に麻里奈が話す。逢衣はただ静聴するのみだった。
「……ホントはアンタが奈津季の代わりになれないって分かってる。……けど、あたしは逢衣が必要なの」
「麻里奈……」
「だから、夏休み中さ、時々でいいから、顔を見せるだけでもいいから、あたしと逢ってくれない、かな?」
「分かりました。麻里奈がそれを望むのであれば私は協力します」
「……ありがと。逢衣はホントに優しいね」
麻里奈は少し涙ぐみながら微笑んだ。丁度駅に着いたので今日はここで別れる事にした。
—―ここから逢衣の夏休みが始まる。そしてそれと同時に暗雲も立ち込め始めるのであった。
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