29 江郷逢衣は罠を張る。
「
「馬鹿、声がデカい!」
放課後、麻里奈は逢衣達と共に学校近くの珈琲店に集まり、ドリンク片手に結集させた理由を教えた。それはやりたい放題の限りを尽くす河原を完膚なきまでに叩き潰す事であった。
衝撃のあまり沙保里は店内にも関わらず大声を上げてしまい、一瞬だけ注目を浴びる事となった。
「――で、どうして急に?」
「アンタら知っての通り、逢衣は河原にセクハラされている。ちょっと腹に据え兼ねると思ったまでよ」
「……って事は麻里奈ちゃん!」
「あたしも一枚噛ませて貰おうじゃない」
注文したアイスコーヒーを一気に飲み干し、麻里奈は不敵な笑みを浮かべた。頼もしい、とばかりに沙保里達の顔も綻んでいた。
「……でも結局どうするって話になるっしょ?」
「アンタらは河原にマークされてて大きく動けない。だから基本はあたしと逢衣でやるしかないね」
「じゃあ私達は?」
沙保里の質問に対し、麻里奈は何も言わずにバッグの中からUSBメモリを取り出し、それを机に置く。
「これでアイツのPCにあるデータを抜き取って欲しい」
「ええ~!? 危険過ぎるよ~!?」
「PCのデータって……パスワードとかどうすんの!?」
「それに誰かしら職員室は居るっしょ!」
「アンタら、目の前に誰が居ると思ってるの?」
一斉に放たれた言葉のシャワーを黙らせるべく、麻里奈は更にメモを取り出して机に広げた。其処には河原の曜日と時間で割り振っている行動パターン、PCのパスワード、推測されている被害女子の名前等がびっしりと書かれていた。
「ざっとこんなモンね。他に何か欲しい情報とかある?」
「これはもうストーカーの域っしょ……。流石に引くわ……」
「失礼ね。彼を知り、己を知れば百戦危うからずって言うでしょ。……それに」
「……それに?」
「逢衣に手を出すって事はあたしに喧嘩を売ってるのと同じって事。それ位徹底的にボッコボコにしてやりたいの。分かってくれる?」
「やっぱり麻里奈ちゃんは逢衣ちゃんのママだよ~……」
思わず失言する美也子に腹を立てた麻里奈は彼女が注文したクリームドーナツの最後の一口を横取りする。ああ~! と嘆く美也子を尻目に麻里奈はただ静観しているだけの逢衣を引き寄せた。
「なぁ~に私は関係無いですみたいな顔してんの」
「そのような顔になっていましたか?」
「ほんっと自分の事になると抜けてるんだから……。河原の言いなりは嫌でしょ? アンタもきっちり働いてもらうからね」
「分かりました」
上の空だった逢衣も無理矢理参加させ、麻里奈は作戦の仔細を伝えるのであった。逢衣は無表情のまま承諾するのみであった。
※
七月十六日。十七時五十八分。金曜日の完全下校時間に作戦が決行される。沙保里達は職員室近くで待機。逢衣と麻里奈は河原が出てくるのを待つのみ。
「! 来た! 逢衣! 手筈通りに行って!」
「分かりました」
金曜日は学年主任である河原が一人残って夜な夜な何かをやっているらしい。麻里奈の調査通りだった。職員室から出て戸の鍵を閉めようとしたので逢衣は指示通りに肉薄を開始した。
「先生」
「うわっ!? あ、逢衣!? びっくりしたじゃないか!! ……っていうかお前まだ学校に居たのか!? 先生、見なかった事にしてやるから今日は早く帰りなさい!!」
後ろから声を掛けてみると河原は酷く驚いた様子であった。普段ならばこのような歴とした校則違反に
「……先生に相談したい事があります」
猛暑日だとしても台襟ボタンまでキッチリ留めている筈の逢衣の制服は第二ボタンまで外されており、少し屈めば中のインナーが見えそうになる程に、
「……何だ? 話しにくい相談なんだな? よしよし、先生聞いてやるからちょっと空いてる教室で聞こうか」
まんまと麻里奈達が仕掛けた罠に引っ掛かり、河原は逢衣の手を握って廊下を渡っていく。
「……それで、相談ってのは何だ?」
逃がさないとばかりに河原が空き教室に鍵を閉めて問い詰めて来た。逢衣は何も言わずにただじっと目を合わせるのみである。
「……どうした? 今更恥ずかしがってどうする? こんな時間にこんな恰好で俺の所へ来て。もう答えを出してる様なモンじゃないか」
「……先生。私以外にもこんな事をしているというのは本当ですか?」
一瞬だけ男は面食らった様な表情を浮かべていたが、直ぐに下衆た笑みに戻す。
「あぁ何だそんな事か? 俺が他の女子にも目移りするんじゃないかって? 安心しろ。確かに俺はヤれそうな奴は一通りヤった。表に出したら人生終わる様な写真をチラつかせてな」
「……分かりました」
「それより逢衣。お前の事をもっと教えてくれよ」
河原は逢衣の両肩を掴み、そのまま地面に組み伏した。どんどんと呼吸が荒くなっている男に対して、逢衣は澄ました表情のまま見つめていた。
「本当に綺麗な顔してるなぁ? ……俺はな、十八から下の女に興味無いから高校教師って仕事やってんだよ」
逢衣を見下ろしながら河原は突然語り始める。
「いざ教師になったはいいが、どいつもこいつもスカして生意気な奴等で殆ど男が居るビッチばっかじゃねぇか。……だから俺は待ってたんだよ、こんなにも男っ気の無い純粋な女子って奴を。神様ってのは居るもんだなって感動したもんだよ」
ただじっと逢衣は見つめていた。麻里奈の合図はまだ来ない。まだ危険には及んでいないので彼女は待機する事にした。
「……いい事を思いついた。お前の写真を使って野上達もヤってみるってのもいいモンかもなな」
「……野上さん達を、ですか?」
「ああそうだ。アイツら俺と逢衣の邪魔ばっかしてくるからなぁ。お仕置きも兼ねて大人しくしてやらんと——」
「……それだけは、辞めて下さい」
「何だぁ~? 聞こえんなぁ——」
河原の言葉を遮る様に警報が鳴り響く。それと同時に逢衣のモーターが急速運転を開始する。大助が制御装置の調整を施して、彼女の判断だけで解除する事が出来る様になった。とはいっても出力は抑えられているので、人間一人制圧するのは難しいであろう。
「何だ!? おわっ!?」
河原を突き飛ばし、逢衣は立ち上がる。男の方は何が起きたのか分かっていない様子であった。
「逢衣! 早く!」
こっそりマスターキーを手配していた麻里奈が施錠を解いて逢衣を呼び込む。直ぐに教室を出て麻里奈と共に廊下を走っていく。この警報の正体は麻里奈が近くの非常ボタンを押して鳴らしたものである。
「その声、野上だなぁぁぁ!? お前だけは絶対許さんからなぁぁぁ!」
「江郷さんに麻里奈、大丈夫!?」
「問題ありません」
「いいから……!早く……! 逃げるよ……!」
息も絶え絶えな麻里奈が一息つけると、再び走り出していく。完全に振り切る為に、最寄り駅のロータリーに停まっているタクシーに乗って麻里奈の家まで走らせた。母親が夜勤の日らしく、家には誰も居ないらしい。
「これ、ファイルごとコピーしてきたっしょ」
莉奈から差し出されたUSBメモリをノートパソコンに差し込んだ。そして麻里奈は臆する事無くファイルのアイコンをダブルクリックした。
「うわっ……! これ……何……!?」
「あのクソカッパ、マジモンのクズっしょ!」
其処には見るも無残な程に虐げられている女子が被写体にされているデータが数百にも及んでいた。これを見てしまった沙保里と莉奈は凄まじい程に憤慨し、美也子は吐き気を両手で口を塞いで
「……河原は黒って事で問題無いね。じゃあ、お仕置きの時間といこうじゃない」
悪い笑みを浮かべていた麻里奈は、ポケットに持っていた機械を全員に見せつけたのであった。
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