28 江郷逢衣は寄り添われる。

 大助と琢磨の開発によって、人知れず武器が搭載される事となった逢衣。ただそれはおいそれと手に持てる様なモノではなく、権限者マスターが本当に危険な場合だと判断した時のみ取り出す事が出来る。それだけ大助は逢衣にナイフを持たせる事を良しとしなかったのである。


 逢衣の身体に関する変化はたったそれだけであり、逆に彼女の周囲に関する変化は著しいものがあった。


「おはよっ! 逢衣!」

「おはようございます、野上さん」


 あの日以降、麻里奈はいつもの様に明るさを取り戻しつつあり、多少のぎこちなさはあったもののクラスメイトとの関係は徐々に修復されつつあった。一部の生徒からは袂を分かったままであったが、彼女は何の支障も無く学校生活を送っていた。


「にしてもあっついわねぇ、本当にクーラー効いてんの?」


 昼休み。逢衣と麻里奈はいつものメンバーと昼食を取っていた。冷房は掛かっているが、今年の殺人的な猛暑を誤魔化せるほどの冷気を出しておらず、依然として教室内は熱気に包まれていた。


「沙保里、それは淑やかなレディーのやる事じゃないっしょ」

「うるさいわねぇ、暑過ぎて中が蒸れるのよ」


 ブレザーを第二ボタンまで外し、中のキャミソールを引っ張って直接胸部に風を送っている沙保里。男を魅了する淑女とやらを目指しているとは思えない行為に莉奈は冷ややかな指摘を入れていた。


「今年はホントに暑いよね~、ウチも最近夏バテ気味でご飯もあんまり食べれてなくて~……」

「充分食べてるでしょうが!」


 夏バテだと自称していたが、いつもの様に美也子は持ってきた三段の重箱を全部平らげ、その上持参してきたアイスクリームを食べている始末である。恐らくは不調とかではなさそうである。


「ていうか何で江郷さんは汗一つ掻いてないの? 暑いでしょ?」

です」

「わ!? ホントだ熱い~!」


  彼女の額に手を当てた美也子が驚いていた。バッテリーで稼働している逢衣のフレーム内には冷却装置が備わっており、常備機能してはいるが限度というものがある。異常気象と言っても過言ではない今夏の気温の前には気休め程度にしか冷えていないのである。


「熱中症になってからじゃ遅いのよ! ほら水分補給!」

「私に水分補給は必要ありま——」

「口答えしなくていいからさっさと飲む!」


 麻里奈が持ってきた水筒を強引に持たされる。返そうとしても彼女は頑として見逃してくれないだろう。

 内部に入ると洗浄が面倒、と以前に大助が苦言を呈していたので、最低限の量しか入らない様に注意しつつ逢衣は中に入っている冷たいお茶を口内に注ぎ込んだ。


「麻里奈、江郷さんのお母さんみたいっしょ」

「はぁ!? 変な冗談やめてよね!」

「麻里奈ちゃんがママかぁ~、過保護になりそうだね~」

「つまり一歩間違えれば毒親になるって事ね」

「失礼な事言わないでくれる!? 逢衣! 黙ってないでアンタも何か言ってやりなさい!」

「私は、お母さんは野上さんが適任だと思っています」

「な、何言ってんの!? 馬鹿なのアンタ!?」


 何気なく放った逢衣の一言に、沙保里達は囃し立て始めた。呆気に取られていた麻里奈は赤面しつつ悪態を吐いていたのであった。



「逢衣、ちょっとゴミ出し手伝ってくれる?」

「すみません、教室の掃除がまだ終わっていません——」

「いいって別に。アタシ達がやっとくからさ」


 午後の授業が全て終わり、掃除時間となった。逢衣が教室内の埃を箒で掃いていると、外に出ていた麻里奈が呼んで来た。丁重に断ろうとすると、同じく掃除していた織香達が彼女の持っていた箒を奪い取り、優しく背中を押して教室から追い出した。


「ありがと。……掃除して疲れたでしょ? ちょっとそこで休憩しない?」


 二人で大きなゴミ袋を一個ずつ持っていき、部室近くのバックヤードへと投棄していく。用件が済んだので教室へ戻ろうとすると、麻里奈が手を掴んで引き留めたのであった。


「私が疲れる事はありませ——」

「いいからこっち来なさい」


 彼女の言い分など聞く耳持たず、麻里奈は強引に逢衣の手を引き、滅多に人が来ない部室裏まで連れていかれた。


「……ごめん。、してもいいかな?」


 逢衣は快諾し、ゆっくりとコンクリートの床に座る。麻里奈も隣に座ると、彼女の胸に頭を埋める様に倒れ込んだ。

 麻里奈のお願い。それは逢衣の身体を借りる事であった。表向きは気丈にこそ振舞っているが、まだ奈津季を失った傷は癒えていない様である。だから彼女の本音を知っている逢衣にだけ弱味をさらけ出し、甘える事で精神を安定させようとしているのだ。


「やっぱりあたしって駄目な子……。逢衣が居ないと頑張れない……。ごめん、ごめんね……」

「野上さん……」

「二人の時は麻里奈でしょ」

「……麻里奈はそれでも頑張ろうとしています。だから謝る必要はありません」

「うん……ありがと……」


 著しい変化はこれである。麻里奈は逢衣に依存している。友達という訳でも、恋人という訳でもない、さながら寄生という言葉が適しているであろう。そんないびつな関係でしかない。それでも逢衣は拒む事はしない。麻里奈を助けるという使命があるからだ。


「おいそこ! 何をサボっている!」


 陶酔していた麻里奈は瞬時に覚醒し、何事も無かったかのように誤魔化す。掃除をサボっていた二人を見つけたのは校舎外を見回っていた河原教諭であった。


「すみません、貧血気味だったので日陰で休んでました」

「……まぁいい、次からは気を付けろよ。江郷、お前はちょっと来い」


 日頃の行いが良いからなのか、苦しい言い訳をする麻里奈を何のお咎め無しで済ませた。しかし、延々と標的にしていた逢衣だけは見逃すつもりは無いらしい。邪魔な麻里奈を追い払うと、彼女の細い腕を掴んで更に奥へと連れて行った。


「お前も貧血か?」

「いえ、心配には及びません」

「今年は暑いからなぁ、熱中症とかには気を付けろよ。どれ、心拍数を診てやろう」


 河原は両手を逢衣の背中に回し、耳を直接胸に当てて心音を聞こうとしていた。無論、彼女に心臓なんてものは無いから鼓動なんてものは存在しないが、彼にとってはどっちでもいい事らしい。


「……江郷。いや、。お前だけだ、こんな事をしても嫌な顔をしない女子ってのは。今までのクソ女共はどいつもこいつも不愉快そうな顔しやがってだな……。ひょっとしなくてもお前は俺の事好きなんだろ? 恥ずかしがらなくったっていいんだぞ?」

「申し訳ありません。好意があるかどうかはよく分かりません」

「あーそうだよなそうだよな皆まで言うな。まだ教師と生徒の関係だもんな。……けどやっぱり自分の気持ちを誤魔化すってのはしんどい事だろ? だからさ、本当の事を言うぞ。俺はお前の事が好きだ。お前も俺の事好きだよな?」


 男は一方的に言いたい事を言い終えると、逃がさないとばかりに逢衣の両手首を掴んで壁に押し付ける。抑えつける力は強く、リミッターを解除しなければ到底拘束を解く事が出来ない。


「大体なぁ、お前が悪いんだよ。お前が思わせぶりな顔してくるから——」


 汗ばんでいる河原の顔が迫ってくる。そして乾燥してヒビ割れている唇を突き出し、逢衣の口に当てようとした瞬間、敷地内に校内放送用のチャイムが鳴り響いた。


『河原先生、河原先生、至急職員室までお戻りください』


 思わぬタイミングで邪魔が入り、露骨に顔をしかめて舌打ちをする河原。興醒めとばかりに両腕の力を緩め、逢衣を解放した。


「誰にも言うなよ。先生と逢衣との約束だぞ」


 そう言って河原は不機嫌そうに立ち去ってしまった。腕時計の時刻は十六時四十二分。そろそろ掃除の時間が終わりそうだったので教室へ帰ろうとした時、何故か麻里奈が近くに立っていた。


「……野上さん?」

「……逢衣、教室に戻るよ」


 麻里奈は逢衣の手を引く。その力は河原のものより強く、簡単に振り解けそうになかった。


「……逢衣はあたしが守るから」


 後ろから彼女の顔を覗き込む事は出来なかったが、声は憎悪に満ちていた。逢衣は何も言わずに麻里奈に手を引かれるままであった。

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