26 江郷大助は帰っていく。
国際電気電子工学特別研究センターを後にし、大助は駅に戻ると一旦東京方面へと戻っていく。東京駅まで戻ると、今度は東北行きの新幹線に乗り継ぎ、北へと向かっていく。
約二時間程の新幹線の旅が終わり、大助と雄一郎、そしてアイツの故郷である山形県に到着した。駅ビルにある花屋でピンクのカーネーションの花束を買い、ロータリーに停まっているタクシーを走らせる事
花束を抱えた大助は入り口前で大きく深呼吸をする。有り得ない事だと頭の中では決め付けているが、
部屋番号五〇三。入口には“入間愛依”と書かれた表札がある。此処でも大助は大きく深呼吸した。意を決し、ドアを二回叩く。予想通り、返事は無い。
「入るぞ、愛依」
ゆっくりとスライドさせ、大助は断りを入れながら入室する。それでも返事は返ってこなかったので、男はほんの僅かに期待していた分、それだけ虚しさを感じた。
「今日は先生に会ってきてな、相変わらず研究の虫だったぜ。娘をほっぽり出してアンドロイドに夢中になってるんだからどうしようもねぇよな、あのダメオヤジは」
パーテーションを
「――俺も今日までお前の事を後回しにしてたっけ。悪い悪い。どの口が言ってんだってハナシだよな?」
冷水で満たされた花瓶にカーネーションを挿してラックに戻す。そして備え付けられているベンチに座った。
「……にしてもお前今年でもう二十八だろ? もうオバサン手前じゃねぇか。いい加減起きないと嫁の貰い手が無くなるぜ?」
大助は只管ベッドに眠っている女性に対して一方的に話し掛けてみるも彼女が起きる気配は微塵も無かった。
彼女の名は
左腕には点滴を入れられ、鼻には呼吸器を突っ込まれ、隣には微弱ながらも一定の心拍数と心電図を表示している機材が設置されている。これは十三年前に遭った事故からずっとこの状態であり、変わった所を挙げるのならば、昔はふっくらしていた頬が今ではげっそりと痩せこけ、
「……じゃあ、またな。近いうちに先生連れてくるからその間に起きとけよ」
此処に長居は無用。
※
『大助!! 危ない!!』
いつもの様に大助が横断歩道を渡っていた。すると、愛依が大声と共に突き飛ばしてきた。熱したアスファルトに手を突き、振り返ろうとした時には鈍く大きな音が鼓膜を貫いた。
『愛依……?』
目の前に映っていたのは、バンパーが大きく
—―大助……寂しいよ……。私を一人にするの……?
『……ごめん』
—―何で私がこんな目に遭わなきゃいけないの……? 私の代わりに大助が車に撥ねられてたら良かったんだ。
『……許してくれ』
—―その罪悪感から逃げる為に私の代わりを作ったんだ。
『……それは違う。確かにお前をモデルにしてアイを作った。だけどお前はお前でアイはアイだ』
――これでも?
突如大助の目の前に、血塗れのまま虚ろな目を浮かべている愛依の顔が浮かび上がってきた。それはまるで、逢衣が死んでしまったと錯覚してしまう程だった。
「!!!?」
悲鳴と共に大助が跳ね起きた。目の前には何の変哲も無いホテルの一室が映っていた。左には一条の光すら無い真夜中の空、右には大量の酒類が見えた。
「……愛依の奴、嫌な夢見ちまったじゃねぇか」
時刻は午前二時二十六分。記憶が正しければベッドに潜ったのが午後十一時半頃。悪夢で
二日酔いで痛む頭を抱え、大助はシャワーを浴びて汗と眠気と邪気を洗い流そうとしたのであった。
あれから一睡も出来ずにそのまま朝を迎える事となった。大助はホテルが持て成す高級ビュッフェの朝食を摂っているのだが、どれもあまり味を感じなかった。
ゆっくり寛ぐ事もせず身支度を済ませるとそのままチェックアウトし、ホテルを後にする。時刻は午前九時四十三分。帰るにはまだ少し時間が早いので、大助はとある場所へと行こうとした。
山形市内から少し外れた町。其処にある墓地に赴き、大助は柄杓と桶と花束を持って、とある墓石まで歩いていく。
「きったねぇな」
江郷家之墓と刻まれたそれは、長い間参られてなかったからか、埃や垢といったもので薄汚れていた。此処に大助の両親が眠っているらしいのだが、彼が物心つく前に亡くなったらしいので悲しいと言った感情は湧かなかった。
両親が急逝した後、天涯孤独の身となった大助は雄一郎の養子となり、入間大助として育てられた。そして高校卒業後に養子縁組を解消して江郷姓に戻ったという訳である。
「……まぁ、今度は気が向いたら来るよ」
申し訳程度に墓石の掃除をし、花と線香を供えた。顔も知らない両親だとしても縋りたい位には精神的に参っているのだろうと感じた大助は、出来る限り来ない様にしようと誓ったのであった。
※
生まれ故郷にてやりたい事を全部済ました大助は新幹線に乗り、東京へと戻った。昼過ぎでも都心部は芋を洗う様に人々が忙しなさそうに行き交っている。この光景こそが帰ってこれたと実感出来る位には山形にはいい思い出が無い。
東京駅から少しばかり電車に約二十分、其処から徒歩で凡そ十分程。いつものテナントビルに到着した。時刻は十五時二十二分。土曜日なので何処かへ出掛けていない限り二人は居るだろう。
大助はエレベーターに乗り、ボタンをとある順番に押していき、地下へと下降する。扉が開くと、いつもの無数の管と線が壁や天井を這いずり廻り、僅かな照明しか設置されていないフロアであった。最奥部に進むと、いつもの様にノートパソコンで事務作業に勤しむ親友と、いつもの様に家事に勤しむ娘の姿があった。
「おかえり大ちゃん! 早かったね!」
大助の姿を見るなり琢磨は嬉しそうに立ち上がって出迎えてくれた。よくよく考えてみれば、大学時代からの付き合いだというのに此処まで一緒にやって来れたものだと改めて感じた。
「おかえりなさい、マスター」
琢磨に追従する形で迎えに来た者が一人。それは大助が創り上げたたった一機、否、たった一人の愛娘。中学時代の愛依にかなり似ているが、それはきっと他人の空似だろう。相も変わらず無表情であったが、逢衣は何処となく嬉しそうにしていた。
「……ただいま! お前ら、俺が居なくて寂しかったろ?」
—―今の俺には大切な家族が居る。その大切な家族を守るのが今の俺の責務だ。
家に戻り、二人に出会った瞬間、大助に憑りついていた何かは忽ち消え去ったのであった。
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