23 江郷逢衣は抱擁する。
「ほら、サケニギリマンじゃないけど何か変なヤツのシール」
時刻は十五時四十分頃。カレーを作り終えた麻里奈は逢衣におまけのシールを渡した。主役のサケニギリマンではなく、赤く丸い頭をした奇妙なキャラクターのシールであった。
「……変なヤツではありません。ホシノウメ子です」
「知らないんだけどそんなの」
幼かった頃にサケニギリマンを観ていた記憶があるが、当時からどうも興味をそそられるものではないと感じていつの間にか観なくなってしまった。
奈津季も三歳位までは食い入るように観ていたが一緒に観る事は無かったので、訂正されても知らないものは知らないのである。
「ホシノウメ子はいつも無茶ばかりしてボロボロになるサケニギリマンに対していつも口を酸っぱくしながら注意をしつつも助けてくれる、サケニギリマンの頼れるパートナーです」
「梅干しだから? しょうもないなぁ」
「野上さんに似ています」
「……アンタもしかして喧嘩売ってる?」
何でこんな梅干しを象ったキャラクターに似せられなきゃならないんだか。いつもの無表情ではあるが、何故怒ってるのかと言いたそうである。悪気無く言っているのだから猶更
「……まぁいいや。さっさと受け取りなさい」
「有難うございます。……安藤さんから聞いたのですが、今のは
「全っ然違う!! 次言ったら殴るよ!!」
何がツンデレだ。コイツにデレとか必要無いから。虫唾が走る。つくづく人の神経を苛立たせるヤツだなコイツは。
「はぁ、もういい。……で、アンタはっていうか、アンタ達は日野からあたしの何を聞かされたの?」
下らない漫才をやっていたら日が暮れてしまう。そう判断した麻里奈は単刀直入に訊ねた。
「奈津季さんはクラスメイトからいじめに遭い、自殺してしまいました。それで野上さんは報復を――」
「…………奈津季はアンタみたいに
昔の思い出したくない事を思い出す。その度に気分が沈む。麻里奈は声がどんどんと
「いじめられてた子を助けようとした。そしたら標的が奈津季に変わって、元々虐められてた子も加担するようになって……あの子は追い詰められて――」
お姉ちゃん、大好きだよ――。
奈津季の最期の言葉がそれであった。その直後に学校の屋上から飛び降りて命を絶った。苦しかっただろう、辛かっただろう。愛していた妹が受けた痛みを想像するだけでも麻里奈は涙を流していた。そして力弱い声から徐々に怒気混じりの声となっていく。
「アンタに分かる……!? まだ小学生だったあの子は……! あたしにもママにもパパにも助けてとも言えずに自殺した……! 奈津季の辛さを!」
「……野上さん」
父は単身赴任で殆ど家に居らず、母は三交代制のシフトで多忙の日々。姉は両親の代わりに家事大半を手伝い、妹の世話もしていた。奈津季はその家族に余計な遠慮をしていた。それが猶更無念であった。
「学校はいじめを無かった事にして……! 自殺まで追い込ませたアイツ等は……! 何食わぬ顔でいつも通りの生活を送っていると知った時のあたし達の怒りを!!」
自殺によりいじめが発覚した学校は事実を隠蔽し、加害者は被害を雲隠れをして、新天地で普通の日常を送っていた。
一方で野上家の日常は大きく狂ってしまった。最初こそ奈津季の急逝により悲しみに明け暮れていたが、次第に両親は奈津季の自殺の責任を押し付け合い始め、最終的に離婚してしまった。奈津季だけじゃなく、奈津季以外も同じく不幸にしているのである。
「あたしは許せない……!! 許すもんか……!! 復讐なんて虚しいだけなんて綺麗事、自分の大事な人を殺された時でも言い通せる!?」
報復する為に学業も更に精が出る様になり、血が滲む様な武道の鍛錬も乗り越えられた。そしていざ実行に移して果たせた時は、本当に虚しいだけであり、喪失感は消えなかった。
「野上さん」
「きっと奈津季は思ってる筈……!! これ以上犠牲を増やさないでと……!! だからあたしが悪って存在を潰す!! そして奈津季みたいな子を二度と出さない為にも!!」
「……野上さ——さい」
「それに存在そのものがイライラするんだよ!! 奈津季もそう思ってるに違いない!! アンタなら分かるでしょう!?」
「野上さん、もう、辞めて下さい」
逢衣は静かに、はっきりと口にし、暴論を止めた。途端に勢いは止まり、麻里奈は力無く笑った。
「……分かってくれるワケ、ないか。そうだよね。今まで……ごめんね。あたしだって変なコト言ってたなって思ってたし――」
逢衣は何も言わずに麻里奈を抱き寄せた。引き離そうとしたが、逢衣の腕から逃げられなかった。
「何のつもりよ……!?」
「……こうすれば、人間は安心するって教わりました」
「辞めてよ、こんなの……!」
「……私には悲しみや怒りというものは分かりません。けれど野上さんの悲しい顔を見るのは嫌です」
確かに嫌なものは嫌と言えとは言った。しかし、こんな使い方をするとは思わなかった。意趣返しではないのは分かっているが、悪意が一切見えない逢衣にまたしても大好きだった奈津季の面影が重なってしまった。
「アンタのそういう所がほんっとに嫌い……!!」
麻里奈は逢衣の身体に頭を
「アンタが鈍臭くなかったらあの子の事を思い出さずに済んだのに!!」
――もし奈津季が生きていたら。ふとした時、そんなタラレバを思い返してしまう。
「アンタがあの子に似てなかったらこんなに辛い記憶を思い出さずに済んだのに!!」
——奈津季の事を思い出してしまうと、辛過ぎて何も出来なくなる。生きる希望を失ってしまう。だからずっと見なかった事にしていた。
「何でアンタは……奈津季も守れなかったあたしにも優しいの……!!」
一番大切な妹を守れなかった。ずっと後悔していた。生きる権利なんて無いし優しくされる事なんて決してあってはならないと思っていた。なのに逢衣は優しく受け止めてくれた。麻里奈は力無く膝を着き、
「……野上さん。逝去した人の思考は解読出来ません。……ですが野上さんがずっと悲しんでいるのは奈津季さんも望んでいないと推測出来ます」
「……何が言いたいの」
「今までやってきた事、皆さんに謝りましょう」
「……無理だよそんなの。今更どの面下げて学校に行けるワケないでしょ。あたしは居ない方が喜ばれるだろうし」
逢衣は麻里奈の両手を覆う様に手を握り、澄んだ瞳で此方の虚ろな眼を覗き込んできた。
「野上さんが居ない学校、私は嫌です」
「……行くって保証はないよ」
「ずっと待ってます」
「一生でも?」
「一生でも、です」
「……馬鹿じゃないの」
何処までも愚直な逢衣に麻里奈は鼻で笑った。時刻はいつの間にか十六時を過ぎていた。じっと見つめ合ってると、逢衣のスマホに着信音が鳴った。
『アイ!? 今何処に居るんだ!!』
通話ボタンを押すなり、此方からでも聞こえる程の怒声がスマホのスピーカーから響いてきた。察するに逢衣の父親だろう。
「……野上さんの家です」
『誰だよ野上さんって!? それより早退したって学校から連絡来てたぞ!! 何で勝手に早退なんかしてんだ!!』
「……分からないです」
『分からない!? 何考えてんだお前!?』
「……申し訳、ありません」
『とにかく無事なら早く帰ってこい!! 絶対寄り道なんかすんなよ!! いいな!?』
「……了解です。マスター」
「野上さん、私は帰ります」
「……何か、その、ゴメン」
人間味の薄い逢衣にも家庭があり、形はどうあれ家族に心配されている事を思い知った麻里奈は今更ながら無理矢理早退に付き合わせた事に後ろめたさを感じたのであった。
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