22 江郷逢衣は訪問する。

 早退した麻里奈と逢衣は昼間の閑散とした歩道を歩いていく。制服を着用している高校生が学校に行かずに練り歩いているものだから、物珍しそうに通行人が見てくる。


「あーあー鬱陶しいなぁどいつもこいつも。別に早退したっていいでしょうに。アンタもそう思わない――?」


 溜息交じりに麻里奈が逢衣に同意を求めようとした。返事が無いのでふと横を見やると隣に居る筈の逢衣の姿が居なかった。後ろを振り返って見ると、見窄みすぼらしい浮浪者に呼び止められていた。乞食は上手く言葉が喋れないようで、手に持っていたメモ用紙を指差して意思表明をしていた。


「……? 『私は身体が不自由でお金に困っています。少しでもいいのでお金を下さい』……。何円渡せばいいのですか?」


 書き殴った様な日本語を読み終え、逢衣がポケットに手を入れて財布を出そうとしていた。麻里奈は直ぐに逢衣の手を抑えると、乞食に向かって満面の笑みを浮かべた。


「Hasta la vista!」


 何処かの言葉で『さっさと失せろ』とか『また来世でな』といった意味を持つフレーズと共にあっかんべーをしてそのまま逢衣の手を引いていった。


「……アンタ馬鹿!? あんなのにお金渡さなくていいから!」

「ですがあの人、お金に困ってるって――」

「困ってるからって何でもかんでも助けたらアンタの身が持たないでしょうが!」


 それでも逢衣は腑に落ちない様子であった。自己犠牲なんてものは一番の馬鹿がやる事だと何故分からないのかが逆に理解出来なくて、溜息しか出てこなかった。


「……嫌なら嫌って言えるようになりなさい。自分自身が助かってこその人助けなんだから」

「嫌なら嫌?」

「ほらアンタ、頭から弁当ぶち撒けられたり河原にセクハラされたりしてるのに、その顔で無反応だから。そういうのは普通嫌がったりするものよ?」


 助けを求める事が出来なくて何が出来るのか。そう、あの子は鈍臭どんくさいクセに平気そうな顔をして誤魔化して、一人で勝手に傷付いて一人で勝手に追い込まれて、あたし達を置き去りにしていってしまった。


「嫌、というのは何でしょう?」

「……は? 何? 哲学? そんなの知らないんだけど」


 本当に言っている意味が分からない。理解出来ない。何で嫌って意味を聞いて来たの? あんな事されても嫌じゃないって事? それなら正気か神経かのどちらかを疑うんだけど。


「とにかく!! さっきのアンタがやってた事は全然優しさなんかじゃないって事を覚えておく事!! 以上!!」


 逢衣の禅問答に対して面倒に感じた麻里奈が話を無理矢理切り上げると、丁度目的地のスーパーマーケットに辿り着いた。


「アンタ今日の夕飯何か食べたいものある? あたし作るから」

「私は必要ありません」

「遠慮なんかしないでさっさと言いなさい」

「……本当に必要ありません。お気持ちだけでも受け取っておきます」

「あぁそう……、ホント可愛げのないヤツ……」


 軽く舌打ちをしながら逢衣にカートを押させて麻里奈は材料を探していく。今日は茄子とじゃが芋が安いので、それらを使って夏野菜カレーでも作ろうと決めた。


「野菜と豚バラ肉は入れたし、足りなくなってるものも入れたし、後はカレールゥだけ……。これ美味しそうなんだけどママは辛いの苦手だし……」


 麻里奈は様々なカレールゥを手に取りながらどれにしようか迷っていた。ふと横を見やると逢衣が陳列棚に並べられている何かに釘付けになっていた。


「……欲しいの? ソレ」

「……いえ。見ているだけ、です」


 彼女が見ていたものはパッケージにサケニギリマンが描かれていた、離乳食が済んだ子供が食べる粉末状のレトルトカレーであった。見ているだけ、と言っていたが逢衣は無表情ながらも物欲しげな様子でいた。


「……はぁ、仕方ないな」


 無理矢理早退させたせめてもの詫びとして麻里奈は一つ買い物カゴに入れた。逢衣の表情は変わっていないものの驚いている様に見えた。


「辛さ調整に使おうと思っただけ。おまけのシールは要らないからアンタにあげる」


 そう言い捨て、麻里奈は目星をつけていたルゥも入れて、そのままレジコーナーへと連れて会計を済ませた。後は買った物を詰めるだけなのだが、じーっと見ているだけの逢衣が何となく腹立たしく思い、手伝わせる事にした。


「ぼーっと見てないでバッグに入れる! ……ちーがーう! 重いものを先に入れなきゃ軽いものが潰れちゃうでしょうが!」


 期待通りと言っていいのか、逢衣がカゴの一番上に積み直されていた豚バラ肉を一番先に手に取ってエコバッグに入れようとしたので叱りつけた。

 十五、六年間も生きておきながら袋詰めすらマトモに出来ない逢衣に改めて呆れ果てる麻里奈。シャワールームでの一件といい、完全無欠な人間かと思いきや駄目駄目な部分が散見していて、生前の奈津季の面影が彼女と重なってしまった。


「……全然違うから!!」

「……? 何か、間違えてましたか?」

「いやそうじゃなくて……! あぁもう! 早く行くよ!」


 思わず声が出てしまっていた。心此処に有らずとはこの事を言うのだろうか。気恥ずかしくなった麻里奈は詰め込まれたエコバッグを受け取ってスーパーを後にしたのだった。


 ※


 時刻は十四時半頃。スーパーから約十分程歩いた所に一戸建ての住居がある。鍵を開けると、玄関に仕事用の鞄を持って靴を履こうとしている母の姿があった。


「ママ……じゃなかった、お母さん仕事に行くには早過ぎじゃない?」

「今日来れなくなった人が出たから早く出なきゃいけないの」


 麻里奈の母は都内の病院の看護師であり、三交代制の過酷なシフトで働いている。自分が同じ立場だったら一日イライラしっぱなしだと思うし、休んだ奴を一生恨むと思う。おくびにも出さないし、文句一つも言わない母は本当に凄いと麻里奈は感心していた。


「あら? 麻里奈、その子はどうしたの?」

「あ、えっと、クラスメイト。家まで送ってくれたの」

「江郷逢衣です。宜しくお願いします」


 まぁ、と麻里奈の母は少しばかり仰々しく驚き、逢衣に深々と一礼した。


「江郷さん、麻里奈の事宜しくね? 麻里奈って捻くれてて友達一人も居ない子だから……」

「お母さんあたしだって友達位居るよ!」

「学校で一緒に話す位じゃ友達とは呼べないわよ。……じゃあ麻里奈、お母さん行ってくるから江郷さんに粗相の無いようにしなさいよ?」


 母は改めて家を出ていく。予定とは大きく狂ってしまったがむしろ好都合だった。家には誰も居ない。つまり邪魔者も居ないという事だ。


「アンタ、料理出来る? ……いや、出来ないよね。大丈夫、ハナから期待してないから」

「出来ます」

「見栄張らなくていいから」

「見栄ではありません。出来ます。レシピが必要ですが」


 それは出来るとは言わないから。戦力外だと判断した麻里奈が逢衣を大人しくダイニングで待機させようとしたが、梃子てこでも動かなさそうだったので仕方なく料理を手伝わせる事にした。


「カレーくらいは流石に作れるでしょ?」

「作るのは初めてです」

「……やっぱ座ってて」

「いえ、手伝います」


 不安要素でしかなかった。そしてその不安は見事に的中するのであった。


「ああもう遅い! 野菜切るのに何でそんなに時間掛かるの!」

「申し訳、ありま、せん……」

「キッチリ同じ大きさで切るからそうなる! 店に出すんじゃないしこんなのは時間を掛けずにパパっと切る!」


「炒める時は底から炒める! 具が焦げちゃうでしょうが!」

「申し訳ありません」


「野上さん、カレーに何で異物を入れてるのですか?」

「異物って言うな。これはローリエっていうハーブなの」


 手伝いという名の足手纏いを上手く捌きつつ、麻里奈は殆ど一人でカレーを完成させるのであった――。

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