21 江郷逢衣は早退する。
笑いながら涙を流していた麻里奈を前にして何も出来なかった逢衣が教室に戻ると、いつも馬鹿騒ぎしていた一年二組の教室内はすっかりお通夜の様な静けさを醸し出していた。
いつも楽しい会話を繰り広げていた筈の沙保里達は暗い表情を浮かべていて、中でもいつもニコニコ笑っていた美也子は泣きじゃくっていた。
「……何も泣く事無いっしょ」
「だってぇ~!」
「ほら、これで鼻かみなさい」
そんな中、織香達は麻里奈が居ない事をいい事に追撃を開始するのであった。
「皆見ただろ? 今のがアイツの本性なんだ」
「いい子ぶってても本当はアンタらの事を見下してたんだよ」
「……今更な事を言っちゃうけどさ、城戸が不登校になったのも野上の所為でもあるんだよ」
紗仁の暴露発言に教室内がざわつき始める。俄かには信じ難い話であった。そして注目を集めている隆司は言おうかどうか迷っていた。そしてゆっくりと唇を動かした。
「……本当だよ。僕は見ちゃったんだ。野上さんが早舩さん達に暴力振るって言う事聞かせようとしてた所」
隆司は真意を語った。麻里奈の手帳を拾い、その
『あ、居た。野上さ——』
『どう? みーんなアンタらを敵対視してる人達から聞いたの。
思わず隆司は目を疑った。あの誰にも優しくて気さくな学級委員長が不良三人を一人で圧倒している所を。衝撃的な光景のあまり咄嗟に隠れてしまい、陰でこっそり様子を窺う事しか出来なかった。
(な、何をやっているんだ!? 野上さんは……!?)
『さぁて、ワルぶってるだけの負け犬さん達? ……あたしの言う事、聞いてくれるよね? ……城戸隆司って同じクラスの男子を学校に居られない様にイジメといてよ』
『な……何が目的なんだよ?』
『そんな事質問できる立場だと思ってる、の!?』
もう戦意喪失している筈の相手に追い打ちを掛けていた。隆司は恐怖した。とても現実の出来事とは思えないからだ。
『早く終わらせてね? でないとあたしがアンタら諸共学校に居られなくしちゃうかもしれないから』
あの目と共に発していた言葉は脅しではないのかもしれない。あの目は絶対に忘れる事が出来ない、と隆司は恐怖していた。
「――僕は早舩さん達が危ないと思って、頃合いを図って暫く学校を休む事を決めたんだ。……早舩さん達も身の危険だと感じたから僕の事を不登校にしようと必死だったんでしょ?」
「……アイツの差し金だからってアタシらが城戸をイジメてたのは事実だよ」
「そういう事だったのか……」
「……許せないよね、野上さん。裏でそんな事をしていたなんて」
全てが合点が良き、クラスメイト達は許さないとばかりに怒りの矛先を野上麻里奈へ向けた。彼女の悪事をを問い詰めようと全員が教室を出て追い掛けようとした時、一人だけ戸の前に立ちはだかる者が居た。
「待ってくれ!!」
「日野! 邪魔すんな!」
「アンタは何とも思わないの!?」
「皆!! 頼む!! せめて俺の話だけでも聞いてくれ!! お願いだ!!!」
「うるせぇ! どけ!」
その正体は日野雄太であった。雄太がいつにも無く真剣な面持ちと共に両腕を広げ、行く手を阻んでいた。怒りで我を失い殴り掛かろうとしていた男子の前に立ち、逢衣は掌で受け止めた。
「江郷!?」
「……皆さん、精神を安定させましょう。暴力はいけない事です」
逢衣の仲裁によってクラスメイトは何とか落ち着きを取り戻した。それでも雄太が身を挺してでも止めようとした事に納得していない様子であった。
「……すまん江郷。怪我は無いか?」
「問題ありません」
「……で? 日野は何で麻里奈を庇う様な事をするの?」
「……確かにアイツがやってきた事は許される事じゃない。だから今から話す事を聞いてから判断して欲しいんだ。それだけだ」
猜疑に満ち溢れた目で沙保里は訊ねた。いつもの騒音は鳴りを潜め、雄太は神妙な面持ちと共にゆっくりと静かに語り始めるのであった。
※
「……うん、うん。大丈夫だよ、ママ。ちょっと風邪っぽいだけだから。一人で帰れるから安心して。今日は仕事遅番なんでしょ?」
感情の赴くままに教室から出て行った後、そのまま職員室に居る担当教諭に早退する旨を伝え、直ぐに麻里奈は母親に連絡していた。
「今日の晩ご飯はあたしが作るからついでに何か買ってから帰るよ。だからママは仕事の支度をしてて。……じゃあね」
校門を潜り抜け敷地から出て行った所で電話を切り、そのまま帰ろうとした時点で彼女は痛恨のミスを犯していた事に気付いてしまった。
「……バッグ、教室に置きっぱなしだ」
大した物は入っていないが、家に持って帰らなければ何かあったのかを母に疑われてしまう。かといってあれだけの暴言を吐き捨てておいて今更ノコノコ戻るのは気まず過ぎる。
どうしたものかと悩んで二の足を踏んでいると、麻里奈の悩みは思わぬ形で解決する事となる。
「野上さん」
自分を呼ぶ声の方へと振り向くと、其処には江郷逢衣が居た。そして今一番会いたくない存在が自分の鞄を持っていたので素直に感謝の言葉が出そうにも無かった。
「余計なお世話をどう……もっ!」
肩で風を切りながら逢衣に近付き、
「あたし、早退するから。アンタはあの馬鹿共とアホ面引っ提げて午後の授業受けてなさい」
「…………
これだけ言って性懲りも無く追い掛けてきたら本気で手を上げようかと考えていた矢先、彼女の口から人生で一番聞きたくない名前を出してきたので、耳を疑った。
その名前を聞くだけでも鼓動が昂ってしまう程、麻里奈は分かりやすく動揺していた。それでも彼女はまだ虚勢を崩さない。
「……はッ! 誰それ! アンタの友達?」
「野上さんの妹さんのお名前、ですよね。日野さんから聞きました」
――あのクソ野郎。鳥類にも劣る知能のクセに余計な事を言いやがって。
野上奈津季。麻里奈の妹だった。彼女が忘れたい思った存在。けれど忘れてはならない存在でもある。その名前を口にするという事は麻里奈の古傷を
「奈津季さんは野上さんの二つ下の妹なんですよね?」
「……あたしは生涯一人っ子だよ!」
「野上さんの事を慕ってたんですよね」
「……いい加減やめてくれない? アンタの下らない妄想話。不愉快なんだけど」
「野上さんも奈津季さんの事が好きだったんですよね?」
「……あーあー、日本語が通じなくなった? 可哀想にね。いい加減黙らないと強硬手段に出るよ? 本当にいいの?」
「けれど奈津季さんは不慮の事故で――」
一番言ってはならない事を口走った。一気に麻里奈の血潮が煮え
「不慮の事故なワケあるか!! 奈津季は……!! 奈津季はアイツらが殺した様なモンだ!!!」
「それも聞いています。……不慮の事故だと学校側は処理したけれど、間違いなくいじめによる自殺だろうって日野さんが言ってました」
鎌を掛けてきやがった。我に返り、失態を犯した事に気付いたがもう遅かった。支離滅裂な言動ばかり繰り広げている逢衣が仕掛けてくるとは思わなかった。
これだけ人を虚仮にしておいてタダで返すワケにはいかない、と麻里奈は彼女が何処まで奈津季の事を聞いたのか徹底的に問い詰める事を決心した。
「……アンタも早退してあたしに付き合いなさい」
「……野上さん、皆さんと午後の授業を受けていろと言っていたのでは?」
「いいから行くよ!!」
揚げ足を取ってくる逢衣に思わず苛立ち、麻里奈は彼女の手を強引に掴んで一緒に学校から離れていくのであった。
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