14 江郷逢衣は注目される。

 五月四日の墨田区で撮影された一本の動画がSNSで大きく注目を浴びていた。いわんや包丁を片手に暴れ回る精神異常者の一部始終である。その中には逢衣が見事な一本背負いを決めたシーンもばっちり写っていた。


「いやー今日は何事も無く平和な様で何よりだな。連休最後の日だしいっちょ皆で何処か行くか?」

「大ちゃん上の記事読んで」

「……華無鬼かぶきちょうの行方不明者まだ増えてんのか。何やってんだ警察共はって感じだよなぁ?」

「大ちゃんその右の記事読んで」


 とうとう観念した大助が琢磨が差した先の記事を読む。バッチリと逢衣の事が記載されていた。SNSだけでなく新聞までもが彼女に釘付けであるようだ。


「どうすんの大ちゃん。アイたんがアンドロイドだってバレちゃダメなのに思いっきり目立っちゃってるよ」

「仕方ねぇだろ、アイが全力を出さなきゃ全員危なかっただろうが」


 一緒に新聞を開いて読んでいた大助と琢磨の顔は蒼褪めており、頬には冷汗が垂れていた。幸いにもまだ逢衣の正体がアンドロイドだという事を示唆する文章は書かれておらず、SNSのコメントを閲覧しても謎の美少女柔道家としか見ていないようだ。


『こっわ、殺されるかもしれないのによく一本背負い決めようとしたな』

『包丁持って暴れたらこんな可愛い子に投げてくれるし寝技も仕掛けてくれるのか……閃いた』

『↑通報しました』

『ぶひいいい俺も投げ飛ばされてええええ』


「……今のところバレてないみたいだけどまずいんじゃない?」

「……ま、どーにかなるだろ。逆を言えば今の今までバレずに済んでるって事だしな」


 二人が深刻そうな表情を浮かべている一方、逢衣だけはいつもと変わらない様子で朝食を作っていた。いつもの様に料理とは思えない物質と珈琲コーヒーを配膳するのだが、大助達が落ち込んでいたり疲れていたりしていると珈琲の代わりにココアを淹れて持ってくる。これは逢衣なりの気遣いみたいなものである。


「マスター、タクマ様。精神安定に必要なテオブロミンとマグネシウムとカルシウムを摂取して下さい」

「……お前は優しいな、アイ」


 大助は微笑みながら逢衣の頭を撫でる。彼女の表情は変わる事は無い。しかし、その触感に浸っているのか撫でられた箇所をしきりに擦っていた。


「さ、暗い話はナシにしてパーっとメシ食ってデゼニーランドにでも行こうぜ!」

「……そうだね。ウダウダ考えたって仕方ないしね。遊ぶぞー!」


 気持ちを切り替えられた男達はいつもの様に朝食を食べようとした。その瞬間、大助のスマホに着信が入る。いつもは即座に応答ボタンをスライドさせるのだが、表示されている名前を見るなり取るのを躊躇っていた。気に食わなさそうに舌打ち一つ入れ、嫌がりつつも電話に出た。


「——もしもし? ……ああ、久しぶり。…………全部お見通しってワケか。…………分かった。俺も聞きたい事とかあるしな。……じゃあ今日そっち行くよ」


 通話を終えるなり大助は大きな溜息を一つ吐き、逢衣が淹れてくれたココアを一気に飲み干した。


「……すまん。急用が出来た。琢磨、悪いけど暫くアイとジムの事を頼む。出来る限り早く帰るから……頼む」

「……分かった。気を付けてね、大ちゃん」

「マスター、どちらに――」


 申し訳なさそうに謝罪をし、朝食も食べずに急遽支度を始める大助。逢衣が問い質すべく追い掛けようとしたが、何かを察した琢磨に止められた。


 さっきまでだらしない格好をしていた男の姿は消え去った。伸び切っていた髭は綺麗に剃り落とされ、無造作な髪型は整えられている。そして普段着る事の無いスーツを羽織り、紺のネクタイを強く締めた。


「……お土産買ってやるからちゃんと学校にも行けよ」

「……お気を付けて、マスター」


 何処か険しい表情を浮かべて、大助は一人エレベーターに乗って旅立ったのであった。


 ※


 翌日、校門を潜り抜ける逢衣を見つけた生徒達は目を輝かせながら彼女を取り囲んだ。理由は言わずとも五月四日の動画を見ての事だろう。


「君には素晴らしい才能がある! インターハイ優勝も夢じゃない! 是非我が柔道部に!」

「いーや万年弱小柔道部なんかよりも此処は昨年準優勝した空手部に!」

「その落ち着いた佇まいを活かす為にも弓道部に!」

「江郷ーー!! 剣道部に入ってくれーー!!」


 教室に行こうとするも人間で出来た分厚い壁が逢衣の前に立ちはばかっていた。次第に彼女そっちのけで部員同士で超新星を巡る争いが勃発してしまう。彼女の小さく平坦な声は誰にも届かず、部員達という堅牢な檻を突破出来ずにいた。


「江郷、こっちだ!」


 その隙間から逢衣の手を掴んでくる者が居た。そのまま引きずり出され、何とか脱出する事が出来た。逃げられた事に気付いていない内に逢衣達はそのまま校舎へ。


「……早舩さん、ですか?」

「……何だよ、悪い?」


 振り返った顔を見たが、一瞬認識が遅れてしまった。窮地に立たされた逢衣を助けてくれたのは、ほぼほぼ素嬪すっぴんに近い化粧と地味な髪色になった早舩織香であった。

 彼女が手を引いた先に居たのは同じく派手さという殻を脱ぎ捨て、まるで別人と捉えてしまいそうな地味な中身を露出した布江黒子と安藤紗仁の姿もあった。


「布江さん、安藤さん。……その格好は」

「その、何ていうか。今までやってきた事チャラには出来ないけど、アタシらなりのケジメをつけたいっていうか」

「皆に許して貰えるか分からなくて怖いけど、やるだけやってみようかなって。……織香、黒子」

「うん。……江郷、本当にごめん!!」


 織香達は深々と頭を下げて謝罪した。逢衣はそれをただ静観しているのみであった。


「ウチら、江郷に酷い事した!」

「何度も酷い事も言った!」

「それなのにこんなアタシらを助けてくれて……、アタシら本っ当に情けなくて……。今更どう償えばいいか分かんないけど……どうしてもアンタに謝りたくて……」

「……早舩さん、布江さん、安藤さん」


 逢衣は微かに震えている三人の手を纏めて手繰り寄せ、しっかりと包み込む様に握った。


「皆さんが無事なら私はそれ以上の事は必要ありません。……私も協力します。早舩さん達のというものを」

「……ありがとう。つくづく思うよ、もっと早くアンタみたいなヤツに出会えたらって」

「……アンタの事、キモいとか言っちゃったけど、アンタは可愛いし綺麗だよ。私が保証する」

「……何かあったらウチらに言えよな! 役に立たねーかもしれないけど絶対アンタの助けになるから!」


 逢衣はいつもと変わらない表情で応える。前までの織香達にとっては忌々しいものであったが、今は違うようだ。三人は目に涙を浮かばせていたが、堪えて微笑んだ。

 そんな湿っぽい雰囲気をぶち壊すかのように、先程まで争っていた筈の部員達の騒がしい声が徐々に大きくなってきた。


「……行きましょう」

「そうだな」


 逢衣達は見つかれない様に教室へと向かった。戸を開け、逢衣と一緒に教室へ入ってきた織香達を見てクラスメイト達は目を丸くしていた。


「早舩さん達、どしたのその髪——」

「イメチェンだよイメチェン」

「ていうか安藤さん達、江郷さんと仲悪くなかったっけ?」

「あー? 勝手に決めつけんなし」

「——あ、そういや江郷さん、レックスで動画バズってた――」

「おい! 次その動画の話題出したらシメっからな!」


 最早変身に近い程の変わり具合のあまり、教室内が騒然となった。五月四日の動画の話題になりそうな時に黒子が勢い任せに誤魔化したので逢衣に注目される事は無かった。


「おい、早く席に着けー」


 そうこうしている内にチャイムが鳴り響く。それと同時に教諭も入ってきたのでクラスメイト達は急いで自分の席に座り、HRが始まる。そして今日も一席だけ空いていた。


「出席を取るぞ。来てない奴が居るか?」

「先生、城戸君が来てません——」


 クラスの一人が言い掛けた瞬間、戸を開ける者が一人。全員の目線がそちらに向かう。向かった先に居たのは、ずっと不登校であった城戸隆司であった。


「き……城戸。お前、もういいのか?」

「はい。……遅刻してすみません」


 教諭に一礼した後、隆司は毅然とした態度で空いていた席に座る。一同がざわつき始めた。


「城戸? 今更何で来たんだ?」

「そのまま留年してたらいいのに」

「何食わぬ顔して来てるのマジありえないんだけど」


 隆司の評判はあまりいいものではないようだ。心無い陰口が聞こえ始める。けれど彼は動じなかった。


「……城戸君はどうしてあんな事を言われているの?」

「アンタ知らないの? ……アイツはね、女子を殴ったサイテーな奴なんだよ」


 敢えて聞こえる声量で話しているにも関わらず隆司は反論せず黙って聞き入れていた。その中で、何かを言いたそうに唇を震わせながら俯いている女子が居た。


「……違うの!! 本当は――」


 以前隆司について何か知ってると思われる女子が勢いよく立ち上がり、上ずった声で皆に異議を唱えようとした。しかし彼女の肩を叩いて遮る者達が居た。それはいつにもなく真面目な面持ちを浮かべていた織香達であった。


「……早舩さん!?」

「……小泉。悪いけど私らの口で言わせてくれ」

「え? おい? 早舩? 布江? 安藤? まだHR時間中だぞ――」


 それ以上何も言わずに織香達は黒板前に立つ。教諭の制止もそっちのけで隆司について包み隠さず吐露するのであった。

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