13 江郷逢衣は本気を出す。
江郷逢衣は駆ける。後方から聞こえてくる隆司の叫び声をシャットアウトし、ただ愚直に真っ直ぐに彼女達の元へ。
「クズ、見ぃぃぃつけたぁぁぁ」
空っぽになった店から悪漢が包丁片手に狙いを定めて迫り来る。早舩達は居竦み、震えで歯を擦り合わせながら互いを抱き合って動けなくなっていた。どれだけ学校で威張り散らしていようが傍若無人な振舞いをしてようが所詮は子供であり、本当の悪の前には無力に等しい。
「運びやすい様に斬っちゃおうねええええ」
切っ先が早舩達に襲い掛かろうとした。
――緊急事態発生。防衛行動開始。
逢衣は全力疾走の勢いをそのまま利用して男の腹目掛けて体当たりを仕掛ける。男は吹っ飛び再びカフェの中へと戻され、逢衣は勢い余って転んでしまった。
「転入生!?」
逢衣は直ぐに立ち上がり、後ろのクラスメイト達を一瞥する。早舩と布江に怪我は無く、安藤も左腕以外の傷は増えていない。何とか間に合った様だ。
「このクソガキがああああ!!」
突き飛ばされて怒り狂った男が吼えながら標的を逢衣へと変更する。囮役になった逢衣は早舩達から離れていき、暴れる刃を
アンドロイドと言えども単純な力比べや身のこなしでは普通の成人男性に勝てない程の馬力しか出せない。何より逢衣は人間を傷付ける恐れがある行動を制限されている。この状況を打破出来ずに彼女は徐々に切れ味を増していく攻撃に追い込まれつつあった。
「何とか間に合った様だな……。アイに……感謝しとけよ……バカガキ共がよ……」
「……アンタら、誰?」
「……江郷大助。アイツの父親だ」
「江郷さんの……お父さん!?」
命の危機から解放され、へたり込んでいる三人組の元へ誰かが来る。その正体はずっと逢衣を監視していた大助と琢磨であった。三人にとっては見知らぬ中年二人、それも汗だくで息を切らしている姿に困惑する間も与えず、直ぐに琢磨がポケットからハンカチを取り出し、安藤の傷口を覆う様に結び始める。
「痛っ!!」
「ごめんね。でももう少しだけ我慢して。もうすぐ救急車が来るから」
「は……はい……」
穏やかな笑みと共に琢磨は切創箇所を圧迫して止血を始める。布から滲んで垂れてくる血液で手が汚れようが男は全く気にしていない様子であった。
「……アイ!!」
大助の呼び声に逢衣は振り向く。目が合うと、男はそれ以上何も言わずに親指一本を天に差した。それは父と娘にとって重要なハンドサインである。意味は、全力を出してもいい。である。
――
内部のモーターが急速回転し、
――
いい加減とどめを刺そうとばかりに全体重を掛けた男の刺突が逢衣を襲う。刃が到達するまでの時間は数秒有るか無いかの瀬戸際。封印されていた彼女の物理演算処理能力が解放される。
目線、身体の動きや揺れ、歩幅といった人間の一挙一動を瞬時に解析、その結果を演算し未来を予測するシミュレーションを行う。その処理速度は僅かコンマ七秒程である。
――本機の左胸部付近に刃物が到達するまでの時間は約2.4秒と推測。
一秒にも満たない間に情報処理を終え、シミュレーション通りに彼女の左胸に突き刺そうと男は突撃と共に両腕を伸ばした。だが真価を発揮し、時間を支配下に置いた逢衣に通用する筈が無かった。
「危ない!!」
「慌てんな、心配要らねぇ」
直立不動のまま左手だけで悪漢の右手首を掴み、片腕だけの力で凶刃を止めた。女子高生とは思えない力を前にして怯んだ男の隙を逃さず、そのまま引き寄せてつま先立ちになった身体を背中に乗せ、勢い良く投げ飛ばした。
「い……一本背負い……!?」
「嘘でしょ……!?」
これこそ逢衣が人間として日常生活を送る際に抑えられていた本来のパワーである。受け身を取らず思い切り背中を強打した男は悶えて動けなくなっていた。実に呆気ないものである。
逢衣がそのまま寝技に移行しようとした時、サイレンが鳴り響き始める。今頃になって警察が来たようである。鎮圧された事により現場の周囲に人が戻り始め、中にはスマホ片手に撮影する者も居た。
大助の合図に気付いた逢衣が再びリミッターを掛けて力を再び封じ込めたので、何とかアンドロイドだとバレずに済んだのであった。
※
謎の精神異常者による凶行は安藤一人だけの被害で済んだ。救急車が到着し、隊員達が負傷者の元へと駆け寄る。
「救急車が来たからもう大丈夫。痛い中よく頑張ったね」
琢磨が優しく微笑みながら告げる。その瞬間、安藤は大粒の涙を流し、
其処からは怒濤の展開であった。警察の初動捜査や現場検証に巻き込まれ、様々なマスメディア達による取材という名の尋問に巻き込まれ、もうデートどころでなくなってしまった。
「冗談じゃねぇっての。これだから東京はクソなんだよ」
「だからいつも言ってるでしょ大ちゃん。アイたんの前でそんな汚い言葉を使うのは――」
何とか対処し終え、混沌とした時間から脱出するや否や悪態を吐く大助。それに苦言を呈する琢磨。二人の元を離れ、逢衣は手持ち無沙汰となっている早舩達の所へと向かった。
「……早舩さん」
「……何。何なの。笑いに来たの? 笑えばいいじゃない。どうせ私らはアンタと違って泣きべそかいてビビって何も出来なかった臆病者だよ。まぁ、どうせアンタはいつもその顔だから笑わないか。逆に笑っちゃうね――」
「いい加減にしなよ!!」
御託を並べる早舩に怒声を浴びせる者が一人。隆司であった。先程彼女達に怯えていた男の姿は無く、怒りと共に立ち向かってきたのである。
「君らと同じ人間だという事が恥ずかしいよ!! 君らがまず江郷さんに言うべき事は何!? それが分かんないならあの異常者に殺されて死んでた方がマシ――」
ヒートアップしていく隆司の言葉を遮る様に大助が拳骨を入れた。叩かれた頭を抑えて呆気に取られている少年に対し、男は何処か悲しそうな表情を浮かべて溜息を吐いた。
「……どんな奴に対してだろうと死んでた方がマシなんて、言うモンじゃねぇよ」
「ご……ごめんなさい」
「……謝る相手が違うよ?」
「! ご、ごめん……」
「いいよ別に……。私も言い過ぎた……」
自身の失言に対し気まずそうに謝罪する隆司。目を伏せながら返事をする早舩。お通夜の様な重い雰囲気になってしまい、誰一人として喋れなくなってしまった。その沈黙を破るべく、逢衣が再び話しかけようとした瞬間、力尽きた様にそのまま膝を着き、俯いたまま動けなくなってしまった。
「どうしたの江郷さん!?」
「疲れたんだろう。色々あったしよ」
「問題、ありません……。立てます………」
先程の制限解除による過剰なエネルギーの消費に伴い、逢衣は十分な運動機能を発揮出来ずにいた。覚束ない足取りで立ち上がろうとするも、上手く姿勢を制御出来ず大助に支えられて何とか立っていられる状態に陥っていた。
「……何でよ」
「……?」
「何で私らなんかを助けるんだよ!! 私らが今までアンタに何したのか分かってんの!? 私らなんか助けたって何も無いし何にも出来ないし、またアンタに嫌な事するかもしれないんだよ!? もしかしたら死ぬかもしれないんだよ!? 何で助けるんだよ!!」
思いのままをぶちまけた早舩は涙を流した。隣で便乗していた布江も同じ様に泣いていた。アイライン混じりの黒い涙を流している二人に、逢衣もまた思いのままをぶつける為に限界の身体に鞭を打ち、ゆっくりと顔を上げた。
「私の中から命令が下されたのです……早舩さん達を助けろと……。人間は助け合わなければ世界は成り立たない……だから可能な限り……困っている人を助けろ……そう教えられました……」
「でも……それでアンタは……」
「サケニギリマン……」
「……え?」
「サケニギリマンは凄いです……見返りも感謝も求めませんし、自慢もしません……辛い目に遭う時だってあります……なのにいつも困っている誰かを助けてます……私は……そんな人間になりたいんです……」
号泣しながら逢衣の想いを聞き終えた二人は呆気に取られ、お互いに酷くなった顔を見合った。そして乾いた笑い声を上げた。
「……敵わないな、アンタには」
「やっぱり……難しいですか……?」
「……なれるよ、絶対」
「……良かった、です――――――」
その言葉を最後に強制シャットダウンが開始され、逢衣は動かなくなってしまった。補助バッテリーが切れるまでの時間は残り僅か。装甲へと送る電力すら尽きてしまうと正体が確実にバレる。大助はそのまま彼女を背負った。
「悪いがデートはお開きだ。お前ら、学校でもアイを宜しくな」
娘の成長を感じ、何処か誇らしげにしていた大助と琢磨。男の背中で眠っている様に機能を停止している逢衣を、隆司達は微笑ましそうに見続けていたのであった。
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