12 江郷逢衣は立ち向かう。
「ご注文をどうぞ」
スカイツリー付近のカフェに入り、逢衣と隆司は歩道近くに展開されているオープン席に着席した。直ぐにお冷を持ってきた店員が来てくれた。
「僕はアイスカフェオレとナポリタンで。……江郷さんは?」
「私は大丈夫です」
学校でも昼食を食べない逢衣は此処でも食べようとしなかった。最初こそ麻里奈達も驚いていたが、今はもうそれが当たり前の事だと受け入れられている。しかし目の前に居るのは彼女の学校での姿を一切知らない不登校男子である。
「江郷さん! お昼食べなきゃ!」
「……? 私は食べなくても大丈夫ですが……」
「お金が無いなら僕が奢るから何か頼んでよ!」
「……では城戸さんと同じのを注文します」
隆司がどうしても食い下がって堂々巡りが続きそうだったので、逢衣は止む無く同じものを注文した。後で隆司が全部片づけてくれたらいいだけだ、と判断した結果である。
「楽しかったよ、江郷さん。今日は有難う」
「此方こそ貴重な経験を記録出来ました。有難うございます」
電車で初めて会った時の怯えていた小動物は雲散し、朗らかな笑みを浮かべている少年が逢衣の正面に座していた。この隆司こそが本当の姿ではないか。この姿を維持すれば登校できるのではないか、と逢衣は推測を立てた。
そうこうしている内に注文の品であるドリンクとランチが目の前に置かれる。逢衣が手に付けないのは当然だとして、何故か隆司もナイフとフォークも持たずに俯き始めた。
「……江郷さん。僕、江郷さんにラインでもずっと言おうか迷ってた事があるんだ」
「言えばいいと思います。言わなければ伝わりません」
「あはは……そうだね。その通りだよ。……けど、言えなかった」
「何故ですか?」
「本当はずっと怖かった。誰も味方は居なくて、僕はずっと一人で怯えて生活していくのかと思ってた。……けど、江郷さんに出会って勇気が出た。江郷さんになら言えると思えたんだ。だから、言うよ。――クラスの……」
「そこまでにしとけよ、城戸」
その声を聞いた隆司があからさまに動揺する。そして呼吸を乱していた。彼の後ろには何故か早舩達三人組が突っ立っていた。振り返り、彼女達の姿を見るなり立ち上がって後退りをして距離を取ろうとしていた。
「言った通りだよ。スカイツリーらへんで例の転入生と仲良しごっこしてるってな」
「アンタはもうあの人からは逃げられないんだよ」
「ていうかまた虐めてやろっか? ヘボ陰キャのクセによぉ」
隆司からはあの時よりも怯えている事が見て取れる。データ採取の邪魔になり兼ねないと判断した逢衣は隆司と早舩達の間に割って入る様に立ちはだかり、悪党共をじっと見つめた。
「……転入生、あん時あれだけ情けで言ってやったってのに。……馬鹿なの?」
「貴方達からは城戸さんについて聞こうとするな、とだけ承っています。今の私は城戸さんと行動を共にしているだけです。何も抵触していないと思いますが」
「揚げ足取ってんじゃねぇよ雑魚!!」
「気持ち悪いんだよブス!」
聞くに値しない不良共の罵詈雑言。だが逢衣は黙って彼女達の口汚い単語の数々を全部聞き入れ、浴び続けた。そんな少女はただ一言、辞めて下さい、とハッキリ言ったのであった。
「はっ!! 何だ怒ってんのか!? ざまぁねぇなアホ!!」
「負け犬!!」
「ブサイク!!」
「これ以上ご自身を傷付けようとしないで下さい」
逢衣の思いがけない一言に早舩達は言葉を失った。
「な、何言って――」
「悪口は自身が言われたくない言葉で発せられる事が多いと聞きます。早舩さんは馬鹿ではないし、布江さんは雑魚ではないし、安藤さんは気持ち悪くないと思います。だから自分に自信を持って下さい」
逢衣は知らない。善意のつもりで言った事が裏目に出てしまう事を。逢衣は持ち合わせていない。人の触れてはならない痛みに配慮する繊細さを。
後方には恐怖で顔を蒼褪めている隆司の姿が。前方には憤怒で顔を紅潮させている早舩達の姿があった。逢衣は呑気にこの三人が怒っている理由を考えていると、彼女の白く透き通った顔に冷水が覆い被さった。
「……手が滑っちまった。許せよな、転入生」
安い挑発である。早舩は近くにあったコップの水を思い切り逢衣に掛けた。大助達が買ってくれた服が濡れて台無しになる。それでも彼女の表情は変わらない。それがどうしても許せないらしく、我慢の限界だとばかりに布江は逢衣の胸倉を掴んだ。
「……ムカつくんだよぉぉ!! お前のその人を見下したような顔がぁぁl!! どうしたらお前のその顔を歪ませられるんだよ!? あぁぁ!?」
カフェの店内にも響き渡る程の怒声で逢衣に訴えかける。それでも逢衣の表情は変わらない。こればかりはどうしようもない。アンドロイドは人間に事実を告げるのであった。
「……不可能です。諦めた方が良いと思います」
意図せず怒りの炎に油を注ぐ逢衣。怒り狂った布江は彼女を押し飛ばして尻餅をつかせる。そこから全体重を乗せた拳で頬を貫こうとしてきた。暴走する布江を抑えるべく取り押さえる早舩と安藤。何故か身動き一つ取れなくなっている隆司。事態は最悪だった。
「君達。何で喧嘩しているんだ?」
落ち着いた男の声が騒動を引き起こしている逢衣達の中に入り込んでくる。一同が声の方へと向くと、明らかにカフェの店員ではない、不潔さを感じさせる上下黒のスウェットを着た中年男性であった。
「んだよキショいんだよおっさん!! 消えろ――」
拒絶に近い態度で怪しい男に無警戒にも近付く安藤。間合いに入った瞬間、男は払う様に右腕を横一文字に振る。その瞬間、威勢のいい彼女の声が途絶えた。
「………………え?」
「そうだ。社会に迷惑を掛けている様なゴミは消えるべきだ。いや、ゴミは
支離滅裂な持論を一方的に言い放つ男の右手には紅く滴る包丁が握られていた。そして安藤の左の肘から下が深紅に染まっていた。
彼女の左腕の皮膚は斬り裂かれ、其処から鮮血が垂れている。その事実にとうとう理解が追いついてしまった安藤は涙を浮かべて顔を歪ませ、糸が切れた人形の如くその場で座り込んでしまった。
「しょ、将来性の無いガキはぁ、全部再利用するべきなんじゃああ!!!」
突然悪漢の瞳孔が開かれ、傷つけた安藤に目も
「え、江郷さん!! 早く逃げよう!!」
ふと我に返った隆司がじーっと見つめて直立していた逢衣の手を引き、異常者から逃げようとする。少年に手を引かれカフェから離れていくも、逢衣は早舩達の様子が気になり、ふと後ろを向いた。
「痛い……痛いよぉ……織香……黒子……」
「分かったから早く立ちな!! アンタマジで殺されるよ!!」
「すぐに救急車呼んでやるから! だから早くしてって!」
斬られた箇所を手で抑え、激痛のあまり動けなくなっている安藤。それを引き摺ってでも逃げようとする早舩と布江。彼女達は確実に逃げ遅れている。逢衣はそう分析した。
「……江郷さん何してんの!! 早く――」
引っ張ろうとする隆司の手を逢衣は振り解いた。そして三人をただじっと見つめていた。一緒にサケニギリマンを見ていた時に言っていた大助の言葉を思い出していた。
『普通は見返りを求めたり、自慢したり、感謝を求めたりするモンだ。けどサケニギリマンは優しくて強いから助けるのが当然だと思ってるんだろうな。お前もそうなってくれたら嬉しい限りだぜ』
『確かに暴力は駄目な事だ。だがな、ここぞって時には力で以て止めなきゃいけない時だってあるんだと思うぜ』
――逢衣の中にある
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