09 江郷逢衣は外出する。

「マスター、人間は休日に何をするのですか?」


 八時六分。日曜日。休日。いつものように朝食を二人に食べさせた後、何もする事が無くなっていた逢衣の質問に、いつものように地下でノートパソコンのキーボードを叩いていた大助が手を止めた。


「……琢磨、今日日きょうびの女子高生って休みの日何してるんだ?」

「アラサーの僕に聞かないでよ、知るわけないでしょ」

「お前ロリコンだろ?」

「ロリコンじゃないよ! 恋愛対象が二十歳未満ってなだけだよ!」

「それがロリコンなんだろうが」


 質問している逢衣の事を二人はそっちのけで討論し始めた。要するに明確な答えを知らない様である。次の登校日に他生徒に聞くというタスクを追加した。


「マスターは休みは何をしているのですか?」

「俺? 休みなんて殆ど無いようなモンだしなぁ……。ちょっと暇な時にパチンコ打ちに行くか競馬場で馬券買ったり……」

「――大ちゃん分かってると思うけど」

「アホ、連れて行かねーよ。……おっとアイ、俺が悪かった。悪かったから手に持ってるスマホをそのまま置け。そして今後一切調べようとするな」


 未知の単語であるパチンコと競馬。机の上に置いていたスマートフォンを手に取り、検索エンジンで調べようとする逢衣の指が大助の指示で止まり、言われた通り元の場所に戻した。


「琢磨はどうなんだよ」

「僕はそうだねぇ、本屋に行って面白そうなラノベや漫画を探したり、ゲーセンに行ってゲームしたり、かなぁ?」

「ほんっとうにオタク趣味だなお前」

「別にいいでしょ!? 大ちゃんの趣味よりマシだよ!」

「あぁぁぁ!? その趣味を合コンの時とかに堂々と言えんのかオメー!?」

「大ちゃんのだって大概だよ!?」


 小説や漫画、アニメにゲームは琢磨が教育の一環として読ませたりプレイさせたりしていた。つまりまだ触れていない作品を探求すれば人間の心について研究が進むかもしれない。逢衣はそう判断した。


「タクマ様、私も本屋とゲーセンに行ってみたいです」

「はぁ!?」

「ア、アイたん、大ちゃんを差し置いて僕とデートだなんてそんな……って大ちゃん冗談冗談!! 冗談だからその包丁を片付けて!! 刺そうとしないで!!」


 眉間に皺を寄せ、鋭い眼光と共に何処からともなく鋭利な包丁を握り締めて光に翳していた大助。琢磨の決死の弁解によって舌打しつつも大人しく凶器を仕舞った。そして選択肢から外された方の男はそっぽ向いて力任せにキーボードを打ち始めた。


「行ってこいよ! お前らはそれで満足なんだろ!! つまんねぇ趣味で悪かったなクソが!!」

「いい大人なんだし拗ねないでよ大ちゃん。来週の業務は僕が代わるからそれまでにアイたんと一緒に楽しめる趣味見つけなよ――」


 クソデブ!! 八つ当たりするかの如く大助は琢磨にそう吐き捨てると、大量の紙幣で分厚くなった財布を取り出し、その中から出した一万円札を逢衣に渡した。


「マスター、これは?」

「小遣いだ! 好きに使え! それで今日一日琢磨と仲良くやってろ!」

「……ありがとうございます、マスター。大事に使います」


 大助から貰った貴重な一万円札。落とさない様に逢衣は両手で包む様に握りしめた。臍を曲げていた男は少しばかり機嫌を直していた。


「――では、行ってきます。マスター」

「待て待て待て! その格好で行くな!!」

「……? この服に何か問題が……?」

「裾を持ち上げちゃダメ!! 前屈みにもなっちゃダメ!!」


 アニメキャラのプリントが施されたダボダボのTシャツ一枚だけで外に出ようとする逢衣を大助は慌てて立ち上がって彼女を止めた。少女は今の状態の問題点を確認するべく身体を動かして視認しているだが、その度に中身が露出する。逢衣に着せる服を見繕ってきた琢磨も取り乱した様子で制止するのだった。



「にしても大ちゃんほっそいよねぇ、何でアイたんにピッタリなの」


 大助のジーンズを丁度良い具合に履いている逢衣。一方で琢磨のパーカーを着せると丈は膝上位にまで達し、袖は手が隠れる程に長く、明らかにサイズが釣り合っていなかった。


「タクマ様、今日は有難うございます」

「べ、別にいいって! アイたんの為なら僕は何でも! えへ、エヘエヘエへ……」


 娘同然の大事なアンドロイド。いざ面と向かって感謝されると何だか歯痒い。琢磨は照れ臭そうに身体をくねらせていた。

 ふと男が冷静になって周囲を見渡してみる。電車内の乗客達は我関せずとばかりに気にしていない様子であるが、中年男性と(見た目は)女子高生の二人組という絵面は怪しまれるのではないか、と危惧した。職務質問されると厄介なのではしゃぎ過ぎない様にしよう、琢磨は自身を戒めた。


「ここが本屋、ですか」


 二人が降りた先は千代田区秋葉原。オタクの街として有名であり、琢磨にとって実家の様な場所である。日曜日の歩行者天国を潜り抜け、琢磨が逢衣を連れた先は階層全てが書店になっている五階建てビルであった。中に入ると様々な漫画や雑誌等が並んでいて、その圧倒的な品揃えに逢衣は圧倒されているように見えた。


「どう? 凄いでしょ? 何か読んでみたい本でもある?」

「……! サケニギリマンの本、です」


 逢衣が一番に食いついていたのはサケニギリマンの絵本だった。見た目は女子高生でも中身はまだ幼女なのかもしれない。成長すれば大人になるのだろうか。それとも子供のままなのだろうか。どちらにせよこのまま純粋な心を育んでいったら、と琢磨は絵本を読んでいるアンドロイドの成長を期待した。


「この漫画新刊出てる! やっぱこの二人はてぇてぇ!」


 次の階層に移った二人。琢磨が愛読している作品の新刊を手に取り、表紙に描かれた少女二人を見て思わず興奮した。ちなみにこの漫画はお嬢様と貧乏な女の子の二人の恋愛を描いた物語である。


「タクマ様、この漫画はどんな話なのですか?」

「よくぞ聞いてくれたねぇ! この話はねぇ! 大富豪のお嬢様であるツカサちゃんと貧乏人であるツクシちゃんの恋愛を描いた漫画なんだよ! この話の面白い所はねぇ! ただの性悪女かと思いきや根は優しいツンデレのツカサちゃんの素直になれない所と貧乏だけど健気でひたむきなツクシちゃんが頑張る所が兎に角可愛くてねぇ! ミスマッチなカップリングかと思いきや……ってアイたん!?」


 表紙を覗き込んでいる逢衣に作品の内容を聞かれ、思わず熱が籠った琢磨がいつもより早いテンポで熱弁する。夢中になって作品について語っていたが、いつの間にか彼女は視界から消え失せていた。

 周囲を見渡すと、何と逢衣は真っ赤な暖簾の向こう側へと入ろうとしていた。其処から先は十八禁コーナー。アンドロイドであっても女子高生の逢衣が入ってはならない。琢磨は鈍重な身体を走らせ彼女を追い掛ける。


「……タクマ様、何故この女性は教室内で胸部を露出しているのですか? それにこの白いのは――」

「アイたん!! その本は絶対駄目!! 僕が大ちゃんに殺されるしこの作品が削除される!!」


 (一応)全年齢対象のこの作品では描写してはならない表紙をまじまじと見つめながら逢衣は琢磨に訊ねてきた。当然の事だが生殖機能が無いアンドロイドに性知識なんて教えておらず、せいぜい雄蕊おしべ雌蕊めしべレベルの知識量しかない。

 そんな悪影響を及ぼす可能性は極めて低いが、逢衣の事を誰よりも溺愛している大助の耳に入れば間違いなく理性を失い、殺人すら厭わない程に激怒するだろう。それだけは何としてでも避けたい琢磨は彼女からエロ本を取り上げると元の棚へ戻し、手を引いて十八禁コーナーから追い出したのであった。



 時刻は十九時八分。紙袋を提げた琢磨と逢衣が研究所へ戻ると、夕食も取らずに一人で大量の缶ビールを空にした大助が机に突っ伏して寝ていた。


「大ちゃん起きて、風邪ひくよ」

「……んだよ、どうせ俺なんか要らねぇ奴なんだろ……」

「何いつまでいじけてんの。折角アイたんが大ちゃんのプレゼント買って来たってのにさ」

「……は!?」


 途端に大助が覚醒して跳ね起きた。人間は日頃の感謝を込めて贈り物をすると聞いていたので逢衣は今朝貰った一万円で生みの親でもある大助のプレゼントを購入したのだ。


「いつもありがとうございます、マスター。私からのプレゼント、受け取ってくれますか?」


 逢衣は丹精にラッピングされた箱を紙袋から取り出し、それを大助に差し出す。腕を震わせながら男はそれを受け取り、身体を震わせながら顔を隠す様に後ろを向いた。逢衣が顔を覗き込んでみると、目に涙を溜めていた。


「……マスター? 何故、泣いているのです?」

「な、泣いてねぇよ!! これは汗だ!!」

「全く。怒ったり泣いたりと、アイたんのお父さんは忙しい人だよね」

「泣いてねぇっつってんだろうが!!」


 斯くして、逢衣は実に有意義な休日を過ごした。後日、逢衣から貰った独特なデザインをしている上着を何処か誇らしげに羽織っている大助を見たスポーツジムのインストラクター達は言葉を失っていたのだとか。

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