04 江郷逢衣は高校生である。

「アイ、今日はサケニギリマンの鑑賞会だ。これを見てお前なりに分析して、何が良いか何が悪いかを判断してみろ」

「了解しました。マスター」


 まず最初に大助はアイを人間の子供と同じように、最初は対象年齢の低い作品を教材にして人間の感受性を学習させる事にした。

 彼が持ってきたアニメを簡潔に紹介すると、頭がおにぎりで出来ている正義のヒーローのサケニギリマンが困っている人を助けたり、いつも悪事を働いている悪役のザッキンマンをニギリコブシキックという必殺技で成敗するという単純明快で幼児にも大人にも大人気の物語だ。


『お腹が空いてるんだね。さぁ僕のご飯をお食べ』

『ありがとう! サケニギリマン!』


「……皆、サケニギリマンさんに感謝しています」

「そうだな。俺達人間もそうだ。可能な限り困ってる人を助けてやるといい。何だかんだ言って助け合わなきゃ世界は成り立たないからな」

「でも、サケニギリマンさんは助けるだけで助けられてません」

「そこがサケニギリマンのすげー所だな。普通は見返りを求めたり、自慢したり、感謝を求めたりするモンだ。けどサケニギリマンは優しくて強いから助けるのが当然だと思ってるんだろうな。お前もそうなってくれたら嬉しい限りだぜ」

「はい、マスター」


 お腹を空かせて泣いている子供を見かけたサケニギリマンは自分の頭のお米を掴み、それでおにぎりを作って食べさせる。彼は困っている人、悲しんでいる人が居たら文字通り自分の身を削ってでも助ける慈愛の心の持ち主であり、自分が傷付いても決して挫けたりしない、正真正銘のヒーローであった。アイもそんなサケニギリマンに興味を示している様であった。


『もうやめるんだザッキンマン!』

『うるさい! ワガハイの邪魔をするな!』

『サケニギリキーーック!!』

『さっき~ん!!』


 物語の終盤、ザッキンマンは町の人に悪戯の範疇を超えた悪事を働き、サケニギリマンはそれを阻止するべく強烈な跳び蹴りでザッキンマンを空の彼方へと蹴り飛ばすシーンをアイは食い入るように見ていた。


「……サケニギリマンさんはどうしてザッキンマンさんにニギリコブシキックするのでしょう?」

「ザッキンマンがサケニギリマンの警告を無視して悪い事を辞めないからだろう。それでも暴力はいけない事だと思うのか?」

「……はい」


 アイは思ったよりも単純ではなく、彼女なりに思考を巡らせているのかもしれない。単純な視点で見れば正義の味方が悪を成敗する勧善懲悪で終わる話だが、アイは優しい心の持ち主であるサケニギリマンが力でザッキンマンを止める事に疑問を抱いている様だ。


「確かに暴力は駄目な事だ。だがな、ここぞって時には力で以て止めなきゃいけない時だってあるんだと思うぜ」

「ここぞって時ってのはどういう時ですか?」

「そーだなぁ、じゃあそれを今回の課題にしよう。お前なりに考えて俺に教えてくれないか?」

「分かりました、マスター」


 易々と答えを教えるだけでなく、彼女自身で考えさせてみる。これが少しでも人間の心に近付ければ、と大助は期待していた。


「これはパブロ・ピカソという画家が描いたゲルニカって作品だよ。この絵を見てアイたんはどう思った?」


 別の日。新たな試みとして琢磨はとある芸術作品をアイに見せてみた。ドイツ空軍による無差別爆撃の光景をキュビズムという独特な画法で描き、反戦や抵抗のシンボルとして評価されている絵画をまじまじと見つめていた。いくらなんでも飛躍し過ぎだろう、と大助は遠巻きに琢磨の授業を参観していて思わず眉をひそめた。


「……よく、分からないです」

「そっか、分からないか」

「……申し訳、ありません」

「いやいや大丈夫。分からなくてもいいんだよ」


 アイは分からない事は分かる様にならないと思っている節がある様だ。それを察したのか琢磨は優しく諭した。


「分からなくても、いい?」

「うんうん。そもそもこういった芸術作品に正確な答えなんて無いんだよ。創作者が感じた事、想った事を絵や彫刻、文字や音楽で具現化する。けれど、それを見たり聞いたりして全てを知る事は出来ないんだ」

「では、何故こういったモノを作るのです? 伝わる事が出来ない場合があるのであれば非効率的で無駄ではないのですか?」

「確かに生活するにあたってこういうのは必要無いね。アイたんの言う通り時間の無駄にもなり得る。けれど人間はその無駄なモノで人間性を鍛えたり、他の人と共感したりする生き物なんだよ。不思議だよね」

「…………?」

「うーん、ちょっと難しかったか。ごめんごめん、じゃあ次はこの漫画の読み取りをしてみようか」


 アイはいまいち合点がいっていない様子である。まだこの段階には早過ぎた様だ。けれどこれがな事ではない。いずれ分かる時が来る。そう信じている。と大助と琢磨は強く願った。


「あ、それはそうとアイたん。僕の事なんだけど、ちょっとお兄様って呼んでみてくれない?」

「分かりました、オニイサマ」

「ハハハ! 何てこった! やばい、達する達するッ!」

「アイ、琢磨の事は豚野郎と呼べ」

「分かりました、ブタヤロウ」

「あっ、それはそれで有りッ……!」


 未婚者である筈の二人はまるで実の娘の様に(琢磨の方は何処か危ない方向性に走っているが)逢衣を愛で、大事に育てていった。逢衣もまた、二人の愛情に応える様に驚異的なスピードで学習していったのであった。


「おはようございます、マスター。今日はゴミ出しの金曜日ですが捨てるものは有りませんか?」

「……逢衣、今何時だ?」

「現在、午前六時三十二分。天気は曇り時々雨、です。朝食も作ってあります。早く食べないと料理の温度が下がります」

「朝メシ要らねーっていつも言ってんだろ……」

「タクマ様にマスターの分も作る様にと命令を受けています。……早く起きて下さい、マスター」

「分かった分かった! 分かったから足を引っ張るなって!」


 凡そ一年程学習させた結果、アイは起動すると率先して家事をやる様になるまで成長した。まだ融通が効かない点も多々あるが、それでも昔と比べれば人間らしさは何となく程度には醸し出し始めてはいる。

 少女は寝返りを打ってそっぽ向いた男の両足首を掴み、ベッドから引きずり降ろそうとした。観念した大助は寝不足の身体を起こして、アイが作った朝食を食べる事にした。レシピ通りに作っていれば絶品であるが、見た目からして今日はハズレの様である。


「おはよう大ちゃん。相変わらず死んだ魚の様な目をしてるね」

「お陰さんでな。寝不足には重い一撃だぜ」


 くどい味付けのベーコンエッグをしかめっ面で咀嚼する大助。暇だったのでテレビを見ようと近くにあったリモコンを手に取り、電源ボタンを押すと丁度ニュース番組が流れてきた。


『続いてのニュースです。東京都新宿区華無鬼かぶきちょうで行方不明者相次ぐ。昨日までの時点で行方不明者が少なくとも12名に及ぶ事が警視庁の調べで判明しました。犯人は未だ特定出来ておらず、警視庁は更に捜査を強化する方針を発表しました――』


「この事件、まだ犯人分かってないんだ」

「役に立たねー連中」

「そんなひねくれた物の言い方、アイたんの教育に悪いよ? 折角自分からお手伝いしてくれるいい子に育ってくれたのに……」


 凶悪なニュースを前に愚痴を零す大助とそれを諫める琢磨。アイの教育、確かに成長は見て取れるものの二人だけでは流石に限界を感じる。男達は科学者であって教育者ではない。餅は餅屋と言う事だろう。

 教えられる事は粗方教えた。次のステップに進もう。大助はマグカップのコーヒーを飲み干して決心した。


「よし、次は外の世界だな。琢磨、アイを学校に行かせるぞ。そうだな、高校位が丁度いいだろ」

「……えぇ!? 大ちゃん正気!?」

「ずっと地下に籠ってばかりで人間の心とやらが育まれると思うか?」

「でもだからって学校って……、戸籍はどーすんの? 転入手続きは? それにアイたんの正体がアンドロイドだってバレたらまずいんじゃ?」

「何とでもなる。いざって時は金だ。地獄の沙汰も金次第ってな。アイは学校行きたいよな?」

「はい、行ってみたいです」

「……もうどうにでもなれ、だね」


 こういった経緯からアイは大助の養子縁組として“江郷逢衣”の姓名を得た。元々人間として存在していなかった事から色々と手間取ったが、彼の辣腕により戸籍を登録出来た。高校の転入手続きも二人の手助けもあって難なく突破出来た。最後にして最難関である逢衣の正体が露呈する危険性だけが残ってしまったが、こればかりはどうしようもなかった。


 ※


「どうですか。マスター、タクマ様」

「ああ、似合ってるよ」

「うう、何でだろう、涙が止まらないよ」


 いよいよ転入日。逢衣は学校指定の制服を身に纏い、二人にその姿をチェックして貰った。大助は微笑み、琢磨は泣いていた。学校までの道程みちのりもインプット済み。逢衣のクラスの担当教諭のデータもインプット済み。後は出動するだけ。逢衣は二人に見送られながら研究所を後にした。

 そこからは何のイレギュラーな出来事も無く、無事に学校へと辿り着き、世話になる先生にも会えた。その先は未知の世界。アンドロイドはおろか、人間でさえも予測不可能な様々な困難や試練が逢衣を待ち受けているのだろう。


「今から転入生を紹介する」



 ――ここから逢衣が人間になる為の物語は始まるのである。見届けようではないか。



「江郷逢衣です。これから宜しくお願いします」

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