episode01:School

05 江郷逢衣は料理を作る。

 機器の僅かなランプだけが灯しているだけの暗闇の中。逢衣は眠っている様に瞳を閉じていた。自身の定期的なメンテナンスも装甲の洗浄もバッテリーの充電も完了していて、後は時が来るのを待つのみであった。

 時刻が六時三十分になった瞬間。彼女の目蓋は開かれた。それと同時にアームロボットが起動し、鋼鉄のフレームを覆い隠す様に白の基盤を貼り付けていく。全身に装着し終えると、フレーム内にあるプラグから電気が供給されて装甲は忽ち人間の素肌に変化していく。アンドロイドが人間の皮を被り、正体を欺く瞬間である。


 ――ボディ異常無し。システムオールクリア。江郷逢衣、活動開始。


 逢衣は寝床にしていた台を後にすると、琢磨が昨日の夜に用意していた制服とインナーを着用。ハンガーラックの近くに置いてある姿見鏡で身嗜みを確認。異常無しと判断するとスマートウォッチを装着。腕時計の液晶画面は現在六時三十六分で今日は四月二十七日の水曜日だという事を彼女に知らせたのであった。


 ——水曜日。水曜日は燃えるゴミを捨てる曜日。


 直ぐに逢衣はポリ袋を広げると、研究所内で散らかっている可燃性のゴミを拾い集めていく。くしゃくしゃにしていない紙だけは絶対に触るなという命令を厳守し、逢衣はコンソールに突っ伏して就寝している大助を起こさない様に周囲のゴミを拾うと、次に控室のベッドで肥大した腹を出しながら爆睡している琢磨の近くにあるゴミ箱の中身を音を極力出さない様に入れていく。


 ――目標殲滅。次のフェイズに移行。


 ゴミで一杯になったポリ袋の口を縛りエレベーター前に置くと、今度は給湯室へ移動し、棚に置いてあったタブレットの電源を入れて、ラジオのアプリを起動させた。


『皆さん、おはようございます! 今日は蜂蜜バナナのフレンチトーストをご紹介します!』


 平日朝の情報番組の中で平均六時五十一分付近で流れ、約十分程度で簡単な料理を紹介するコーナーを聴きながら逢衣は二人の朝食を作る。


『まず、食パンを六等分に切ります』


 講師の指示通りに食パン二切れをそれぞれ六等分し、合計十二個の立方体にした。


『次に皮を剥いたバナナを手で千切り、耐熱ボウルに移してペースト状になるまで潰しましょう』


 逢衣のマニピュレータは人間と同じ様な細かな作業も可能である。講師よりも早くバナナの処理を済ませて次の指示を待っていた。


『そこに蜂蜜を大さじ一杯、牛乳を少々、卵を一個入れて混ぜ合わせます』


 指示が出ると直ぐに逢衣は作業に移る。蜂蜜をスプーンで量ってから入れ、牛乳をほんの数滴程入れ、卵を丸ごと入れ、料理をしているとは思えない雑音を鳴らしながら泡立て器で掻き混ぜていく。


『そこに先程切った食パンを入れて絡ませたらレンジ600Wで30秒ほど加熱し、取り出してかき混ぜた後、もう一度600Wで30秒ほど加熱します』


 卵液と殻で浸された食パンが入ったボウルを電子レンジに入れて加熱し、かき混ぜて同じ条件で再度加熱。電子レンジ使用時の逢衣はただじっと庫内を見つめるだけである。


『中火で熱したフライパンにバターを入れて溶かした後、先程加熱したボウル内の材料を入れて焼きます』


 ガスコンロを点火させ、ダイヤルを中火の目盛りに合わせる。火の上にフライパンを乗せ、冷蔵庫の戸を開けてバターを探す。だが、肝心のバターが何処にも見当たらない。逢衣は少しばかり動作を停止し、思考を巡らせた。


 ――プラン変更。バターをマーガリンで代用。


 逢衣はバターに近似しているマーガリンを手に取り、容器の三分の一程の量をバターナイフで切り分ける。それを持っていくと、今度はフライパンの底に掌を押し当てた。


 ――百七十二度。調理に最適の温度を確認。


 表面温度を測定し終えるとそのままマーガリンを入れて溶かす。脂まみれになったフライパンにボウル内の材料を投入し、菜箸で混ぜながら焼いていく。


『食パンの表面に焼き色がついたらお皿に盛りつけて、最後に粉糖を掛けて完成でーす!』


 二つの皿を並べ、炭の色になるまで焼けた食パンを均等に盛り付け、最後に銀世界を体現するように大量の粉糖を掛けて、逢衣特製のフレンチトーストは完成した。

 中途半端に使命を終えたタブレットの電源を切り、料理と呼ぶには些か冒涜とも呼べる何かとコーヒーが注がれたマグカップをテーブルに配膳し、今まで使った調理器具を洗っていく。今更の話だが、彼女の身体は防水対策を施しているので浸水しても故障はしない構造になっている。


 ――準備完了。二人の動作反応、未だ無し。


 洗い終えて手を拭くと逢衣は一直線に大助の元へと向かった。彼はまだ夢の中の様で、逢衣が横から覗き込んでも起きる事は無かった。


「マスター、起きて下さい。朝食が出来ました」


 何度も何度も執拗に肩を大きく揺する。寝惚けた声を上げながら大助は薄く目を開けて逢衣の方を見た。


「……アイ、今何時だ?」

「現在午前七時十三分。天気は晴れ時々曇り、降水確率は約二十パーセントです」


 時報と天気を聞いた大助はゆっくり身体を起こし、欠伸と共に上半身を伸ばした。そして逢衣が作ったであろう朝食を目の当たりにして呆気に取られていた。


「……何だこりゃ」

「蜂蜜バナナのフレンチトーストです」

「俺は砂糖の山にしか見えねぇんだが」


 大助の苦言をそのまま聞き流し、次に逢衣は琢磨を起こしに行く。掛け布団を剥がし、彼女は巨体を揺すった。


「タクマ様、起きて下さい。朝食が出来ました」

「……んん? アイたん……? 僕におはようのチューしてくれない……?」

「チュー? チューとは何ですか?」

「アイ、琢磨の命令を無視して目覚ましのビンタをしろ」

「分かりました」


 夢と現実の狭間で彷徨う琢磨は、目前で見つめている逢衣に突飛な事を言い放つ。無論それを許す筈がない大助が逢衣に指示を出す。後ろで青筋を立てている男の指示通り彼女は右腕を振り上げ、男の左頬を平手打ちした。豚の様な悲鳴を上げながら琢磨は覚醒した。


「ひ、酷いよ大ちゃん! ほんの冗談のつもりなのに……!」

「いっぺん本気で死ぬか? あ?」


 握り拳と共に怒りを露にする大助、叩かれた頬を擦りながら怯える琢磨。一触即発の空気の中、このまま放っておくと朝食が冷めてしまう可能性が高いと判断した逢衣は二人の手を繋ぎ、有無を言わさずそのままテーブルの元へ誘導させた。意図しない形で仲裁にはなったようで、落ち着きを取り戻した男達は大人しく席に座った。


「……大ちゃん、何で卵の殻が入ってんの。それにこんなの食べたら絶対糖尿病になるって」

「カルシウムを摂れって事だろ。いいから黙って食えよ、美少女アンドロイドの手作りだぜ」


 卵の殻を噛み潰しながら大助は胃に流し込んでいく。文句を言っていた琢磨も逢衣を一瞥すると何とも言えない表情を浮かべながら焦げた食パンを口に運ばせていった。


 時刻は七時二十二分。登校する時間が迫ってきていた。学校指定の鞄とゴミ袋を手に取り、逢衣は朝食を食べている大助達の方へと振り返った。


「マスター。タクマ様。――行ってきます」


 行ってらっしゃい。二人の父の声をしっかり受け取った娘は、また新たな出会いと邂逅する為に地上へと旅立つのであった。

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