第32話 それはジャガイモっぽい何か
――うおおおおおおおおおおおっ!
そんな、雄叫びみたいな音を全身の葉を震わせて奏でた宇宙クマを見上げながら、ケラフが叫ぶ。
「おいおい、マジで動いてんじゃねえの!」
数世代前のレーザー銃を構えた猫ちゃん。
さらにそんな二人の前に躍り出るのは――
「全て僕に任せてくださいっ」
オメガくんだ。
すでに彼の右手は銃身へと変わっており、凶悪な銃口は咆哮する植物性の宇宙クマに向けられていた。
そして、巨大な宇宙クマの攻撃が繰り出されるより先に――激しい光がオメガくんの右手より放たれた。
どぅん!
巨大花火が打ち上がる音よりもずっとずっと激しい炸裂音が私の鼓膜を震わせ、さらに衝撃波が私の体を突き飛ばした。
「わわっ」
堪らず尻餅を付いて、私は間抜けな声を上げていた。
網膜を焼き払うような強い閃光のせいで、私の視界はすっかり眩んでしまっている。
「な、何て威力だっ」
「うわ、すっご……! あの宇宙クマが一発で……これが最強のΩ500型の小型粒子砲……!」
唖然とするケラフとハニ伍長の声。
二人の言葉を鑑みるに、宇宙クマはあっという間に無力化されたのだろう。
私はまだ眩んだままの視界で、必死に状況を把握しようと務めた。
目を擦って、瞼をしばたかせて、ぶすぶすと立ち上る煙に涙をにじませて、何とかして立ち上がる。
やっと目がいつもの調子に戻ってきたところで、私は息を呑んだ。
あの4メートルはありそうな巨大な宇宙クマが忽然と姿を消していたのだ。
代わりに荒れ果てた農地に転がるのは、くすぶる炎と焦げた宇宙クマの骨組みだ。
この植物性のクマを造り上げていた漆黒の葉は燃え落ちて、剥げた土の上でハーブティーみたいな匂いを漂わせていた。
宇宙クマの亡骸と地平線の果てまで続く黒い一条の道が、オメガくんの小型粒子砲の威力を私に伝えてくる。
あまりの威力に呆然としていたハニ伍長だったが、その深紅の瞳で黒ずんだ農地を見「……って! 駄目じゃん!」と叫声を上げた。
「宇宙クマも吹っ飛んだけど、ユニワも吹っ飛んでるじゃんっ! 煙も上がってるし! ボクの担当エリア外まで……あーっ、兄ちゃんに怒られるっ!」
蛍光イエローの髪をがしがしと掻き乱すハニ伍長。
膝を突いて慟哭する彼女の背中に「すみません」とオメガくんは頭を下げた。
「主人の身の危険を感じたので。ソラさんを護ることが、シュテン大佐より与えられた僕の使命です」
「はぁ、まあ、キミの仕事はそうなんだろうけどねぇ……あー、何て報告しよう……始末書ものだぁ……」
僅かに吹き始めた風が、がっくりと肩を落とすハニ伍長の髪を撫でていく。
そして同時に私の鼻孔に届くのは、焦げ臭さに混じる胸がすくようなハーブの香りと――ほくほくとした美味しそうな匂いだった。
私の足は知らぬうちに、宇宙クマの亡骸の元へと向いていた。
私の胃袋がソレの正体を確かめろと訴えている。
「ソラ、どうしたんだ?」
衝撃波で吹き飛んだ海賊帽子を被り直していたケラフが、不思議そうに首を傾げる。
「ここから美味しそうな匂いがする」
「美味しそう? 確かに変な匂いがするが……宇宙クマが燃えてる匂いだろ?」
ピンク色の鼻をひくつかせながら、ケラフが私の後をついて来る。
私は炭化した宇宙クマの葉を踏みしめて、その匂いを放つ正体を確かめた。
捻れた木の枝のような宇宙クマの骨組みの中、ころんと転がるのは私の頭三つか四つ分はあろうかという大きさの歪な球。
これが匂いの大本で間違いないだろう。
食に貪欲な私の胃袋がそう言っているのだから。
「これは?」
「宇宙クマのコアですよ。これを確実に消滅させない限り、宇宙クマは復活してしまいます。しぶといですね。僕の砲撃の一撃を受けてまだ生きていますか」
オメガくんがいつもと変わらない様子で言いながら、さらに銃口をコアに向けた。
「待って、オメガくん。燃やしちゃったら……」
「もう今更でしょう?」
「そうかもしれないけど……、これ、食べられるかもしれない。宇宙トビウオが食べられたんだから、きっといけると思う」
宇宙クマの葉と同じく黒々としたそのコアからは、ちょろちょろと髭のようなものが伸びている。
その姿には既視感があった。
……なんか、じゃがいもっぽくない?
色は何となく食用には見えないけど、でもそれは宇宙トビウオも一緒だ。
黒いお菓子だって地球には山ほどあったし、わざわざ黒く色づけするために炭を使ったりするくらいだ。黒いくらい、なんてことない。
「オメガくん、これが食べられるか分析してみて。ついでに葉っぱにも悪い成分がないかだけ見て欲しい」
「……分かりました。検索します」
オメガくんが沈黙し、代わりに激しい駆動音が聞こえ始める。
彼が膨大な地球アーカイブスの情報と宇宙クマの成分を検索・照合している横で「あのコアを食っちまうってか?」ケラフが言った。
「まあ、胃の中に入れちまえばコアから復活も出来ねえか。こいつら植物型は光が必要だもんな。その前に分解されちまったらお得意の生命力も発揮できねえってか」
「――検索終了しました。ソラさん、残念ですが……この宇宙クマのコアには毒があります。地球人にとっては致命的な毒かと」
――毒!
「そんな。それじゃあ食べられない!」
私がその昔感染し、嘔吐を繰り返した挙げ句病院送りにしたo157のような菌や毒があるというのであれば、どうしようにもない。
あれは本当に辛かった。二度とかかりたくない。
――いや、でもちょっと待って。
一口に毒と言っても、種類がある。
青酸カリとか炭疽菌とか苛性ソーダとか、眼鏡の名探偵が出てくるような作品に登場する、殺人特化の毒ならお手上げだ。
だけども、毒の種類によっては無毒化・弱毒化できるものがある。
たとえば、ふぐ毒。テトロドトキシン。
私の地元、石川県ではなんとあの猛毒、テトロドトキシンが含まれたふぐの卵巣を加工した食品が存在する。
その名も、ふぐ卵巣のぬか漬け。
地元の大きめのスーパーでならほぼ確実に取り扱っている珍味だ。特にご老人方が好んで食べている。正月や盆の季節は品切れするくらいには人気だ。
ぬかに漬けることで毒性を抑えられるその原理は分かっていないものの、古代石川県民たちが文字通り命を賭して食べられるように加工してきた食品である。
宇宙クマのコアが持つ毒とやらがどんなものかは知らないけど、ふぐ毒をも弱毒化して食用にしてきた古の石川県民の血が私に流れている。
その血が訴えている。
このコアを食えと。
「オメガくん、その毒ってどんなもの? 食べたら即死レベルの強毒なのかな?」
私が訊ねると、オメガくんは静かに答えた。
「地球でいうところのボツリヌス毒素と酷似しています。連邦ではコカトリス毒と言いますが。即効性のある神経毒です」
「ボツリヌス?」
毒という巨大な壁に直面したけれども、すぐに救いの光明が差した。
ボツリヌス毒素。
ボツリヌス菌によって作られる自然界(地球限定。宇宙にはもっと凄い毒があるかも)最強クラスの毒素である。
ボツリヌス毒素によって引き起こされるボツリヌス症は、神経と筋を麻痺させ場合によっては死に至らしめる恐ろしい疾患だ。
ボツリヌス菌は蜂蜜にも僅かながら含まれていることでもよく知られている。
だから蜂蜜は赤ちゃんには絶対あげちゃ駄目だよ。
しかし、このボツリヌス毒素。
最大の弱点がある。
それは――
「……じゃあ、火を通せばいけたりする?」
加熱による無毒化だ。
ボツリヌス毒素に酷似しているというのであれば、弱点も似ているかもしれない。
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