第31話 宇宙クマはハーブトピアリー

「そう、宇宙クマ。厄介なんだよねぇ。アイツら食いしん坊だからさぁ。あっという間にユニワの畑が丸裸になっちゃって」


 ハニ伍長が辟易とした様子で肩を竦めてみせる。


「クマ……クマって、あのクマです?」


 ずんぐりとしていて、耳が丸くて、一見すると可愛らしくも見える――凶悪極まりない害獣、クマ。


 私の地元石川県では、毎年秋口になるとクマが餌を求めて人里に下りてきたものだ。物騒な秋の風物詩である。

 まあ、実物のクマを見たことはなかったけれど、テレビ越しに熊害ゆうがいニュースを見てはその凶悪さに身を震わせたものだ。


「ソラさんの想像しているクマとは少々異なるかもしれませんが……見た目はクマと呼んでも差し支えはないでしょう」

「そうなんだオメガくん。うぇ……そんな害獣が農業プラントで暴れていたら、大変でしょうね」


 私の同情の視線にハニ伍長はうんうんと褐色の顎を引いて頷いた。


「そうなんだよ。根は張られて土壌は汚染されるし……中々駆除できないし……」

「根?」

「おい、ソラ。宇宙トビウオは食うくせに、宇宙クマは知らねえのか?」


 ケラフが驚いた様子で訊ねてくるけど、知らないものは知らない。

 だって私の宇宙歴はたった数ヶ月だ。


 それにそもそも――クマって何だったっけ?

 私たち人間と同じ哺乳類じゃなかったっけ?


 そこまで思って、ここが地球の常識が通用しない宇宙であることを思い出した。

 最近、地球のスパイスを手に入れたせいだろうか、気持ちが地球に戻りつつあって困る。


 ここは宇宙。

 私の常識は通用しない、と自分に言い聞かせた。


「宇宙クマは植物型侵略生物です。見た目はソラさんの知るクマに酷似していますが、その生体は根本的に異なります」

「まあ本体を見たらいいよ。あっちにボクの第8エリアを荒らした不届き者の死骸があるからさ! 今日やっつけたばかりの殺りたてほやほやだよ」


「ボクに付いてきて」ハニ伍長は元気よくそう言っては、手招きをした。




 ハニ伍長に連れられるがままに発着場に停まっていた小型飛行船に乗り込むと、そのまま伍長の運転で第8エリアを移動した。


 すいーっと重力の存在なんて忘れさせるほど滑らかな平行移動で走る船。

 車と違って震動も少なく、移動は実に快適だった。


「ほら、見て。ユニワたちが怖がってさぁ……あんな隅っこに逃げちゃって。光ってるの見えるかな?」


 ハニ伍長が小型宇宙船のウインドウの向こう側に広がる、第8エリアの片隅を指し示す。

 そこには、日中だというにもかかわらず、はっきりと見て取れる青白い光が群れるようにして輝いていた。


 あれがユニワの光みたい。

 思えば、この小型飛行船で第8エリアを移動していたが、大規模農業プラントの名を疑いたくなるほど植物らしい植物を見かけなかった。


 第8エリアを荒らした宇宙クマの存在を恐れて、このエリアのユニワたちは移動しているようだ。


「ユニワはストレスに弱いんだよ。キミたち地球人と一緒でね。だから皆で、ストレスがないように大事に大事に育ててたってのに、ほら……」


 今度はフロントガラスの向こう側を指し示すハニ伍長。

 同時に、小型飛行船が減速し始める。


「あの宇宙クマを見てよ。アイツのせいで散々だよ」


 緩やかにスピードを落とし、ついに停止した小型飛行船。

 その鼻先に倒れるソレのは、確かにクマのようなシルエットをしていた。


 でも――うん、やっぱりこうして見てみると全然クマじゃないね。


 ずんぐりとした体のラインはわさわさと伸びる漆黒の葉で形成されている。

 だらりと投げ出された腕から伸びる鋭い爪や生い茂る葉の合間から覗く牙は、おそらく枝か堅い蔓で形作られているのだろう。


 オメガくんの植物型侵略生物という説明がぴったりと当てはまる見た目をしていた。


「ホントに植物なんだ……」


 ぼそりと呟きながら、私は親戚の結婚式を思い出していた。

 春先のガーデンウエディング。新しい人生を一歩踏み出した二人を祝福するように並ぶのは、ウサギの形に剪定された低木――トピアリーだった。


 これはクマの形をした体長4メートルはありそうな巨大トピアリー型生物だ。


「さ、ソラちゃん、コイツを食えるかどうか確かめてみてよ」


 そう言って、ハニ伍長は船を下りると、後部座席に並んで座っていた私たちに下りるよう促した。


 彼女の後を追って、第8エリアの荒れた農地に降り立つと、むわっと濃い植物の青臭さと土臭さが私を襲う。

 朝の森のような匂いだった。

 胸がすっとするような、この匂い……宇宙クマからしているみたい。


「どうかな、これ、食べられるかな?」


 茂る漆黒の葉っぱを触りながら、ハニ伍長は訊ねて来る。

 見た感じ、うーん、どうだろう。


 宇宙クマの体毛(体葉?)はゴワゴワとしていて、正直食用には向いていないような気がする。

 キャベツみたいに柔らかい葉なら、千切りにすれば生のままでも美味しくいただけたと思うけど。


 もしこれを何か飲食可能なものに料理するとするなら……お茶とか?


「……やっぱり難しいかな?」

「ソラでも無理なのか?」

「料理して食べるよりも、煎じて飲む方なら上手く行くかも……」


 宇宙クマの香りは芳しく、どこかハーブを思わせる。

 日干ししたり、乾燥させたり、発酵させたりした後に、煎じてみたら意外とおいしいかも。


「宇宙トビウオみたいに汁にするのか?」


 ケラフは相当トビウオのしょっつる汁もどきが気に入っているようだ。

 金色の目を大きく見張らせて、髭をぴんと伸ばしている。


「汁っていうより、ショウガみたいに飲み物にするんだよ。この葉っぱ、

お茶にできるかも」


 ただ、この葉に毒性があるかをオメガくんに調べて貰う必要があるだろう。


「ほうほう。この葉を〝おちゃ〟ってのにするんだ」

「……でも、ハニ伍長。どうして食べることに興味があるんですか? 第57支部がやってたみたいに、燃料にしちゃってもいいんじゃないですか?」


 捕獲した大量の宇宙トビウオたちは戦艦アメノトリフネの動力炉に入れられ、エネルギー源として再利用されていた。

 この宇宙クマも、この農業プラントの運営エネルギーに変えてしまえば良いのでは、と思うけど……多分、この考えでは上手く行かないのだろう。


「もちろん、最初に燃料にしようと思ってたんだけど。この巨体でしょ? 基地に運ぶのも大変だし、燃料にしたとしても大したエネルギーにならないんだよ。害獣・害魚はエネルギーを食うだけ食って、何にも生まないから処理が大変なんだよね」


 軍服を突き上げる胸元の下で腕を組んで、ハニ伍長は溜息をついた。


「正直、この場所でそのまま燃やすのが一番手っ取り早いんだけど、煙が出ちゃうでしょ? 煙はユニワの天敵なんだよ。さっきも言ったけど、ユニワはストレスに凄く弱いんだ。蓄えたエネルギーを威嚇用の警告光に消費しちゃって全消費しちゃうんだよ。それじゃあ、バイオ燃料に出来なくなっちゃう」

「あ、もしかして、私が宇宙から見た光って……」


 ストレスに苦しむユニワの光だったみたいだ。

 綺麗だって思ったのが、何だかとても申し訳なく思えてくる。


「だから、宇宙トビウオを上手いこと食べることで消費してるって聞いてさ、これも出来たらいいなって。第108支部は人員豊富だしさぁ。バーの代わりに食べちゃえば、食費も浮くし、宇宙クマも処分できるしお得でしょ」


 ハニ伍長の感性は、他の宇宙人たちとは少し違うみたいだ。

 最初こそ宇宙トビウオを食べることに難色を示していたけど、今はむしろ積極的に宇宙クマを何とかして食べられないか考えている。


 彼女とならより美味しい宇宙クマの料理方法が見つかるかもしれない。


 私がそう思った時だ。


 ざわざわざわ……そう、木々の梢が風に煽られて打ち鳴るような音が宇宙クマの方角から聞こえてきた。

 もちろん、風なんて吹いていない。

 第8エリアは快晴無風。


 だとしたら、音の発生源は宇宙クマ本人にある――!

 顔色を緑っぽく変えて、ハニ伍長が腰元の銃に手を伸ばす。


 彼女のルビーの瞳の先には、すでに体を起こしつつある宇宙クマの姿があった。


「いけないっ! 宇宙クマが復活しちゃったっ! あーん、面倒っ! ちゃんとコアを壊せなかったみたいっ!」


 ハニ伍長は腰に下げていた銃を引き抜くと、照準を起き上がったクマ型植物に定めた。


「ソラちゃん! ボクの後ろに下がって!」

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