第27話 マタタビよりイイものフルコース

「――あっはははははははっははははははっ!」


 シュブの笑声がVIPルームに反響する。

 おかしくて堪らないと腹を抱えて肩を痙攣させている首領の姿に、側近のニグラス人たちは当惑していた。


「20万クレジット? そんな手持ちでワタクシと交渉しようなどとは、はは、あー、これは傑作だ! 残念ですが、20万クレジットぽっちではお譲りできませんね」

「……それは分かっています」

「ふふ、では、何か策でもあるのですか?」


 涙の滲んだ目元を指先で拭いながら、シュブは笑う。


「最新型の対外宇宙生命体軍用アンドロイドといえど、ワタクシどもの最新装備の前には形無しです。軍に通報したところで意味はありません。彼らが到着するより先に貴方たちをドロドロのスライムにしてあげましょう」


 シュブの白い指先が私を指せば、側近たちの銃口が一斉に私へと向いた。

 庇うように立ち塞がるオメガくん。


「ソラさん、やはりこの男を相手に交渉など無謀で……」

「大丈夫だよ。大丈夫」


 テルクシさんと側近のニグラス人の反応を見るに、この交渉は上手くいくと確信していた。


「知っての通り、私は地球人です。そして、この植物たちは地球のもの……つまり、私はこの場にいるどの宇宙人よりも、この植物たちのことを詳しく知っているんです」


 そこで一度言葉を句切ると、一つ息を吐いた。

 やはり緊張している。声が震えてしまいそうだ。


 だけども、ここで負けてはいられない。

 この宝の山を前に臆していては、私の夢は叶わない。


 一つ、カレーライスを作ること。

 二つ、そのカレーライス他、美味しいを相棒にキッチンカーで移動販売をすること。


 この二つが、この宇宙における私の夢だ。


「この植物をより効率的に育てて、繁殖させるための知識を私は持ってるんです。どうですか。この情報、欲しくありませんか? 特にマタタビは貴方にとって必要不可欠な嗜好品でしょう。それをもっと増やしたくはありませんか?」

「なるほど、情報ですか……しかし、地球人の知能指数は原始レベルのはずです。その膨大な知識が貴方の小さな頭に入っているとは思えませんが?」

「貴方が思う以上に、地球人って賢いんですよ」


 まあ、実際に情報を入手できるのはオメガくんなんだけどね。

 それは隠したまま、私は次の話に移った。


 植物の栽培に関する情報は軽いジャブ。

 本題はここからだ。


「もし、このスパイスたちを私に譲ってくれたとしたら、私は貴方に最高の経験を贈ることが出来ます。それも、マタタビ煙草以上の経験と言ったらどうでしょう?」


 シュブが怪訝そうに首を傾げる。

 マタタビ以上の最高の経験とは何か、彼には想像出来ないようだった。


「……それはいったい何だと言うのです?」

「地球人が何千年もかけて造り上げた〝美味しい〟って感覚ですよ」


 テルクシさんが言っていた言葉を私は想起していた。


〝皆、刺激に飢えている〟


 だから、皆、多幸感を与えてくれるマタタビに依存していたし、連邦に目を付けられている違法カジノが大盛況となっているんだろう。長く続く戦争が生み出す暗い空気から逃げたいのかもしれない。


 テルクシさんの妹さんの歌が大ヒットしているのも、きっと刺激が欲しいから。


 シュブのコレクションがスパイスばかりなのも、きっと刺激を求めてのことだと私は推測した。

 そうだ、彼は刺激が欲しいのだ。


「貴方は地球人を珍しい愛玩動物か何かぐらいにしか捉えていないんでしょう。確かに、この広大な宇宙の文明と比べたら、地球なんて原始レベルも良いところです」


 地球にはアンドロイドもいないし、宇宙戦艦もないし、そもそも宇宙の有人飛行だって一番近い月にやっと行けたくらい。レーザー銃もないし、たった一本のバーですべての栄養をまかなえるような完全栄養食だってない。

 記録から再生する技術なんて最早私の理解をすっかり跳び越えている。


 だけども。


「でも、この宇宙の文明で唯一地球が勝っているものがあります。それが食文化です」


 私はシュブの、偶蹄目特有の横長な瞳孔から目を逸らさずに続けた。


「このスパイスがあれば、私は〝美味しい〟を作ることが出来ます。それもきっと、もの凄く美味しいものです。私がこの世で一番美味しいと思っている料理を、このスパイスたちがあれば作ることが出来るようになります」


 地球人はずっと食を探求してきた。


 何百年にも渡って、家畜を改良し、野菜を改良し、味わいを豊かにするために命を賭して荒れ狂う海を渡った。毒たっぷりのフグの卵巣だって食べられるように試行錯誤を繰り返した。


 食のためなら死を恐れない、それが地球人だ。

 食への執着で言えば、おそらく全宇宙人でトップを飾ることが出来るだろう。


 シュブの話しぶりを考えるに、彼が最後に地球に訪れたのはおそらく1000年ほど前。その時代からどれだけ〝美味しい〟が発展したか、彼は知らないのだ。


 私はこの〝美味しい〟の素晴らしさを知っている。

 この美味しいが心を豊かにしてくれることを知っている。

 そして同時に、彼ら宇宙人にもその素晴らしさを伝える余地があることも知っている。


 テルクシさんや、彼女の付き人のニグラス人がショウガ湯を美味しい感じてくれたように、きっとシュブも〝美味しい〟を理解してくれるはずだ。


「ふむ……」


 ずっと私を見下していたシュブの目つきが変わっていく。

 刺激に飢えている彼は、私の言う〝美味しい〟とやらが気になるらしい。


「それはいったいどのような〝りょうり〟というものなのですか?」

「カレーライスです。インドが生み出して、イギリスが運んで、日本で完成された最高の庶民料理。貴方の持つスパイスは、その最高の料理を作るのに必要なものなんです。完成した暁には、カレーライスを貴方にご馳走することを約束します」


 スパイスだけが揃ったからと言ってすぐにカレーライスを作ることは出来ない。


「この言葉だけでは、信頼してもらうことは難しいと思います。だから」


 私はお腹に力を込めて言った。

 私に出来る、たった一つの交渉術。


「今、ここで、私が持っているだけの食材で……できる限りの美味しいを貴方にご馳走します。それで判断してください」


 それは料理をご馳走することだ。





「これが、マタタビに変わる刺激――とやらですか?」


 VIPルームの黒塗りの机の上に並ぶのは、アメノトリフネより再スタートを切った私の宇宙人生で作ってきた料理たちだった。


 冷凍宇宙トビウオの塩焼きに、しょっつる汁もどき。リモネンとクエン酸とショウガで作ったショウガ湯。それからエチルバニリンで風味付けしたクッキーもどき。


「きっとシュブさんの口に合うと思いますよ。特にそのショウガ湯、テルクシさんも彼女の付き人さんも気に入ってくれてましたから」


 私は自信を持ってそう言った。

 少なくとも、あのチョークバーよりも何倍もイイ料理だと胸を張って言える。


「さあ、どうぞ召し上がってください」


 私が促すと、シュブはテーブルの上に料理と一緒に並べたナイフとフォークを手に取り、慣れない手つきで食事に取りかかった。カトラリー類の使い方は説明せずとも、その形状から何となく理解したようだった。


 それから彼は黙々と私の料理を口にしていった。

 宇宙トビウオの身を解し、しょっつる汁もどきを啜り、クッキーを囓り、ショウガ湯に口を付ける。


 その間、シュブは一言も発さない。

 うなり声も上げない。溜息もなにもない。


 淡々とした食事風景に、もしかしたら、と嫌な予感がよぎっていく。

 冷や汗が私の背中を伝っていった。


 いや、大丈夫だ。きっと、大丈夫。

 そう言い聞かせて、私は身を固くしながらシュブが食べ終わるのを待った。


「なるほど……」


 間もなく、からんと音を立てて、テーブルの上にナイフとフォークが転がった。

 シュブの食事が終わったのだ。


 彼の面前に広げられていた皿と容器の中身は空っぽだ。

 宇宙トビウオなんて骨も見当たらない。


「ソラ、一つ聞きますが……これよりもっと〝美味しい〟のでしょう? そのカレーライスとやらは」

「はい! 絶対に美味しいです!」


 絶対に、とさらに付け加えて、私は断言した。

 絶対に美味しいはずだ。だって地球のスパイスを使った、地球の味のカレーライスだ。美味しくないはずがない。


「……貴方の考える最高の美味しいとやらを見せてくれると約束するのであれば、ワタクシのコレクションを譲っても良いでしょう」

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