第26話 パンは輝く一等星

 銀河の星々を思わせる大粒のクリスタルで飾られた絢爛豪華なシャンデリア。

 漆黒と深紅、それから金で統一された調度品の数々が、私とオメガくん、それからケラフを取り囲んでいた。


 お尻が溶けて一体化してしまいそうなほどに柔らかいソファに腰掛けて、私は身を丸まったダンゴムシのように強ばらせていた。


 ここはカジノ〝夜会サバト〟のVIPルーム。

 せっかく〝絶滅種〟の地球人と出会えたのだからもっと話がしたいと、シュブはこのVIPルームへと私たちを案内したのだった。


 テルクシさんは舞台の準備があるからと、楽屋の方に行ってしまった。

 なので、今、ここにいるのは先述した私たちと、シュブ、そしてシュブの親衛隊たちだ。


 元より、彼らが所持している地球産の植物が目的だったので、こうして元締めである彼と直接話せるのは願ったり叶ったりだったが。


「こうして照明の下で見ると、ますます懐かしさが蘇ってきますねぇ」


 うーん、近い!

 この黒山羊さん距離が近い!


 オメガくんやケラフなどそっちのけで、私の真隣に腰掛けたシュブは、停泊所でもそうだったように、私の頭をなで回していた。


 シュブは――もしかしたらシュテン大佐やドクター・メイプルもそうだったのかもしれないけど――地球人である私を貴重な動物か何かの一種のようなものだと認識しているみたいだ。


 私が犬や猫を触って楽しむみたいに、彼も私を触って楽しんでいる。

 テルクシさんのような美貌の歌姫を恋人としている彼が、下心を持って私を触っているわけではないと分かっている。それでも精神的なダメージがある。


 だけども私は耐えていた。

 これもシュブの機嫌を損ねないためだ。


 別の一人がけの椅子に腰掛けたオメガくんが、しきりに私に目配せをしている。何かあれば、いつでも戦えるという強い眼光だ。

 だけども私は引きつり笑いで返すことにした。


 大丈夫だよオメガくん。

 スパイスのためなら、なんだって私は耐えられる。


 遠い昔、胡椒のために命を賭して荒れ狂う海を渡った船乗りと同じように。


「それで、シュブさん、その地球狂いフリークスというだけあって、地球がお好きなんですよね?」

「ええ、言葉通りです。地球愛好家とでも言えば良いでしょう。地球でいうところの1000年ほど前までは――第57支部の指揮官としてシュテンが就任する以前は、今のように規制も厳しくなく、ワタクシも良く地球に遊びにいったものです。ワタクシを神だと崇めるものもいれば、邪神だの悪魔だのと恐れるものもいましたね。ええ懐かしいものです」


 私の問いに対して、シュブは饒舌に語った。

 彼が口元でくゆらせているマタタビ煙草の効能のせいもあるかもしれない。


「地球人はとても従順で可愛らしい知的生命体でした。ただ、とても寿命が短く儚い生き物でしてね。たった100年足らずで老いて死んでしまいますし、ワタクシたちの知識に触れると理解力が及ばず発狂してしまう、実にデリケートな生き物なのですが……」


 マタタビの煙を吐き出しながら、シュブは陶酔した眼差しで思い出へと目を向けている。


「ああそうだ、貴方は何故、当カジノに訪れたのです? 平和維持軍のアンドロイドを連れているのを見るに、平和維持軍が何か関係しているのは明らかですが……」


 私はシュブに全てを話した。

 地球再生技術のこと。

 どうして私がここに来たのかも、洗いざらいすべて。


「――っ、あっははははははははは!」


 全てを聞き届けた後、シュブは豪快に笑った。

 彼の青黒い体毛で覆われた口元から吐き出されるマタタビの煙が、赤い室内に霧散していく。


「シュテンも歯がゆいことでしょう。彼はワタクシと同じか、それ以上の地球狂いだ。彼ほど地球のために尽力した者もいないでしょうに。だというのに、予算不足で……ふふ」

「シュテン大佐とはお知り合いなんですか?」

「知り合いと言えば知り合いなのでしょうね。彼は時に、ワタクシたちのような密航者を追って地球にやってきていましたからね。幾度となくやり合いましたよ」


 マタタビ煙草の煙を肺一杯に吸い込んだシュブは、どかっと背もたれにその大きな背中を預けた。


「それで、今、話した通り……私たちは、貴方が秘密裏に地球から持ち出した草、マタタビを初めとした地球産の植物を求めてここ来ました。ケラフはパンというバイヤーにマタタビと騙されて、ショウガを掴まされたって聞いて……」

「ああ、なるほど、だからこの毛玉はパンを呼んでいたのですね」

「パンはテメエの従兄弟だろぉ? 騙しやがってぇ……パンを出しやがれぇ……」


 ゴロゴロと喉を鳴らしてソファで丸くなっているケラフ。

 シュブが吐き出したマタタビ煙草の煙ですっかり酩酊しているようだ。


 譫言うわごとのように「パンを出せ」と繰り返すケラフに対し、シュブは「残念ですが」と私を見る。


「パンはワタクシの従兄弟という肩書きを悪用し、組織のクレジットを1000万ほどを着服していましたので……3日前に打ち上げました。今頃宇宙遊泳を楽しんでいることでしょう」

「……あー、打ち上げるって……もしかして、お星様になられた……?」

「ええ、パンは美しき星の一つとなりました」


 私はどこかの宇宙空間を漂っているパンという売人を想いながら心中手を合わせた。

 南無。

 もしくはアーメン。


「ですので、交渉は直接ワタクシがいたしましょう」


 咥えていたマタタビ煙草の灰をシャンデリアと同じ煌びやかなクリスタルっぽい石で出来た灰皿に落としながら、シュブは親衛隊のニグラス人たちを指さした。


「急いでワタクシのコレクションを持ってきなさい。これより商談です。VIPルームにテルクシ以外の人を寄せ付けないように」

「かしこまりました、シュブ様」


 深々と頭を下げた側近たちは蹄を鳴らしてこのVIPルームを出て行く。

 それから間もなく、慌ただしくニグラス人が鉢植えを持って戻ってきた。


 その数ざっと50ほど。

 青々と茂る緑が、この赤と黒、そして金を基調として纏められた部屋に集まった。


「さあ、これがワタクシが集めたハッパコレクションの一部です。貴方の求める草があるかは分かりかねますが――」


 シュブがそう言い終えるより先に、爪弾いた弦のように私は勢いよく立ち上がっていた。

 そしてふらふらと光に引き寄せられる蛾のように、一つの鉢植えへと歩み寄り、膝を突く。


 立派に育った瑞々しい葉。

 その合間から覗く赤に私は引き寄せられていたのだ。

 これはもしかして――唐辛子じゃない?!


「お、お、おめ、オメガくん。照合してみて、唐辛子かどうかっ」


 私は舌がもつれそうになりながら、早口にオメガくんに依頼していた。

 席を立ち、弾丸のような速度で私の側まで駆け寄ってきたオメガくんは、その頭脳から駆動音を響かせながら「了解しました、現在照合中です」と答える。


「了解しました。ナス科唐辛子属の多年草……唐辛子で間違いないかと。こちらはコリアンダー、あちらはクミン、ブラックペッパー……」


 オメガくんは次から次へとその植物たちの名前を読んでいった。

 そのほとんどがスパイス。あるいは、漢方として重用されていた植物だった。


 刺激物ばかりなのは、おそらく、シュブたち宇宙人が〝刺激に飢えている〟からだろう。


「マタタビが多くの宇宙人にとって、多幸感を与える神の植物であると判明して以降、ワタクシたちは度々地球を訪れる危険を冒して多種多様な地球産植物をかき集めてきました。そう、より強い効果を発揮する植物をね」


 残念なことに、とシュブは続ける。


「マタタビほどワタクシたちを陶酔させる植物はありませんでしたが、まあ、栽培はワタクシの趣味の一つです。地球の植物は珍しく緑の葉を持っていますから」


 かつ、と美しく蹄を鳴らしたシュブが私の傍らに立つと、大きく両手を広げて見せた。


「さて、どれも一律100万クレジットでお譲りしましょう。地球人割引ですよ」


 ――100万クレジット。

 

 ケラフがマタタビと称して売りつけられたショウガが一株500万クレジットだったことを考えるに、相当な割引率だ。

 しかし――


「残念ですけどシュブさん……私の手持ちは20万クレジットしかないんです」

 

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