第23話 拷問器具とクエン酸
「散らかっていてすみません。そこの椅子に腰掛けてください」
キッチンカーの床下、居住空間にテルクシさんたちを案内すると、麗しの歌姫に座るように促した。背中から伸びる妖精の羽を畳んで、彼女はちょこんと爪先を揃えてソファに腰を落とす。
「……凄いわね。空間拡張だなんて、ここ50年くらいに出来た最新の技術でしょ? 妹のことを知らない子が、こんな最新設備を持ってるだなんて……」
「ちょっとコネがあって……さ、上の方で準備してくるんで、ちょっと待っててくださいね」
キョロキョロと不思議そうに部屋の中を見渡すテルクシさんに、そう言い残して私は梯子を登っていく。
厨房に出ると、私はこれからの料理に必要な調理器具おろし金と食材の準備に入った。
冷蔵庫に保存してあったショウガを取り出して……っと。
「――おい! そのシュブの旦那が使いそうな拷問器具みたいなのはなんだっ」
「わあっ?!」
突如としてがなり立てられ、私の心臓は大きく跳ねた。
とっさに振り返ると、ハッチから這い出てくるニグラス人と目が合った。彼の山羊の瞳は私の手の中にあるおろし金を睨み付けている。
「すみません、止めようとしたのですが……。何をするのか確認しないと安心出来ないとこのニグラス人が言いますので……」
ハッチの奥から申し訳なさそうなオメガくんの声が聞こえてくる。
「……これはおろし金。これでショウガをすりおろすの。別に拷問なんてしないよ。監視したければどうぞ。私は変なことなんて絶対にしないから」
ショウガからしたら拷問以外の何者でもないかもしれないけどね。
さて、先述したとおり、今回の料理のメインはこのショウガだ。
ケラフが買わされたこのショウガは、彼が丹念に手をかけて育てたこともあってか発育が良く、根っこの方は栄養を吸って大きく太っていた。
行きつけのスーパーで見かけたそれよりも大きいくらい。
このショウガで作るものは一つだけ。
ショウガ湯だ。
レシピだけども、これも超簡単。
ショウガ湯を作るにあたって、最低限必要なものはショウガとお湯。
この二つ。
蜂蜜やオリゴ糖があればより飲みやすくなり、さらに葛粉でとろみをつければより体が温まる。リンゴやレモンのスライスがあれば、もっともっと美味しくなる。
ただ、今回、私の手元にあるのはケラフから譲ってもらったショウガと、人工甘味料。それから、基地に寄った時に魚醤とそのレシピを交換する形で送ってもらったフレーバーのみ。
私は厨房の棚に並ぶタッパーの内〝レモン〟とフェルトペンで書き込んだものを引っ張り出した。
中には完全栄養食の粉末とは異なる、白い粉で満たされている。
「そ、それは何だっ。怪しい粉は」
警戒した様子でニグラス人が訊ねて来る。
私は辟易としながらも答える。
「レモンフレーバー」
「れもん?」
「悪いものじゃないから、落ち着いて見ててよ」
この白い粉こそが、今回使うレモンフレーバーである。
面白いことに、バニラの香りだけでなく、レモンの香りも人工的に合成することができるらしい。詳しいことはさっぱりだけども、このレモンフレーバーはリモネンという柑橘類が持つ香り成分とクエン酸で出来ているとか。
――クエン酸。
エチルバニリンと違って生成にかなりの時間を要したのには、このクエン酸が絡んでいるのだと聞いた。
化学に疎い私でも、クエン酸というものが果物に多く含まれている酸味成分であることは知っている。
だからこそ、クエン酸の生成に時間がかかったのだ。
生体由来の調味料の化合は、あまりにコストがかかりすぎるために、容易に再現することが出来ない――とはドクター・メイプル談。
アメノトリフネで手に入れたクレジット程度では、簡単に作ることができないと私は思っていた。
――しかし、やはり私を救うのは害魚宇宙トビウオなのである。
聞いて驚いたのだけども、このクエン酸、なんと動物の組織にも僅かながら含まれているらしい。ミトコンドリアがどうのこうのと聞いたけど、私にはよく分からない。
とにかく、このレモンフレーバーの根幹をなすクエン酸は、宇宙を荒らす害魚たちの尊い数千匹の命から抽出されたものなのだ。
大事に味わおう。
長々とレモンフレーバーの話をしてしまったけど、まあ、とにかく酸味料がゲット出来たわけである。
これを使わない手はない。
天然の辛味、抽出した酸味、そして人工的な甘味。
この三つの味わいが、シンプルなショウガ湯に深みを出してくれるはずだ。
「よし、やるぞ」
私は腕まくりをすると、鍋に水を張って火にかける。
それから今回使う分のショウガを流水で洗い始めた。
鉢の土が残っていないか確認してから布巾で水分を拭って、後は
ショウガの繊維がペーストになるまで根気よく、ぐりぐりと、力を込めてすりおろす。
そして出来上がったショウガペーストをカップに適量入れ、キッチンスケールできっちり測った人工甘味料とレモンフレーバーを投入。
そこに沸騰したお湯を注ぐ。
ショウガの芳しい香りと共に、立ち上るレモンの風味。爽やかで、さっぱりとしていて、じゅわっと舌に涎が滲んでくる。
そうそう、この匂い。
この匂いこそレモンだ。
「ほら、見て。安心安全の飲み物だってこと、ここで証明するよ」
そう言って私はまだ警戒の色を解かないニグラス人に向かって、私はあちあちのショウガ湯がたっぷりと注がれたカップを掲げてみせた。
湯気に混じるレモンの香りに鼻先を寄せて、肺一杯に吸い込むと、私はほっと一つ息を吐く。それから息を吹きかけて、ショウガ湯の表面温度を少しだけ下げると、ゆっくりと口を付けた。
ショウガの繊維片が生み出す自然な辛さが心地良い。
アセスルファムカリウムの人工的で少し不自然な甘さも、その裏に隠れた苦みもまろやかに感じるほど。
これが地球のスパイスの味!
――ああ、なんて美味しいんだろう!
食道から胃にかけてほわっと熱くなってくる感覚。
温められた胃腸を通じて、指先の末端まで暖まっていく。
「はあ、美味しいっ……はい、これで分かったでしょ? 毒なんて入ってないよ。
ね、オメガくん」
「ニグラス人にもセイレーン族にも毒ではないでしょうね。入っているのはショウガですから」
少なくともショウガに害があれば、オメガくんが何か言ってくるだろうと予想していた。だけども彼は今の今まで口を挟むこともしなかったのだ。
それどころか、太鼓判を捺してくれている。安心安全であることは間違いない。
私は一度、厨房の作業台の上に口を付けたカップを戻すと「あなたも飲んでみたら?」と新しくショウガ湯を淹れた。
「……、クソ、姐さんのためだ」
ショウガとレモンの香りを漂わせるカップを見下ろし、意を決した様子で付き人のニグラス人はカップに口を付けた。
「――あっちゃあっ!」
「淹れ立てだから気を付けて、火傷しちゃうよ」
あまりの熱さにカップを落としそうになったニグラス人に私は苦笑しながらアドバイスを送る。葛粉を入れていたら、その粘性でニグラス人の口の中は火傷で酷い有様になっていたことだろう。
「ねえ、どうなの?」
ハッチの蓋を開けて、ひょこりと顔を出すテルクシさん。
耳の代わりに伸びたひれをふるりと羽のように震わせて、待ちきれないわと言った様子で硬直する付き人を見上げている。
私がそうしていたように、黄金色の湖面に息を吹きかけて、少しだけ温度を下げてからニグラス人は今度こそショウガ湯に口を付けた。
そして――
「あ、れ……姐さん、これ」
ニグラス人がぽつりとこぼす。
「……旦那のハッパくらいイイですよ」
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