第22話 歌姫の憂鬱
「――姐さん! 通してあげてって……でも、こいつら何者かも分からねえのに。どんなことしてくるか分かったもんじゃないですよ」
このニグラス人はオメガくんがアンドロイドだとは気付いていない様子だった。
「……落とし物を拾ってくれたのでしょ? けほ、わたしの大切なロケットを。だったら悪い人ではないはずよ」
そう言って彼女は小さく笑った。
笑っているのに、どうしてだろう。なんだか、とても寂しげだ。
「ほら、こっちに来るといいわ。ここから見る空、本当に綺麗なの。貴方たちも見るといいわ」
けほ、とまた一つ咳をしてから、彼女はパールの光沢を持つ爪でくいっと私を手招きする。
テルクシさんに誘われるままに、私たちはテラスへと進んで行った。
「ほら、綺麗でしょ? 今日は特に綺麗に見えるわね。近くに目立つ恒星がないから」
背中の羽を大きく広げて天を仰ぐ、テルクシさん。
彼女の言うとおり、ここから見上げる空は実に見事。地球では山中にでも行かないと見られない、満天の星空がある。
地上のケバケバしいカジノの光と降り注ぐ宇宙の星の光。
そのどちらもを受けたテルクシさんは、妖精のように妖しく輝いて見えた。
「あの、これを……どうぞ」
彼女の妖艶な美貌を前にすると、何だか嫌に緊張してしまう。
私は声を上ずらせながら、白い貝殻のネックレスをテルクシさんに渡した。
「……ありがとう。どこで落としたのか、分からなくて困っていたの」
ネックレスを受け取った彼女は愛おしげに目を細めて、貝殻のロケットをそっと指先で撫でた。
「ご家族ですか?」
「え?」
「あ、いえ、その……蓋がずれてて、中が見えて。別に覗こうとしたわけじゃないですよ!」
慌てて弁明する私に、テルクシさんはふわりと破顔して「分かっているわ」と返してくれた。
「この子は妹よ。50歳下の妹のリゲイア。80年近く前のものだから、今よりちょっと幼く映ってるけどね。ほら、聞いたことない? リゲイア=カリュドーンって名前」
「えっと……ごめんなさい。私、田舎の星から出てきたばかりで、あまり……」
彼女の言葉を考えるに、リゲイアという女性はかなり有名な人物のようだけど、私にはまるで聞き覚えがなかった。
「〝銀河のアイドル〟リゲイア=カリュドーン。今一番銀河で人気のあるアイドルですね」
「あら、お兄さんの方は知っているみたいね」
「僕の方が宇宙歴が長いので、ある程度の知識はあるかと」
肩をすくめてみせるオメガくん。
ちらりと私の方を見て「ソラさんも彼女の歌を聞いたことがあるはずです」と続ける。
「ケラフの宇宙船に掴まる前にも聞いていたでしょう? 〝星屑★みるきーうぇい〟です」
「ああ、あの! 可愛い感じの曲」
キッチンカーでの宇宙横断の旅。
自動運転に任せるだけの旅を彩るのは音楽だ。
改造されたキッチンカーの内蔵オーディオは、宇宙のあらゆる電波に対応していた。様々な基地局から流れる電波をキャッチして音楽を聴いてきたものの、この2週間ほどくだんの〝星屑★みるきーうぇい〟が聞こえない日はなかった。
「今の連邦領地内で妹の歌が聞こえない場所なんてほとんどないわ」
「……凄いですね。テルクシさんは歌姫で、妹さんは銀河のアイドルだなんて」
「妹はセイレーン族の誉れよ。わたしなんて全然……けほっ……この子みたいに、全宇宙の人々を元気付けられるような存在になりたかったけど……」
そう言って彼女は深い緑の目を空に向けた。
「わたしはシュブに拾い上げてもらって、やっとここにいるだけ。歌姫だっていわれても大したものじゃないわ」
どうして彼女が憂いを帯びた目をしているか、悲しげな雰囲気を纏っているかここで分かった。
「ごめんなさいね。初めて会った人に話す内容じゃ……っ、」
そこでひゅ、とテルクシさんは息を詰まらせると、次の瞬間盛大に咳き込み始めた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ううん、平気よ。大丈夫。最近喉の調子が悪いの。別に流行風邪にかかったわけでもないのだけど」
呼吸を整えるように彼女は大きく深呼吸。
「最近……舞台のことを思うと胸が苦しくなって、咳が出るの。少し冷えてきたわね。中に戻りましょうか」
カジノの中は賭けに一喜一憂するお客の熱気でむんむんだったのに対し、テラスは少し肌寒い。春物のシャツとジーンズの私でも、思わずぶるっと震えるくらいだ。
なのにテルクシさんは薄手のドレス一枚だけ。
ショールの一つも身につけていない。
これはいけない。
特に、今のテルクシさんのような精神状態にある人は、体を冷やしてはいけない。
それは地球人的感性なのかもしれないけど。
「あの、テルクシさん。舞台までまだお時間はありますか?」
「何かしら?」
「私の星に、喉に効くって言われてる飲み物があって」
訝しげに長い睫をしばたかせるテルクシさんに、私は胸を張って言った。
「ちょっと停泊所まで来てもらってもいいですか? ご馳走します」
「姐さん! こんな得体のしれない奴らについてくなんて、どうかしてますよ」
熱気溢れるカジノの中に、付き人のニグラス人が当惑する声が吸い込まれていく。
蹄を鳴らしながら私たちの後を続く彼へと振り返り、口を開くのはテルクシさんだ。
「だから貴方がいるんでしょう。この子、ツノも爪も牙も触手もないのよ? 銃だってこんな細い腕じゃ撃てないわ。わたしに何か出来るような子じゃないと思うけど」
咳を小さく挟んでから、彼女は「それにね」と続けた。
「わたし、何だか少しわくわくしてるのよ。わたしに臆さないで話しかけてくる子なんて、そういないわ。皆シュブが怖いもの」
「姐さんがそう言うなら……まあ……おい、異星人、姐さんに変なことしたらタダじゃおかねえからな」
ニグラス人の睨みが私の背中に突き刺さる。
そんな恐ろしいことするわけないでしょうに、と心の中で返しながら、私はカジノの昇降口を目指した。
歌姫本人が言うように、カジノを堂々と歩くテルクシさんに話しかける人はどこにもいなかった。どれだけ恐ろしそうな見た目をした宇宙人であろうとも、話が通じなさそうな何体動物風の宇宙人でも、彼女の側に近寄ろうとすらしないのだ。
それだけシュブという男が恐ろしいらしい。
……それもそうか。
平和維持軍に目を付けられていてなお、平然と裏カジノを運営しているような人だもんね。
まともな人ではないことは確かだ。
そのまま私はテルクシさんと粗暴な付き人を連れて、停泊所へとスムーズに移動した。
「あら可愛い色をした船ね。見たことのない形をしているわ。これで飛ぶの?」
いくつもの船がずらりと並ぶ停泊所。
私が想像するような大きな宇宙船から、飛行船のような形のものまで、宇宙船の形は様々だ。
その中でも特に異彩を放つのが、私のレモンイエローのキッチンカー。
テルクシさんは目をまん丸にして、改造した2tトラックを興味深げに見つめている。
偏光パールみたいに光を反射する爪で、厨房への入り口を指しては「ここから乗るの?」と訊ねてくる。
「そこからでも乗れますし、こっちの運転席からも乗れますよ」
「ふぅん。じゃあ、この文字は何て書いてあるの? 公用語じゃないわよね。見たことない文字だわ」
テルクシさんの大粒の宝石みたいな豪華な目が、キッチンカーの側面の文字を捉えていた。
「〝Izumi's Kitchen car〟……私の星にある言語の一つで、和泉のキッチンカーって書いてあります」
厨房に続くドアの鍵を開けながら、私は答える。
「キッチンカー? それがあなたのお仕事?」
「はい、美味しいを届けるお仕事です」
「おいしい……けほっ……」
「外も冷えますね。良かったら、上がっていってください」
厨房の引き戸を開いて、私はテルクシさんをキッチンカーに招き入れた。
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