第24話 〝おいしい〟は心の栄養素
はふ、と熱っぽい溜息を漏らしながら、テルクシさんは「不思議な味ね」と呟いた。
じじじじ、と彼女の肩甲骨の辺りから生えた、魚のひれのような羽が音階を奏でている。
彼女の心の動きに反応しているのか、それともショウガの辛味や人工的なレモンの酸味に震えているのかそれは分からないけど。
「これって貴方の星の飲み物なのよね?」
「そうです。ショウガ湯って言います。ホットジンジャーって言ったりもするかな」
「ショウガ湯ね。……どうして今まで外に出てこなかったのかしら。ホントに、シュブも気に入りそうな味だもの。マタタビ好きなら皆気に入りそうだわ。みんな刺激に飢えているから」
「テルクシさんもマタタビを?」
私が訊ねれば、彼女はくす、とくすぐったそうに笑声を漏らした。
「ええ、少しだけね。でも、わたしたちセイレーンはシュブたちほど楽しめないみたいだけど」
「吸うんですよね? こう、紙に巻いて、火を点けて……」
「あら、貴方もいける口?」
「いや、知り合いの宇宙海賊が言ってたんで」
「ま、物騒な知り合いがいるのね」
ギャングの首領の恋人の冗談に、私は顔を引きつらせて笑った。
対照的に、テルクシさんは溌剌とした少女みたいに朗らかに笑っている。テラスで見た時のような憂いを帯びた表情はどこにも見えない。
そんな彼女の変わりように嬉しくなって「お代わり、まだありますよ」空っぽになったテルクシさんのカップを指さした。
「ショウガペーストならまだまだありますから」
「あら、いただこうかしら」
「良かったら、お、俺のも……」
テルクシさんのカップと、付き人から追加で差し出されたカップも回収し、私は厨房に続く梯子に足をかけた。
厨房の床にカップを置いて、よいしょっと梯子を登っていると「なあ、カジノじゃ悪かったよ」と下方から申し訳なさそうなニグラス人の声が聞こえてくる。
「突き飛ばして。仕事で色々あって苛ついてたんだよ」
「もう気にしてないから、いいよ」
通路のど真ん中で立っていた私も悪かったしね。
そう言って、私は厨房へと登っていった。
~~~♪
追加でショウガ湯の準備をしていると、不意に、旋律が私の耳朶を掠めていった。
それが鼻歌だと理解するのに、少しばかり時間が必要になったのは、その音階があまりに美しすぎたからだ。
おおよそ人が――セイレーンだから当たり前のことなのだろうけど――そらんじた鼻歌とは思えないほどに魅力的な歌だったのだ。
中身をこぼしてしまわないように、オメガくんの手を借りながらお代わりの入ったカップを部屋に運べば、庶民の部屋にはあまりに場違いなセイレーンの横顔と出くわした。
「……素敵な歌ですね」
「え? あらやだ、歌ってた?」
「はい、凄く綺麗な歌でした。さ、お代わりが入りました。どうぞ」
薄水色に染まった肌を、恥ずかしそうに少しだけ緑っぽく染めて(きっと彼女の血もトビウオと一緒で緑色をしているのだ)テルクシさんはカップを受け取った。
私は彼女が座るソファの対面、座布団の上にぺたりと座りこみ「少しはリラックスできましたか?」と訊いてみた。
「……そうね。ありがとう。貴方の淹れてくれた飲み物のおかげで、咳も少し、楽になったかもしれないわ」
「人って、冷えている時とお腹が空いている時が一番辛いんです。苦しい時は、体の底から温めるのが効果的です。だから、美味しいものいっぱい食べて、いっぱい飲んで暖まって……歌うことを楽しんで欲しいです。今みたいに」
「……」
「楽団の生演奏、凄かったじゃないですか。あそこでテルクシさん、歌うんでしょう? 私もテルクシさんの歌が聞いてみたいです。貴方の声、とても素敵だから。さっきの鼻歌もとっても素敵だった」
それはお世辞でも何でもない私の本心だった。
鼻歌でこれだけ心を揺さぶることが出来るのだから、舞台で声を聞いた暁には私は神話のセイレーンの犠牲者のように、彼女に心臓ごと心を奪われてしまうのではないだろうか。
「……そう、じゃあ、この〝おいしい〟のお礼に」
テルクシさんが立ち上がる。
輝かしい白のドレスの裾がふわりと舞い、彼女のひれの羽がぶわっと大きく広がった。
「貴方に歌ってあげるわ」
肺一杯に空気を吸い込み、そして紡がれる歌。
彼女の歌声は、私を圧倒した。
オーディオから流れていた〝星屑★みるきーうぇい〟はキャラメルのかかったポップコーンみたいに弾けて可愛い歌だった。一度手を出せば止まらない、軽くてでもやみつきになる魅力があった。
だけどもテルクシさんの歌声は、言ってしまえば三つ星の高級レストランのフルコースみたいな重厚感と格式高さ、そして宇宙の歴史を感じさせるものだった。
彼女の歌が終わったその時、堪らず私は手を打っていた。
「久々ね、こんなに伸びやかに歌えたのは……咳も出ないし、その心配もない……。こんなにリラックス出来たの、久々かもしれないわ」
「テルクシさんの歌、凄すぎます。私、あんまり賢くないから、良い言葉が思いつかないんですけど。とにかく、その、凄く感動しました」
ありがとう、そう言ってテルクシさんは気恥ずかしそうに小さく笑って、ソファに腰掛けた。それから、乾いた喉を潤すように、少し冷めたショウガ湯を一口。
「妹からね、招待されたの。わたしたちの故郷で凱旋イベントをするから、お姉ちゃんも来てって……でも、わたし、まだ返事が出せていないの」
黄金の湖面を見下ろしながら、彼女は続ける。
「カジノで歌うのは好きよ。くすぶっていたわたしを拾い上げてくれたシュブのことも。もちろん、歌も。でも、わたしみたいなのが、あの子の舞台を見に行っていいのか、分からなくて」
「……きっと妹さんも喜んでくれると思います。家族が認めてくれることほど、嬉しいことはないですよ。私も……初めて両親に〝おいしい〟って言って貰えた時、本当に嬉しかったですもん」
人生で、初めて作ったのがカレーライスだった。
小学校高学年、五年生の時だったかな。滅多に揃わない家族が揃って、私が作った料理を食べて。まあ、市販のルゥを使った、アレンジも何もない誰でも美味しく作れるカレーライスだったけど。
「……そうだといいのだけど」
「きっとそうです!」
私は机に手を突いて身を乗り出しては、力強く言い切った。
ぽかんと呆気にとられていたテルクシさんだったが、すぐに「ふふ」と破顔した。
「ど、どうしました?」
「ううん。どうして、初めてあったばかりの貴方に着いていこうと思ったのか、分かったの。貴方、妹に似てるのよ。巨大な恒星みたいに明るくて、無鉄砲で、怖い物知らずなところが」
うん? これって褒められてるの?
まあ、でもテルクシさんが嬉しそうだからいいか。
くすくすと喉を鳴らすように笑い声を上げていたテルクシさんは、それから、カップを手に取って、残りのショウガ湯を飲み干した。
「ここ20年は会ってなかったものね。……うん、行ってみようかしら。シュブと一緒に」
それからひなたぼっこ中の猫みたいに目を細めては、彼女は言う。
「不思議ね。貴方の言うとおり、体が温まると落ち着くの。今日は上手くいきそう。ここ最近、舞台に立つのもやっとで。ずっと苦しかったの。妹のことばかり考えて……テラスに行ったのもね、楽屋じゃ押しつぶされそうだったからで……」
そこまで彼女が話したところで、不意にくぐもった声が聞こえてきた。
音はキッチンカーの外から聞こえてくるようだ。
ハッチを開けっぱなしにしたせいだろう、思った以上にクリアな声がこの居住空間へと流れ込んでくる。
「――放しやがれ! 捻れツノ野郎っ!」
「ケラフの声?」
放せってことは……まさか。
「……ソラさん」
私の不安を感じ取ったように、ずっと黙っていたオメガくんが口を開いた。
部屋の天井を見上げ、顔を険しくさせたオメガくんは「僕たちは」緊張した声色で続ける。
「取り囲まれたようです――!」
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