第10話 実食、宇宙トビウオの塩焼き
「いただきます」
私は手を合わせた。
宇宙トビウオの塩焼き、その実食タイムである。
もうもうと立ち上る湯気に鼻先を寄せて、まずは匂いを堪能。
うん、良い匂い。やっぱりどこかナッツっぽい香りがする。美味しそうだ。
破れた皮の向こうから白い身が顔を出して挨拶している。
身の筋肉は細くやや繊維っぽいが、水分をたっぷりと含んでいてふわふわとしている。この肉の感じもトビウオと変わらない。
私は元気よく挨拶している身に箸を伸ばすと、それを摘まみ、ゆっくりと口に運ぶ。
舌先に広がるのは宇宙トビウオのジューシーな肉汁。良い塩梅でむら無く振られた塩のしょっぱさが、最高のアクセント。
たった一口食べただけで、私は感嘆の溜息を吐いた。
「……お、おいしいぃ!」
涙が出てくる。
あのチョーク地獄ですっかり飢えていた私の心が、どことなくナッツっぽいまったりした味わいのトビウオの味で満たされていく。
そんな私を見て、オメガ君は「実に幸福そうですね」と口を開く。
「僕が初めてこの部屋にやって来た時のあなたの顔とは比べものにならないほどに幸福感に溢れています」
そうだよ、オメガくん。
今の私は、ここで目覚めて初めて、至高の幸福感に満たされていた。
そこで私は考える。
この宇宙トビウオを獲ってきてくれた彼にも、この幸せをお裾分けしたいと。
「……ね、オメガくんも食べてみる? 宇宙トビウオの塩焼き、大成功だよ。二尾あるし、どうかな?」
「いえ、僕はアンドロイドですので。食事は不要です。触媒と電力を補給するだけで十分ですから」
そこでやっと私は彼がアンドロイドであったことを思い出したのだ。
あまりに地球人そっくりな見た目をしているから、私はついつい彼がアンドロイドであることを忘れそうになってしまう。
某猫型ロボットがどらやきを燃料にするみたいに、彼も食事をエネルギーに出来たら良いのに。
「残念だね。一緒に食べられたら良かったのに」
「一緒に食べることが、あなたのストレスを軽減することに繋がるのですか?」
「うん? そうかもね。私、ずっと一人だったからさ。あ、お父さんとお母さんはいたけど、忙しくって。いつも一人で作って、一人で食べてたんだよ。だから、誰かとご飯を食べるのが好きでさ」
よくある共働きの両親の元に生まれた私は、いつも一人で食事していた。母親も父親も、子供のために料理をするという余裕もなく、与えられていたのはコンビニ弁当ばかり。
私が料理や食に貪欲になったのは、多分、そんな過去が影響しているのだろうと思う。
「友達にもよく振る舞ってたんだ。誰かが笑顔になる姿って見ていて気持ちいいでしょ? だから、私、キッチンカーをやろうって決めたんだよね」
キッチンカーで移動販売をしてみたいと思ったのも、自分の料理を沢山の人に食べて貰いたいという欲求からだ。
私の好きな料理を食べて、笑顔になった人の姿を見たい――そんな思いだった。
「そうですか、分かりました」
「?」
「いえ、何でもありません。僕が今アクセスした地球アーカイブスによると、火を使った料理の大多数は、暖かい内に食べるのが最も美味しい食べ方であると出ました。冷めては不味くなってしまうのでは?」
「あ、そうだね。ありがとう、オメガくん」
慌てて私は宇宙トビウオに箸をつけた。
身も皮も、カリカリになった尾ひれも美味しくて箸が止まらない。
シンプルな塩だけの味付けでこれだけ美味しいのだ。
他にも調味料や食材があれば、もっともっと美味しい料理が作れることだろう。
私は箸を進めながら、クーラーボックス(とは誰も言わなかったけども、保冷ができる箱)に氷と一緒に閉じ込めた、宇宙トビウオたちをどうするか考えていた。
地球のトビウオのように、骨までカリカリになるまで焼いて焼きあごにしても良いかもしれない。
宇宙焼きあごからも、美味しい出汁が取れるかも。
私がさらに料理への妄想を広げていると、不意に、スライド式ドアが音もなく開いた。
この白い部屋にやって来た人物。
それは。
一本のツノが目立つ、白衣を纏ったオグレス人。
「これは……Ω500型の言った通り、確かに良い匂いがしますね」
すんすん、と鼻を鳴らして興味深げに室内を見渡すのは、ドクター・メイプルだ。
「メイプルさん。どうしたんですか?」
「ええ、そこのアンドロイドが私に個人通信を送ってきまして。ソラさんが面白いものを作っていると」
「オメガくんが?」
私が驚きの声を上げると、傍らに立つアンドロイドが「ええ、あなたのストレスを軽減することが僕の仕事ですから」と口を開く。
「ドクター・メイプルは地球の文化にとても造詣の深いお方です。あなたと食卓を囲むには最適な人物と判断しました」
私の話を聞いて、わざわざドクター・メイプルを呼んでくれたのだという。
何とも気配りの出来るアンドロイドだった。
ドクター・メイプルは早足に私たちの元へと歩み寄ると、しげしげと机の上の料理を見つめた。好奇心を抑えきれないといった様子で彼女は訊ねてくる。
「Ω500型、これがあなたのいう〝面白いもの〟ですか?」
「ええ、これは宇宙トビウオの塩焼きというものです。内臓を取った宇宙トビウオに塩化ナトリウムをまぶして焼いたものです」
「記録では良く見かけましたが、これが地球の料理文化というものですか……」
ぱちくりと切れ長な目をしばたかせている彼女に、「どうです? メイプルさんも食べてみますか?」と私は訊ねていた。
「お口に合うかは分かりませんが、結構美味しいですよ。こっちは手つかずですから、是非」
「まあ、良いんですか? では一口……」
華奢な手が伸び、彼女はそのまま少し冷めた宇宙トビウオの塩焼きをずんむと掴んだ。
て、手づかみ!
私は慌てて声を上げていた。
「あ、メイプルさん、お箸使いますか? でも、ナイフとフォークとかの方がいいかも」
席を立ち、調理器具とカトラリー一式が乱雑に積まれた部屋の一角へと急ぐ。
その中からナイフとフォークを引っ張り出すと、私はきょとんとしているドクター・メイプルの元へと戻る。
「ああ、貴方たち地球人が食事をする際に利用するものですね。確かにバーと違って、これでは手が汚れてしまいますね」
少し恥ずかしそうにはにかむドクター・メイプル。
私はそのまま彼女にナイフとフォーク、それから清潔な布巾を手渡した。
「どうぞ、これを使って食べてみてください。使い方は……」
「大丈夫です。形状から何となく把握出来ました」
手を拭った後、ドクター・メイプルは器用にナイフとフォークを使って宇宙トビウオの身を解していく。
フォークで解した身をすくい上げ、それをゆっくりと口に運んでいく。
私は固唾を呑みながら彼女の食事風景を見つめていた。
どんな反応が返ってくるだろう。
きっと良いものに違いない。
そんな期待で胸が躍っていた。
ドクター・メイプルは席に着いてからというもの、黙々と宇宙トビウオの塩焼きを食べていた。
半身を食べ終えたら、裏返してもう半身に。
あっという間に平らげると、彼女は溜息を吐いた。
「不思議ですね。宇宙を騒がせる害魚が、こうも……」
その先に続く言葉が思いつかない、と言った様子で悩ましげに眉間に皺を寄せている。
「……美味しい、ですか?」
私の言葉にはっと目を丸くさせるドクター。
喉につっかえていた小骨が取れた時のような、そんな爽やかな笑みを浮かべて「そうです、これは、美味しいんですね」と言った。
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