第9話 やっぱり魚は塩焼きでしょ
まな板の上の宇宙トビウオは、そのメタリックグリーンの鱗と血の色以外はほとんど私の知るトビウオと相違なかった。
発達した胸びれと腹びれはさながら羽のようだ。V字型の尾びれの形も見覚えがある。大きさは頭の先から尾びれまでで30センチほど。
まさしくトビウオだ。
私はじっとまな板の上で絶命しているトビウオを見下ろしながら、隣で待機する聡明なアンドロイドに訊ねていた。
「オメガくん、このトビウオを捌きたいんだけど、内臓とかどうなってるか分かる? 地球のトビウオとどう違うのか知りたくって」
「はい……えー、宇宙トビウオの内臓の位置についてですが、ツクシトビウオのデータと照合した結果、違いはほとんどないと出ました」
「じゃあ胃袋はないんだ?」
「はい、胃はありませんね。むしろ宇宙トビウオの方が星のエネルギーが主食としている分、消化器官が未発達でツクシトビウオよりもずっと内臓の容量が小さいです」
「ありがとう、十分だよ。後は私がやってみる」
キッチンカーで自分の好きな料理を広めたい。
その夢を叶えるため、アルバイト可能な年齢になると、私はすぐに飲食店や生鮮販売店で働くようになった。
その内アルバイト先の一つが、鮮魚店。
ここで得たものは魚の知識と、魚のさばき方である。
トビウオはサンマと同じで胃を持たない魚だ。
ゆえに、サンマと同じように内臓を取らずとも美味しく食べることが出来る。
だが、それは地球のトビウオの話だ。
この宇宙トビウオなる魚が、星のエネルギーという実に抽象的なものを主食としている以上(オメガくんが大丈夫だと言っても)内臓は取るに越したことはないだろう。
鮮魚店で教えられた事を思い出しながら、包丁で宇宙トビウオの鱗を落としていく。
本当ならちゃんと血抜きをして、神経を締めた方が身が引き締まって美味しくなるのだが、そんな設備もなければ道具もない。
せめてしっかりした台所があれば良かったのだが、そもそも食があの完全メシに支配されている宇宙船である。
そんな設備が整った場所があるはずもなく、今、私がこうしてトビウオを調理している場所は、あの行きすぎミニマリストの部屋なのだ。
ベッドの他、この部屋に常設されている手洗い場の側にテーブルを置いて調理している、という具合だ。
それでも、何もないよりかはずっとマシだったが。
じゃりじゃりと鱗を落としていくと、興味深げに作業を覗き込んでいたオメガくんがぽつりとこぼした。
「見事な手さばきですね。鱗はこのように落とすのですか」
「宇宙空間を自由に飛び回れるオメガくんでも、魚を捌くことは出来ないの?」
「プログラムされていないことは簡単には出来ないのですよ。学習を重ねなくては」
「人間もそんな感じだと思うけど……っと、鱗はこんなものでいいかな。後はひれを落として、……内臓を出して……」
鱗を落としきった後は、一度手洗い場の水でトビウオの体に残っていた鱗を洗い落とし、次に胸びれと腹びれを落としていく。
トビウオのひれは胸も腹も鋭く尖っていて危険だ。食べるときにはもちろん邪魔だったし、内臓を出すのにも邪魔だ。
見栄え重視でなければひれは落とすに限る。
包丁で胸びれの側に切れ目を入れると、今度は包丁の腹でひれを上から押さえつける。そのままひれを押さえて、トビウオの体をぐっと引き離す。すると簡単に抜けるのだ。
こうして、すっかり丸裸になった宇宙トビウオ。
その細い腹に包丁の刃を慎重に入れて、ゆっくりと開いていく。
内臓を取り出すのは思った以上に簡単だった。
オメガくんが言うように、未発達な消化器官は私の手で容易に取り出すことが出来たし、内臓を破いてしまう心配もなかった。
ただ、難点があるとしたら、その血の色だろう。
やはり血液が緑色だと、映画のエイリアンを思い出して食欲がほんのり減退してしまう。
「う。血が緑色だと、ちょっとグロいなぁ……」
「何故ですか? 緑色だと何が不都合なのですか?」
「え? だって、ほら、血って基本は赤色でしょ?」
「血が緑色のなのは、シュテン大佐たちも同じですよ。ヘモグロビンではなく、ヘモシアニンを呼吸色素としていますので。イカやタコも色味は多少異なりますが、ヘモシアニンを持っていますよ」
「……なるほど?」
イカやタコの血の色が青いことは私でも知っている。
ただ、鮮魚店で働いていた時は、採れたてぴちぴちのイカタコと遭遇することはなかったので、血を見ることはほとんどなかった。
「まあ、この緑色もイカやタコと同じ銅イオンの反応によるものだと考えれば、少しは食欲も増進するかと思いまして」
「確かに、イカとかタコとかと同じだと思えば……いけなくもない?」
イカもタコも海鮮の美味。
あれと同じだと思えば、この緑色も……まあ、受け入れられなくもないかもしれない。
げんなりし始めていた食欲が、オメガくんの助言で増進し始める。
気を取り直して調理に戻ると、私は流水で宇宙トビウオの腹の中を綺麗に洗っていった。
血の塊を取り除いて流水で濯げば、毒々しい緑は跡形もなく消え去った。
残されたのは旨そうな半透明に透き通った白い身だ。
「よし」
もう一尾分の調理を終えると、オメガくんに塩を持ってきて欲しいとお願いした。
すぐにオメガくんは塩の入った袋を持ってきて、封を破って渡してくれる。
私は一度手を洗ってから、例の化合塩を指先に摘まんで一口。
うん、しょっぱい。私の知る塩の味によく似ている。
ちゃんとした塩であることに安堵すると、そのまま調理済みの宇宙トビウオに振りかけていく。むらが出来ないように、少し上の位置からぱらぱらと。
「塩を振ったらしばらく置いて、浮いてきた水気を取って、それから焼くんだ」
オメガくんは他にも何尾も私のために持ってきてくれたが、まずは二尾焼いてみてからだ。
ここまでは血の色以外は普通のトビウオと変わりなかったが、問題は味だ。
食欲に任せて沢山調理しても食べきれないだろうし、何より食べられないほど不味かった未来が脳裏を過るのだ。
とりあえず二尾焼いてみて、味を確かめる。
他の宇宙トビウオをどう料理するかはその後考えることにする。
宇宙トビウオに塩が馴染むまでの間、私は火の準備に入った。
もちろん魚焼き用グリルなんてこの宇宙船にはないので、先ほど完全栄養クッキーを作るのに使ったカセットコンロとフライパンにもう一度働いて貰うことにする。
次はドクター・メイプルに魚焼き用グリルをお願いするのも良いかもしれない。
今後、クッキーと宇宙トビウオが私の主食になるかもしれないしね。
火の準備が整ったところで、私は宇宙トビウオの表面に滲んだ水分を布巾で拭った。それから、熱されたフライパンの上にトビウオの体を横たえさせる。
宇宙トビウオのメタリックな色合いの皮がフライパンに触れると共に、じゅう、と蒸気がフライパンより立ち上る。
実際どんな寄生虫がいるかも分からないので、焼き加減はしっかりめが良いだろう。
中火でじっくり、中まで火を通していく。
じゅうじゅうじゅうじゅうじゅう……。
破れた皮の合間から、滴るのは宇宙トビウオの旨味が凝縮された水分だ。
その水分が蒸発して蒸気に混じり、美味しそうな魚の匂いがふわりと香り始める。臭さを携えた魚の匂いとはまた違った、ローストしたナッツのような、そんな芳しい香り。
これが星のエネルギーの匂いなのだろうか。
いずれにせよ。
「お、美味しそうっ!」
宇宙トビウオの塩焼き、これで完成だ。
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