第20話 唯一の嫌いな人です
恥ずかしい。モップと掃除道具さえなければ手で顔を覆って隠したいぐらい、きっと顔が赤くなっている。
(やめてよ……クラヴァスくん、そういうの、やめてよ……)
この気持ちをどこに持っていったらいいのか。ひとまず「掃除掃除掃除」とずっと呪文のようにつぶやいて特別寮に着いた。
(気のせいなんだよ、クラヴァスくん……ちょっと君に対して意見したのが僕だったぐらいで。君はそれを珍しく感じているだけ……好きなんて、そんなわけはないよ……)
バエルも変なことを焚きつけないでほしい。クラヴァスは良くも悪くも素直に受け取る。知らないことに対する知識を得たい性分だから。
でも良かったのは二人が急に仲良くなっていたことだ。きっとクラヴァスから歩み寄ったのだろう。自分がバエルを救いたいと望んだから。
(とっても良い子じゃないか……あの子はまだまだ伸びるんだ、僕なんか相手にしてる場合じゃないよ)
ため息を一気に吐き切ってから特別棟の扉を開けると、ずっと閉じ込められていた湿った空気が流れ出てきた。その次は建物の腐食防止をする薬剤のニオイ。それに混じるは床を覆う赤い絨毯のニオイと棟を支える木の柱のニオイだ。
今は深呼吸をしまくっているから、どんなニオイでもわかってしまう……いやいや掃除しよう。
入口、廊下をササッと先に済ませ、奥のホールへ進む。壁にあるスイッチを入れると広いホール内が暖色の明かりに照らされた。目の前には細く長い壇上。少し埃をかぶるツヤツヤした板張りの床。そして何一つ音のない無音の空間。踏み入れた瞬間、自分の足音がコツンと反響した。
(相変わらず広い。でも綺麗な状態だからモップだけすれば大丈夫だな)
モップを湿らせ、まっすぐ床を磨き進む。壁に当たったら引き返し、他の面へ移動。その作業を繰り返す。単調な作業だから頭の中が別のことを考えてしまう。
もしクラヴァスが本当に自分を好きで、それを口にしてきたら。それをかわすにはどう言ったらいいのか、どう逃げるべきか。自分の中には絶対に彼を受け入れるという答えはない。
(嫌じゃないんだ、君のことは……)
でもダメだ。色々な意味があってダメだ。
そうこうしているうちに一番端の面まで来ていた。モップを他の面に移動させようと、ふと壇上の方へと顔を上げた時だ。
人が数十人並んでも平気な壇上のど真ん中に大きな人影があった。上から照らされるライトに浮かぶ影は一瞬幽霊かと思ったが、それは手を上げている。
(誰っ……!?)
いつの間に! 誰かが入った気配はなかったのに。しかも手の平が光っている。こんなところで魔法を使う気かっ。
「これはこれは! 転送で様子見に来てみたらおもしろいヤツに会ったなぁ!」
愉快そうに語尾が上がった声に背筋がゾクッとした。その途端、モップを持ったままの身体がピタリと動かなくなり、次にはすごい力で引っ張られて身体が床にうつ伏せにされた。
硬い床に叩きつけられた、この痛さ、冷たさは昔も感じたことがある。心が惨めになるこの仕打ち……そんなことをするのは。
「ハハハッ、魔力なしレオ! 久しぶり! 相変わらずだなぁ、何もできないから掃除してんのか」
身体が容赦なく、さらに上からの圧迫で床に押し付けられる。呼吸がやっとで、声を上げることができない。
(ジード……ジードがっ……!)
目だけを壇上に動かし、その姿を捉える。
最後に会ったのは学生時代。年はいくらか取ったようだが弟と同じ青い髪をした人物は先細になった赤いマントを揺らしていた。
『様子見に来た』ということは明日来る特別講師は彼だったのだ。
(会いたく、なかった……! 会いたくなかったのに……!)
十年以上の時が開いているとはいえ、彼を見ると今までされてきたことが鮮やかによみがえる。こんなふうに地に沈められることは日常茶飯事で魔法の実験台にされることもあった。何より彼はいつも言葉で追い詰めてきた。
「お前は本当に何もできないヤツだからな。弟にも言っておいたよ。お前の入学する魔法学校には魔力なしの使えない人間がいるって。もちろんジャンから聞いてるだろ?」
「く、うぅ……」
言い返したくても声が出ない。圧力に耐えるのが精一杯だ。最も自分はジードに言い返したことなんかない。言い返せばもっとひどい仕打ちを受けるのは目に見えていたから。
「でもさぁ――」
急に身体が軽くなり、持ち上がった――と思ったら思い切り背中が壁にバァンッとぶつけられ、痛みに歯を食いしばる。
ジードはふわりと目の前に降り立つ。
光っているような青い瞳はクラヴァスと同じであるが、違う。彼にあるのは蔑みだ。人を人と見ない暗さが宿っている。
「なんでお前からクラヴァスの魔力の気配がするんだ? しかも回復系。つまりアイツがお前の傷を癒した。ありえない。めちゃくちゃありえないんだけど」
ジードの手が伸び、首を押さえる。今度はその苦しさに言葉どころか息ができない。
「お前、弟にさぁ、なんかしたわけ? 俺の大事な弟にさ……」
いや、自分は何もしていない……むしろされている側だ、とはケルベロスに噛みつかれても言えない。
「じゃなきゃ、アイツがお前なんかに魔法を使うはずが――」
「その人に救われたからだよ」
不意に別の声が聞こえ、ジードが後ろにはじき飛ばされていた。
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