第19話 わんわんと悪魔と人
一気に気持ちが重たくなってしまった。友人として親しんできたジャンの深い憎しみ。そう思うのはわかる、わかるけど……。
重い気持ちと共に特別寮へ移動中のこと。校舎外に広がる森の中を歩いていると、木々に隠れるように人の気配があった。
「うぉっ、これでいいんだなっ?」
少し戸惑っている男の声と「あぁ」と短く答える男の声。二人の声には当然聞き覚えがある。
普段だったら人の気配に敏感だろう二人なら自分の存在に気づくはずだ。しかし何かに夢中になっているのか、木陰にいる自分に全く気づいていないようだ。
「うわっ、犬が出た!」
「犬じゃないっつーの、頭が三つあんだろ」
頭が三つある犬……わりと最近見たような。
すると「わんっ」という犬らしい鳴き声が三つ聞こえ、鳴き声の主が木陰ごしに見えた。
(あ、あれはっ)
三つの頭。身体は一つ。三つの口から舌を出したそれはついさっき自分を襲ってきたケルベロスという悪魔の犬。
そしてそんなケルベロスに「わんわん」と懐かれているのは先程、自分にとんでもないことをしてきたクラヴァスだ。
「おぉ、頭三つ! ホントだなっ! キモカワっ」
クラヴァスは、じゃれてくるケルベロスの頭を順番になでて「よしよし」している。
……なんだこの光景は。一見ただの犬と人間の仲睦まじい光景だが違和感しかない。しかもその様子を近くで見ているのは黒い翼を折りたたんだ立つ悪魔バエルだ。
バエルとクラヴァスとケルベロスは争うでもなく、実に平和だ。
「さすが魔力が高いだけあんな〜。一発で召喚できたじゃねぇか」
腕組みしたバエルが感心したようにつぶやいている。話を聞くに、クラヴァスに悪魔召喚を教えたようだ。本人も悪魔なのに?
「フレゴのヤツができて俺にできていないというのが許せないだけだ。だけど簡単にできた、これならもっと高度なヤツもイケるだろ」
クラヴァスはケルベロスをかまって嬉しそうだ。普段はツンケンしているが動物は好きなようだ。今かまっているそれが動物かどうかは、微妙なところ。
「まぁ、お前ならオレみたいな上級もイケるだろうな。ただ悪魔召喚はリスクもある。憎しみに支配されてるとお前も悪魔になっちまうぞ」
「ふーん……お前、みたいな、か?」
クラヴァスは全部知っているぞ、と言わんばかりに鼻を鳴らした。
「お前も昔は大層な魔法使いだったんだろ。そんなお前が憎しみを抱き、そんな姿になった。お前のこと、アイツがめちゃくちゃ気にしてる、だからどうにかしたいんだけど、どうすればいいんだ?」
クラヴァスが言っている“アイツ”とは自分のことだろう。そして、そのことを堂々と本人に聞いてしまう無邪気さが、さすがだと思う。
バエルは不愉快そうにするでもなく、おもしろがるように笑った。
「人が良すぎるな、アイツは……自分のことを気にすりゃいいのに、全く」
「その言い方、やっぱりアイツに何かすんだな。殺す気か?」
「だな、悪魔だから、オレ。一度取り憑いた相手が死ぬまで離れられねぇもん。っていうか、お前が逆転の魔法をかけたからだろ、要はお前のせいでもある」
二人は怒るでもなく、穏やかに会話をしている。でも内容はおそろしい、自分の生死に関するものだ。
クラヴァスはケルベロスに「取ってこーい」と言って、いつの間にか持っていた白い骨を森の中に投げた。ケルベロスを万が一、他の生徒が見たら大問題とは思っていないのだろう。
クラヴァスは走るケルベロスを見ながら言う。
「だから俺はアイツを助けるために、なんでもする。アイツは嫌だと言っていたが、必要ならお前を全力で祓うし、他のヤツらを犠牲にしてアイツが助かるならそれもする。俺にはアイツが必要だ。アイツに対するこの気持ちがなんなのか、知らなきゃ気がすまない」
(ま、また言ってる……)
勝手にキスはしたくせに。彼の未来を守らきゃと思いつつも、彼の唇を奪ってしまった罪悪感がずっと残っている。不可抗力だが。
バエルはクラヴァスに黄色い瞳を向けていたが、ふとこちらを見た気がした。慌てて身体を木陰に隠す……ヤバい、バレたかも。
「それってさぁ、アイツが好きってことだろ」
バエルはとんでもないことをクラヴァスに言っていた。
内心で(ギャアッ!)と叫ぶと同時に身体が熱くなった。
「……好き? 好きってなんだ」
「はぁ? お前、そんなことも知らねぇのかよ。これだからインテリは……そばにいたいとか、くっつきたいとか、そういう気持ちのことだよ」
悪魔のくせにバエルが恋愛教授をしている……というか、やめてほしい。そこについては無知のクラヴァスに変なことを教えないでほしい、これ以上何かされたら、たまらない。
「……キスしたいも、そうなのか?」
「それ、完璧に当てはまってんじゃん。襲っちゃえば?」
「襲っちゃう? 何するんだ」
「押し倒――」
(ギャアアア!)
これ以上は聞いていられず、その場からダッシュして離れた。離れる寸前、バエルが笑いをこらえるような顔をしていたのは一瞬だけだが見逃すことはなかった。
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